「おいしかった?」の代わりに
「どんな味だった?」という声掛けをよく使っている。
大人が「おいしかった?」とたずね、
「おいしかった!」と子どもが答える。
このコミュニケーション方法も素敵だと思う。
否定したいわけではない。
おいしそうな顔をした子どもに対して、気持ちの共感をするときには「おいしかった?」と笑顔できく。
子どもが食べる給食やおやつ、保育士は一緒に食べないのだけど、「おいしかったねー」と言うこともある。
(園やクラスなど状況によっては一緒に食べることもある)
だけど、
「おいしかった?」と大人にたずねられたときに、子どもが条件反射で「おいしかった」と言っていることがあると感じて、「どんな味だった?」ときくことがある。
子どもの場合、味に対する語彙が少ないので、
「どんな味だった?」の次に、
「甘かった?辛かった?苦かった?酸っぱかった?固かった?柔らかかった?」
など、私が一息で言える限りの回答をこちらから示すこともある。
選択肢はその時の私の思い付きで羅列するけど、必ず”絶対にこれは入らないだろう”と思うものも入れておく。
例えば
ホットケーキの時に、「固い」「苦い」など
唐揚げの時に、「甘い」「酸っぱい」など
食べ物の感想を表すことばは「おいしかった」だけではないことを知ってほしいというのがねらい。
子どもの回答が、私の出した選択肢の中にない「ふわふわだったよ~」なんて回答が出たら、心の中で(やった!)と思う。
もちろん中には「おいしかった!」という回答が出ることもある。
その場合は、「そっか、おいしかったんだね~!よかったね~!!」と共感する。
「おいしかった」以外の表現を知った子ども
ある日、給食のサラダを食べて、「これ、すっぱいねー!」を繰り返していた子がいた。
なぜかこの時、子どもが自ら「すっぱい」と発言したことで、
酸っぱい=好きではない、食べにくい
と調理員も保育士も決めつけてしまい、
「あら?酢、入れすぎたかな?」
「検食した時はそんなことなかったけど」
「酢の種類が…」
などと、子どもの酸っぱい発言をネガティブに捉えていた。
その間にも「すっぱいねー!」とその子は言っていた。
そして、スプーンにすくったサラダを口へと運んでいる。
何回目かの「すっぱいねー」で気付いた。
その子の求めていたものは共感。
ただ一言、「すっぱくておいしかったんだね」と言ってほしかったのだ。
「おいしい以外の表現も知ってほしい」と自分がやってきたのに、それが実を結んだことに気づけなかったことを反省。
いつの間にか選択肢がなくても、自分から味の感想を言える子どもになっていた。
こういう時に、(自分のことは棚にあげて)子どもの成長をしみじみ感じる。
「おいしくなかった」や「これ、にがて」などでもいい。
どんな感想でも「そうなんだ」と無条件に大人に受け止めてもらうことで、自分の思ったことを言葉で表現できる子どもになってほしいと願う。
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