音楽は言語だ

音楽は言語だ!-MUSIC is LANGUAGE-

音楽の成績は最低で、何をやってもうまくいかなくて、音楽なんて嫌いだった。でもそれは音楽の一面でしかなかったのだと気付いた。

■「音楽」の捉え方

友と話していて気付いた。私の音楽の捉え方は変だ。
世界を見て気付いた。日本の義務教育で教えられる音楽は変だ。

最近になって何故うまくいかなかったかがやっと分かった。
私は音楽を言語だと捉えていた。
言語解析をする脳で処理しようとしていたのだ。
だから、同じ形で書いてある位置が違うだけの音符からは何も読み取れないが、「ことば(カタカナ)」に変えてやれば覚えられた。
しかし、意味の分からぬ運指の連続に戸惑い、「音楽」には相当苦しんだ。
学校を出たら、二度とやるもんか、と思った。

■「音楽」という定義の破壊

「音楽」の定義が壊れたのは、2つの出会いによる。

◆インド映画:音楽は、物語であり、生き方

おくればせながらインド映画「きっとうまくいく」を見て、すさまじいカルチャーショックを受けた。
(主に言いたいことは、すべてここに書いてあったから割愛する)
テーマソングが、盛り上げ役でなく主役だったのだ。
どハマりして一気にいろんなインド映画を見たが、どれも強烈にテーマ曲が心に染みついた。音楽に押されるように、物語が進んでいく。

音楽は、物語であり、生き方だった。

◆文化人類学:音楽は、歴史であり、人生
「乙嫁語り 森薫(作)」を読んでいる最中に、ひょんなことから
「恋する文化人類学者 鈴木 裕之 (著)」と出会った。
そこでアフリカの婚姻システム(しきたり、という堅苦しく形骸化したものではなく素晴らしい仕組なのであえてこう表記する)を紐解くうえで、
「グリオ(語り部)」という存在を知った。文字を持たない文化にとって、音楽は巻物や本と同じような感覚で扱われているのである。
乙嫁語りで、結婚式といって歌い踊っているのは、ただ楽しいからではなかったのだ!

音楽は、歴史であり、人生だった。

■音楽は言語だ!

日本古来の「音楽」はそもそも楽譜などなかった。
耳と感覚、見様見真似で覚える世界。なんと優しく、自由なことか。
形として明文化し表現できるようになってしまえば、口頭継承など無くなるのはしかたないのだろうが、五線譜はあまりに窮屈で楽しむことなどできぬ。

私と同じく、学校で”音楽”が苦手だった人へ:
私から見れば、今の義務教育で教わる”音楽”は、総じて「西洋楽(外国語)」だ。
学校教科で”音楽”が苦手だったとしてもそれは、「英語が苦手」と同じ。
「音楽はダメ」と遠ざけてしまわないで、どんどん別の音楽と出会ってほしい!
英語がだめでもロシア語なら、ヨーロピアンの音楽がダメでもアフリカンなら得意かもしれない!!

音楽――音を楽しむ——それ自体は、音という不思議な存在は、
間違いなく世界共通言語だ。
言語として扱ってもいいはずだ。

この考えが一般的にはならずともいいけれど、
だけどせめて、そんな世界が在ることを、
どうか、”音楽”の得意な人たちにこそ知ってもらいたい。

この記事が参加している募集

コンテンツ会議

最後までお読みいただきありがとうございます♪