38歳プレ教育ママが考える子育てと本音

怖かった。

いつも、親に対して不信感を持っていた私は、

自分が親になることが本当に怖かった。


見下した。


考え無しで親になる人達を。


こういう人たちが育てる子供が
真面目に生きてる学生を虐めて
社会に害をなすんだって。


怖かった。


中高一貫の寮を出ることが。


怖かった。


自分が大人になることが。


それまで、
私は護られた空間にいたから。


周りの人達は、

「12歳で親元離れるなんてすごいわね。」

と、私を褒めていたが、
実際の寮生活は本当に安全な空間。


公立みたいに不良がいるわけでもなく、
目に見える虐めがあるわけでもなく、

自分に似た教育を受けて来た人達や
生活水準・価値観の人達がたくさんいて、

「社会」から目を背けて生きることが出来たから。


(その中でも、私は浮いてたけどね。)


勉強さえしていれば許された時代。


その勉強すら、
出来なくなったら、本当に私に取り柄がない。


私は、

怖さゆえに精神的に参ってしまい、
心の中に引きこもってしまった。


20歳。


同級生のほとんどはどこかしら大学に行った。


どんどん自信がなくなる私。


コミュニケーションも出来ない。

バイトもしたことがない。

唯一の取り柄であった勉強でも落ちこぼれ。

家事をしたことがなかったので、
料理も掃除も洗濯物まともに出来ない。


周りの人とコミュニケーションを取れなくなった私は

携帯電話のチャットにハマった。


羨ましくて仕方のない生活をしている人達が
そこにはいた。


皆、自由なのだ。


仕事して結婚して子育てして、
自分の好きな人生を送っている。


半分、好き勝手生きてる人を見下し、
半分、激しい嫉妬をする。


20歳で子育てをしている元キャバ嬢のヤンママと
友達になった。


最初は、自分とかけ離れた生活をしている彼女が
怖かったけど、

本当にいい人だった。


家が近かったので、
何回か家に遊びに行って子供と遊ばせてもらった。


「最初、嫌いだったけど、
頑張ってるから友達になった。」


と言ってくれた。


嬉しかった。


私は、親の期待する方面とは違ってしまったけど、
頑張ったと思う。


それまで接したことのなかった人達と
接する中で、

いかに今までの自分の世界が狭かったかを知った。


元キャバ嬢の彼女のアドバイスを受け、
私も接客の仕事をしたいと思い、

まずは叔母が経営している
焼き鳥屋で無理を言って働かせてもらった。


予備校には、途中から行かなくなった。


というより、行けなくなった。


焼き鳥屋では、私は

「使えない人間」であった。


コミュニケーションが本当に取れないのだ。


結局、親戚なのに、
叔母から解雇されてしまった。


今ならよく叔母の気持ちが分かる。


迷惑掛けてごめんなさい🙏


私がコミュニケーションが取れなかったのは
自分に自信がなかったから。


自分自身の考えを持たず、
親の言うことを聞いていれば
周りから評価されると勘違いした「ツケ」


それでも、

昔のチヤホヤされた栄光は忘れられない。


「私は最高に頭のいい神童だった。」


その時の「プライド」だけで、
私は周りを見返すべくリベンジに燃えた。


「今に見てろよ。」


勉強以外で、私は周りに認められるべく、

過去の栄光が全く関係のない世界に飛び込んだ。


どんなにキツい仕事でも頑張った。


どんな人とでも積極的に仲良くなりにいった。


結果、まさかのコミュ障の私が、
売上ナンバーワンの社長秘書、
店まで任されるようになったのだ。


私は自分に自信がなく、
その裏返しとして「高圧的」な態度をとることが
多かった。


だから、

本当は周りが羨ましくても
バカにしたふりをしていたんだ。


小さい時からずっとそう。


ゲームを持っている子が羨ましかった。

スポーツを習っている子が羨ましかった。

可愛い服を着ている子が羨ましかった。


皆々、大っ嫌いだったんだ。


私は小1の時から虐められていた。


私は勉強も運動も出来る
オールAの優等生だったのに、

常に周りに劣等感を抱いていたんだ。


公立中学に行きたくなかったのは、
低レベルな人間(自分をいじめる人間)に
関わりたくなかったから。


その反面、

自分が周りに持っている「羨望」を隠して
自分が羨ましがられたかったから。


怖かった。


自分が護られていた世界から出るのが。


しかも、

「ほほちゃんはそのまま東京の大学に行くんでしょう?」

と言っていた地元の人たちに
格好な虐めのネタをあたえるようで。


小さい時から、
近所のおばさんたちは私の成績表を覗きたがった。


褒めてるフリをして、
私をバカにするスキを狙っていた。


母は、

親戚関係や近所付き合いが
大っ嫌いだった。


「人は人!自分は自分だ!!!」


私はそんな母の考え方も嫌いだった。


「人それぞれを尊重したい。」


私は皆の輪に入りたかったんだね。


「普通」の人になりたくて、
仕方なかったんだね。


ただね。


私は気付いた。


自分が「親」になることを恐れていた私は気付いた。


「自分は自分、人は人で、合ってるよ。」


って。


当時の私の目には、
母のやり方は孤立したがっているように見えた。


母が周りをバカにしているから、
子供の私にトバッチリがくるような気がしたんだ。


だが、今なら分かる。


「人それぞれの考え方を尊重し、
自分に自信を持つことこそ、
周りとの調和をはかるコツなのだ。」と。


その解釈をするのは、私自身。


人生、色んな人がいて、色んな考え方を持っている。


その中で、

「私は私だから。」

と、自信を持って生きつつ、

同じように「自分」を貫く他者の生き方を尊重する。


それが出来れば、孤立などしない。


生き方を「取捨選択」するのに親は関係ない。


親はどの親も精一杯やっている。


私が自分が親になることを怖がったのは
自分が親の子育てを否定していたからだ。


それでも、「プライド」を捨てずに、
38歳まで無我夢中に生きることが出来たのは、

他でもない「親のおかげ」ではないのか???


私の3歳の時の将来の夢。

「お母さんになること。」

どこで忘れて来たのだろう。


どんなに一生懸命やっても
どこかで子供は不信感を持つことはある。


それは、親以外の誰かを知った時。


その時に、柔軟に対応できるメンタルを育むことが、
親だけでなく、周りの大人にも求められる
「教育」のあり方。


そう気づいてから、
もう一度、自分の「夢」を追ってもいい気がした。


「お母さんになること。」


いつまでも人のせいにして甘えてはいけない。


私は自分の人生を、選んで生まれてきているはずなのだから。

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