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【ネタバレ有】シン・エヴァのラストシーンについて

【前置き】

当記事の文字数:約2500文字
読了時間目安:4,5分
ネタバレ有につき、本編未見の方には非推奨

ここではシン・エヴァンゲリオンの最後のシーンのみをピックアップし、それについて思う所があったので、書いてみたました。

【ラストシーンへの解釈】

私は最後の駅のシーンを観た時、大人の風貌に成長したシンジと、そのセリフに驚きました。「だーれだ?」と目隠ししてくるマリに「胸の大きい良い女?」と返すシンジ。旧・新共に、間違いなく、彼はこんなセリフを吐くキャラではありませんでした。「相変わらず良い匂い。大人の匂いだね」と言うマリ。「相変わらず、君は可愛いね」と、これまた彼らしからぬセリフを返すシンジ。「いっぱしの口をきくようになって」と感心するマリ。(※記憶頼りですが、こんな会話だったと思います)

シンジは、声すらも変わっています。女の子に抱き着かれ、あたふたする少年シンジは、もういません。それどころか、マリの言う通り、いっぱしの口を返せるようになったのです。この時、私は強烈に「あぁ、シンジは身も心も、本当に大人になったんだな」と実感しました。(※大人ってこういうものか? という議論はさておき、そういうシーンだと解釈しました)
なぜなら、作中のクライマックスで「大人になったな、シンジ」とゲンドウも言っていたように、シンジの大人への成長は、本作における大きなテーマの一つでもあるからです。

「だーれだ?」は、作中で既に一度、マリがシンジにやっています。その時のシンジの反応は、まさに今まで私達が見て来たシンジそのものです。ですが、最後に再び同じことをされた時、彼の反応は全く変わっていました。これもまた、シンジが大人になった事へのわかりやすい対比だと思いました。
そして、マリはシンジの手を引き、エヴァのいない、再構築された新しい世界=実写(現実)に連れ出して物語は終わります。

マリは、新劇場版から登場した新キャラです。そういうメタ的な意味でも、また、作中の謎多きキャラとしても、他のチルドレン達とは一線を画しています。

エヴァパイロットはみんな、エヴァの呪縛に捕らわれています。14年間、歳をとっていません。シンジは初号機の中にいたからとも言えますが、少なくとも人(リリン)とは異質の存在になっていることは、人間は防護服無しではいられない赤い世界にいられた事からも明らかでしょう。また、第三村のアスカの「まだ食事を楽しめる内に楽しんでおけ」というセリフからも、察する事ができます。

しかし、マリはその点においても、少し奇妙かもしれません。シン終盤で判明した通り、彼女はユイやゲンドウと同期です。まだエヴァの無かった(おそらく)時代から、既に歳をとっていないように見受けられます。クローンでしょうか?あるいは、当時から既に呪縛自体は存在したのでしょうか?このあたりは想像の域を出ないため、この辺にしておきます。

シンのクライマックスで、色々な意味で覚醒したシンジは、アスカ・カヲル・レイの一人一人と面会していきます。ここで、マリとは面会しない点でも、やはり彼女は異質です。私はこの時、少し違和感を覚えました。各々と面会する時のシンジは、まるで狂言回しのようだと、パンフで緒方さんがコメントしておりました。それをきっかけに、違和感の正体に気付きました。それは、シンジもまた、アスカ・カヲル・レイと同じく、エヴァの呪縛から解放され、救われるべき立場ではないか?という思いでした。

話を最後の駅のシーンに戻します。そこで、マリの出番でした。駅で座るシンジの首からDSSチョーカーを外し、新世界へと大人になったシンジの手を引いて走り出す。ここで、私の違和感は完全に払拭されました。とてもわかりやすい、エヴァの呪縛からの解放でした。新劇において、あらゆる意味で特殊な立ち位置だったマリ以上に、この役に相応しいキーパーソンはいないでしょう。

シンエヴァの冒頭は、「どこにいても必ず迎えに行くよ、ワンコ君」から始まります。そして言葉通り、彼女はシンジを迎えに来てくれました。本編の流れを汲んだ、非常に収まりの良い、綺麗な最後だと思いました。

【ネット上の解釈】

しかし、ネット上には「シンジとマリが唐突に恋人同士になっていてビックリした」という感想で溢れていました。

散々上述の解釈を述べましたが、正直、私もそう感じた一人です。

そう、余りにも唐突です。二人の間にそんな要素は今まで無かったのですから。しかし、二人の最後の交流だけを切り抜いて見れば、完全にカップルのそれです。描写があったならまだしも、この唐突さは、どうにもモヤモヤしてしまう。そんなモヤモヤと、「あの会話は、恋人同士のそれと言うより、単にシンジが大人になっただけでは?」という冒頭で述べた解釈が、最初に見た時、私の中で並立していました。

それに、恋人同士と結論付けるには、違和感を感じます。二人の会話は「相変わらず」「いっぱしの口をきくようになったね」と、普段から会っているカップルの会話には、少々聞こえ辛いです。とは言え、カップルを否定する要素には成り得ません。違和感はその後、マリがシンジのチョーカーを外すシーンです。なぜ、今更なのでしょうか? 普段から恋人同士として親睦を深めて来たのなら、とっくの昔に外しているはずです。遅れて出現したのでしょうか?あるいは、マリがその力を習得したのが最近なのでしょうか?それとも、以前の世界とは関係なくただのアクセサリだったのでしょうか?
そのような想像で補完せずとも「新世界で二人が会うのは、駅のシーンが初めてだったのでは?」と解釈すれば筋が通ります。二人の会話に久しぶり感があったのも、納得がいきます。その場合、シンジらしからぬセリフへの解釈は、冒頭で述べた通りです。

ですが、ほとんどの方が、混乱しつつも二人は恋人同士として結論付けているようです。掲示板の書き込みから本格的な考察サイトに至るまで、ほぼ満場一致でした(※私が見た限りでは)。

これだけ多くの方がそう受け取っていると言う事は、どうやら、私の解釈は不正解だったようです。しかし、解釈に正解はあるのでしょうか?
あるかもしれません。
作り手は、無作為にシーンやセリフを並べません。全てに何らかの意味や意図があり、受け手にどう見えるか、あらゆる可能性を熟考した上で、1コマ1コマを選んでいきます。観る側はその意図を正確に受け止めることを、正解と定義しているように見受けられます。そのせいか、どうにも、観る側には〝たった一つのゆるぎない正解〟があると信じ、それを求める傾向にあるような気がします。そう言う私も、身に覚えがあります。

ですが、製作者が答えない限り、正解が明かされる事は永遠にありません。と言うことは、必然、不正解が明かされる事もありません。そもそも、製作者は複数の受け取り方を許容しているかもしれません(むしろ、大抵はそうだと想像します)。であれば、解釈はいくつでも自分の中に共存させ、鑑賞して楽しみたいと思います。むしろ、解釈の数が多いほど、その作品を楽しめているのではないでしょうか。「作品は、クイズ本や問題集ではない」と言われる由縁かと思います。せっかくの作品なのに、正解に拘るあまり楽しめなくなっては、本末転倒ですからね。



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