見出し画像

第3回 「倉橋惣三に学ぶ|自己充実」

『幼稚園真諦|倉橋惣三 著』

読むたびにあふれる気づきや学びを書き留めていきたいと思います。

この本は、昭和8年(1933年)夏の

「日本幼稚園協会保育講習会における講演の筆記」となっています。

実践からきている内容であることを踏まえると、およそ100年前の状況を見ることができると言えるのですが、知らずに読んだとしたら、現代に書かれたものだと思うほどに時を越えて響く内容です。

第3回は、

倉橋のキーワードのひとつである

「自己充実」が登場します。

第1編-3 生活へ教育を

倉橋はこんなことを考えていたようです。

幼稚園に子どもを来させるのではなく、幼児教育の目的を持って、保育者が子どもが生活している現場へ赴く。

”出かけ保育”と表現しており、子どもの生活(遊んでいたり没頭していたりなど)へ教育を持っていく、出張保育とも言えるような会社を作ることも夢想していたと書かれています。

子どもの生活形態を全く自然のままにしておいて、保育が出来るでしょう。(P26)

これは余談だとしても、幼稚園(現代では保育園、こども園を含む)というのも、こうした心持ちであるべきではないかと。

”教育の場所である前に、子供自身の場所であるのが幼稚園”

このニュアンスが伝わりますでしょうか?

前回出てきた「幼稚園臭さ」に通ずる部分でありますが、

子どもの場所をつくっているようで、子どもを教育の目的の側に寄せているような構造になっていないかという確認は、やはり我々保育者には必要な問いなのだと思います。

子どもの自ら育つ力を信じる

保育者側に正解があって、それを子どもが探し当てていることが必要な状況もあるかとは思います。

しかし、それを「考える力」だと言ったり、「子ども同士で話し合いました」と言ったりするのは、雑なとらえ方で適切ではないと考えているのですが、これは”目的の押し付け”とも表現できるかもしれません。

子供自身が自分の生活を充実する工夫を自ら持っていることを信用して、それを発揮出来るようにこしらえておいてやりたいのです。すなわち、こちらの目的を子供に押しつけるに都合のいいように仕組むのではなくして、子供が来て、ラクに、自分たちのものと感ずるようにしておいてやりたいのです。(P26)

今でこそ、子どもに自ら育つ力があることを理解している方が増えていると思いますが、フレーベルに影響を受け、批判的な部分を持ちながらも、子ども自身が成長しようとするその力強さを継承してきたと言われる倉橋が、この時代(1930年代)にこのメッセージを幼児教育者へ伝えていることに胸が熱くなります。

ローリス・マラグッツィ(レッジョ・エミリア・アプローチの創始者の1人)が母親たちと学校をつくる前に、アプローチは違えど、子どもの自ら育つ力を信じた幼児教育を日本で自ら実践していたことになります。

自然な満足

喜ぶように、うれしがるように、あるいはことさらうれしくも楽しくも思わないほど、子供が自然な満足を感ずるように、そういうように、心をつくしておいてやりたいのです。(P28)

少し話はずれますが、

「いつも明るく元気に」

「みんな仲良く」

よく聞く言葉。ある側面しか見ていないような、大人の子ども像。

”見てすぐ分かる盛り上がり”だけでなく、

じわじわと広がっていくような静かな喜びや、本人も気付かないようなささやかな満足感。そんなところも大切にしたいと私自身は思っています。

そして、悲しさや悔しさなども、変にこちらで色をつけないで、子どもが感じるそのままを受け取ることを入り口にした関わりを大切にしています。

そこにきて、自然な満足という言葉に惹かれる自分がありました。

たしかに誰かにつくられたような満足ってあるのかもしれません。

続いて、アメリカの教育局から届いたナースリー・スクールについての情報にも触れられています。その内容は本書で確認いただければと思いますが、「こうあるべき」や良いか悪いかといった視点ではなく、どこまでも子どもの生活や育ちと現場での実践を照らし合わせて考察する内容が勉強になりました。

子どものさながらの生活を大切にする

子供が自分の生活を先生の教育計画で指導される前に、いわんや教育される前に、先ず自己充実の一ぱいにできる自己の天地をもち得るように、幼稚園でも十分迎えてやりたいものです。(P29)

自由から生まれる自己充実は、

放任や考えなしの営みでは起こりえない。

ここの最後はちょっと強い表現が使われているのですが、

言い換えると、「保育者のあり方」が問われているように感じます。

容易ではない子どもの自然な生活をそのままにする苦労にこそ、この道の達人と言えるものがあるのではないかと、倉橋からのメッセージが続いていきます。

ー第4回につづくー

倉橋 惣三|くらはし そうぞう
1882年(明治15年) - 1955年(昭和30年)
静岡で生まれ小学生のときに上京。
フレーベルに影響を受け、日本の保育や幼児教育の礎を築いた人物。
日本での“幼児教育の父”、“日本のフレーベル”と呼ばれている。
享年72歳。

[参考文献]
・倉橋惣三 「幼稚園真諦」(フレーベル館・1976年初版発行)


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?