「ドラえもん」に思う、「普通」の定義
小学生の娘が漫画のドラえもんを読むようになりました。
自分が子どもの頃読んだ漫画を娘が読むのは何だか不思議な気分ですが、それ以上に改めて読んだ「ドラえもん」の世界が衝撃でした。
子ども同士の関係では、ジャイアンは気に入らないことがあると殴る蹴る、首を締める。自分が気に入ったおもちゃを無理やり借りて、返さない。
スネ夫はのび太だけあからさまに仲間はずれにする。
親の描写も強烈です。
のび太の母親はテストの点が悪いと正座で一時間説教し、「そんな子はうちの子じゃありません」「宿題しないと夕飯抜きよ」と言う。
ジャイアンの親は子どもに店番や手伝いを強要し、やらないと殴る。
スネ夫の母親は複数の塾や英会話等の習い事を詰め込む。
しずかちゃんの母親は娘をピアニストにしたくて、本人は乗り気でないピアノを習わせる。
どれも、今の現実社会であったら「いじめ」「暴行」「虐待」と言われるものが、「ドラえもん」の世界の「日常」で、「普通」の出来事として描かれています。
フィクションの世界では色々なことが大袈裟に描かれることは理解できますが、それでもこのギャップは「ドラえもん」が連載開始した1969年と現在との価値観の変化によるものが大きいのではないかと感じました。
その変化によって、暴力や虐待が除かれて望ましく快適な社会になっているのか、それともそれまで受け入れていたものを「異常」とラベリングして切り分け、どんどん「普通」の定義を狭めて、息苦しい社会になっているのか。
必ずしも前者だとは言い切れないと感じてしまいました。