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この世で最も凶悪なものは「完全無欠の善」なのかもしれない

かまわぬ/そなたが光なら光など要らぬ!
――宮崎駿「風の谷のナウシカ」

社会主義に無理があったのは、「どんな人間も教育すれば真面目で勤勉な働き者になる」という考え方に基づいているからで、キリスト的世界に横たわる「人間は善いことをするために生まれてきた」というのは開放なようで束縛だ。

しかし、
人は「教育を受ければ素晴らしい人間になる」「人間は善いことをするために生まれてきた」を否定できない。ほかでもない人自身が、それを否定したらそのに瞬間あらゆる非人道的なものにさらされる。人間である以上は、賛同せねばならない。

生命を守るための自粛でQOLが下がろうと、「生命を守る仕事は善、儲ける・遊ぶ(生活を守る)は悪」と石を投げられようと、生命体である以上、「“生命を守る”のは善」に賛同せねば明日の命はない。

誰もが賛同するしかない、どう考えても正しく、美しい理想・目標・理念は、実は人を束縛し批判し首を絞め苦しめる存在だ。
果たしてこれらは善なるものか?

善意と悪意があって、善意の方に平和があり、悪意の方に暴力があるなんて考え方は、完全に間違っていますね。時には、善意のほうが暴力に近いんですよ。
――平野啓一郎『決壊』

YOU know.
人間は怠惰で適当で弱くて横暴。
同じ過ちを繰り返すし、そのくせすぐに忘れるし、飽き性だし、菌類がいなければ生きていけないのに、狂ったように除菌する。

無機物なら病気になることもなく、AIなら社会主義も恒久平和も実現できるかもしれないが、果たして我々は、無機物やAIになりたいのだろうか?
ナウシカの旧世界の住人たちは、一体どんな世界を夢見たというのか?
我々は、一体どんな世界を夢見いるのだろうか?

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もともと善悪という考え方の薄い神道ルーツ仏教かぶれの島では、他の島に比べて善悪はいとも簡単にひっくり返る。
「人間は善いことをするために生まれてきた」も「人間は神を称えるために生まれてきた」という美しい究極の真理もなくて、大荒れの海で常に揺れている方舟のなかでは、浮き上がったほうの甲板にみんなで移動しないと沈んでしまう。皆、生き延びるために必死なんです。生命だから。

ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん

今日も箱舟は揺れている。
船も人もぐらぐらのぼろぼろのぐだぐだ。
昨日のことを今日は忘れる。
明日は分からない。
だるーん、ほどほど、くそくらえ。

それってなんか、優しくてあったかいね。

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