介護の仕事を現場でしていた頃。

自分の無力さに愕然としたことがある。

そこは老健であり、
私は介護講師の仕事をしながら週3日のパートで
運動指導員として働いていた。

内情は酷い有様であった。

介護をできるスタッフがいない
意識が高いスタッフがいない
知識を持っているスタッフがいない

スタッフに生気はなく、
与えられた仕事を時間だけ過ごせばよい

そんなオーラが伝わってきた。

「良くないと思います!」

介護歴10年、
介護講師として介護の知識を持つ私は
すぐに声を上げた。

水分制限が分かってない
糖尿病患者の把握をしていない
整容の必要性を分かっていない
口腔ケアをしなかったら利用者がどうなるか分かっていない

すぐに自分は実行に移した。

運動指導員として入ったが、
生活そのものがリハビリにつながるので
トータルで考えなくては意味がないだろう。

自分の考えを同期職員たちや元々いる職員たちに話し、
介護の仕方や知識を教えた。

私はすぐに上司に呼び出されることとなった。

「出る杭は打たれるってあなたのことよね。」

「私はそれを応援する。」

上司はそう言ってくれた。

周りも協力してくれるような雰囲気ではあったが・・・

私がいない日は前の通りか・・・

愕然とした。

利用者の立場に立ったケアを色んな職員を捕まえては話した。

そして聞こえてきた言葉。

「週3のパートに言われてもねぇ・・・」

しかも、私は介護職員として入ったわけではなかった。

反発を食らうのは必然であった。


多くの利用者が救急搬送された。

理由は分かってた。

不適切なケア。

そんな現場が危ないからって

私が呼ばれたのに。

救えない。

私は無力である。

私の生活を全て捨てて施設に住み込もうかと考えた。

主任に追い返された。

「許しませんよ。」

私は何もできない!

でも、できることはあるはず!!!!

と、アプローチを続けているうちに
施設でぶっ倒れて動けなくなった。

私は最後の力で

「ここにまともな介護福祉士を雇って!大量に!」

と上司にメールを送った。


今でも悔しいが、
私の手を離れたので

私にできることは
講師として意識の高い人財を育てることと
自分の介護感の発信をすることである。


今、家庭教師の現場で悩んでいることがある。

生徒の学力の向上を手伝うのが私の仕事だが、
そこに家庭環境は切っても切り離せない。

家族全員が無理をしているのが見える状況で、
私にできることを考えて考えている。

私が、雇われの家庭教師でなければ
もう少し違ったアプローチができるかもしれない。

「クライアントの真のニーズは???」

そこを掘り下げて
サービスのご提案・ご提供をしていかなければ
プロではない。

本当の意味での解決にはならないではないか!!!

ああ、私のやりたいことはここにある。

ジレンマが私に気づかせてくれた。

私は雇われている場合ではない!!!

私はご家庭の真の悩み・ニーズをアセスメントし、

本当に必要なサービスにつなげる仕事をしたいんだ!!!

だから、私は起業届けを出したのであった。

漠然としたやりたいことを

言語化できなくて迷走していた。

これだ。

これが私のやりたいことだ。

その、悩みを持つ人を探すことは難しいだろう。

そこが最初の私の仕事だ。


何故、正規社員は私のやり方や考え方に反発する?

本当は恐れているのでしょう?

今やっている自分の仕事を否定されることを。

それで、周りの「声」に目をつぶって

「会社の方針にまずは従えよ」

となるのか?

(そのサービスを提供している会社の人が感情的になるのは
まだ分かるが、

全く関係ない仕事をしている人ですら私の考えに対して反論してくる)

そもそも、

何の為、誰のためのサービスなのか
考えてほしい。

利用者さんのため
クライアントさんのために

私たちはサービス業をしているの!!!

もっと、本人に寄り添わないでどうするの?

こんなに私が怒ったの、
久しぶりかもしれない。

怒りは私にパワーをくれる。

何がしたいかわからなくなっている私にカツを与えてくれた。

私は、

徹底的にご本人とご家庭に寄り添ったサービス提供者でありたいんだ!!!

久しぶりにパソコンで文章を書いた。

自分の真のニーズが伝わらなくて
機会を逃している方に

ぜひ、私のメッセージが届いて欲しい。

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