日本型の人事制度が時代遅れなのはだいぶ明白になったけど、ジョブディスクリプションが解決策ともかぎらないと思った件
長時間労働と働き方改革、そしてコロナ渦による「ニューノーマル」のため、大企業でジョブ型の人事制度の導入に踏み切る会社も出てきました。
上記の記事では従来の日本企業にありがちな、曖昧な職務内容をなんとなくこなす「メンバーシップ型」と対比して「ジョブ型」を説明し、さらに第三の型として「自営型」(半分フリーランスのような)を提唱しています。
この手の話題を聞いていると、なんとなくモヤモヤするものがあるので、ちょっと整理してみようと思いました。方法論はなんでもいいけど、ちゃんとやりたい中間管理職向けの内容です。
欧米型の与太郎と金魚
落語の噺※です。
最近、近所の猫が悪さをするので飼っている金魚が食べられやしないかと心配しているご主人が、外出することになりました。
留守番の与太郎に「金魚をよく見ておくよう」に言いつけて出かけます。
帰ってくると心配した通り、鉢の金魚はいなくなっています。
「おい、与太郎、ちゃんと見ておけと、あれほど言ったじゃあないか!」
と怒るご主人に対し、
「へぇ、あっしはちゃんと見てました。確かに猫が金魚をくわえていきやした」
このストーリーが、日本社会の感覚としては与太郎がなんとも間抜けなキャラクターに見えて、笑いのポイントになるわけです。一方、欧米ではご主人の指示が間抜けだったと、別の視点で笑いのポイントになります。
ジョブ型というのは、職務記述書(Job description)というドキュメントに具体的な仕事内容を記述してそれを遂行してもらう、という形式です。
まさに、上の噺の例でいえば、
「金魚を見ておけ」だと、金魚を見ておくのが正しい、となります。
「金魚が猫にさらわれないようにする」だったら、金魚を見るより猫を寄せ付けないという行動をするべきしょう。
これを突き詰めると、職務記述書を発行する上司(オーダーする側)は全知全能であり、微に入り細を穿つ細かい指示ができる能力が必要になります。
一方で、指示を受ける側は、そこまで明確なら人ではなくロボットのほうが正確にオペレーションできるようになってしまいます。
狭い範囲の常識(暗黙知)に重きをおく「メンバーシップ型」も、明文化されることに重きをおく「ジョブ型」も一長一短です。半分フリーランスの「自営型」も、能力があって安定的にその需要があるという前提なら成り立ちますが、そもそも、その前提なら「メンバーシップ型」でも「ジョブ型」でもあまり問題はないわけです。
むしろ予測が難しく変化が速く不確実で複雑で曖昧な(いわゆるVUCA:Volatility、Uncertainty、Complexity、Ambiguity)の時代に必要なのは、マネジメントも働く側も協力して「明確で、裁量がある」という状態に持っていく、そんな新しいバランスのとり方が大事なんじゃないかと思うのです。
どうしても日本の組織は「問題を認識」すると「解決策を探す」指示が出て「解決策を見つけました」という報告に基づいて「解決策を導入」という流れになりがちですが、コトはそんなに単純なモデルではないのです。
課題解決型のマネジメントと裁量
システム開発やサービス開発の現場では、問題の管理・課題の管理手法が発達してきました。その手法を応用すれば、多くのマネジメントの場面に活かせると思うのです。
課題の評価、分割
よくある話で、初めに問題だと思っていたことは実は氷山の一角だったり、物事の一面しか見えていなかったりするものです。
課題解決の場面でも同じことで、初めに「課題」と認識したものは正確には明確なタスクに分解されていない「未検討の課題」です。
不満に思ったことや気が付いたことが「課題」的な文章表現になっているだけで、多くの場合はまず情報が足りていない状態です。
なので、まずは情報を集める、そして整理・分類・因果関係の整理・相関関係の整理を行ってから、
「その課題は解決する価値があるか」
「解決するとしたら、どんな打ち手になるか?(アイディアも必要)」
この二つを議論する必要があります。
つまり大抵の「課題」は、「情報収集」「解決価値検討」「解決方法検討」「詳細タスクへの分割」という4つのアクティビティに分解されます。
このプロセスが順守されると、情報を集めたとたんに解決価値がないことがわかり(問題は解消する見込みだったり、影響範囲が十分に小さかったり)その時点で検討する必要のない問題となることもあります。
非同期コミュニケーションを活用
これらの「課題」群の整理を週に1回の定例ミーティング(例えば1時間)でそのまま実行してはいけません。1つの課題に15分の議論の時間を割くと4つしかこなせません。
運用を続けていくと施策を実施した課題の進捗状況も気になるし、何かの障壁にあたることもあります。
1時間の定例ミーティングの時間があるなら、20分~30分はそちらに充てるべきでしょう。
そうすると、課題の検討に割ける時間は多くても40分程度です。
その時間の中で効率的に検討を進めるには、非同期型のコミュニケーションを併用するしかありません。
JiraとかBacklogなどのツールを使って、「課題」を登録し「情報収集」をするところまではミーティングの外でこなしておきます。
そして「解決価値がありそうだ」というところまで昇進した「課題」だけがミーティングのアジェンダにラインナップします。
場合によっては「解決方法」の候補出しまで、非同期(事前に)で実施可能です。
ミーティング前の検討で「解決方法検討」まで済んでいたら、あとは「詳細タスクへの分解」だけ話し合えばよいのです。具体的には「誰が、何を、いつまでにやる」ということを合意するだけです。
議論の余地がなければ能力・スケジュール・経験値を勘案してアサインするだけなので、一つの課題について、早ければ1分、多少の議論があっても5分程度で片付きます。
そこまで順調に進まなかった「課題」で、「解決価値の検討」が議論の焦点になるものには5分~10分の時間を割くべきでしょう。
この形なら、1時間の定例ミーティングで平均的に5~7個ぐらいの課題が検討出来て、タスクへ落とし込み、進捗管理のフェーズに持っていけます。
常時10~15件程度の仕掛中のタスクがあれば、残りの時間を進捗管理と障壁対策の相談に充てられます。
ニューノーマルのマネージャーの仕事
ニューノーマル以前のマネージャーの仕事は、ぶっちゃけたところこんなことなんではないかと(当然、組織にもよるけど)。
抽象的な目標で部下を管理
一応、KPIという言葉が躍動し、適度に合意可能な<数値目標>が置かれたりするけど、達成しようとしまいと関係なく、印象や頑張り具合(という名の忠誠度の示し方)などで評価され、「ハロー効果ではありませんか」という人事の指摘をかいくぐるための理論武装をする。
部下の相談に乗るという名目の説教
「ちょっといいですか」と、管理職研修ビデオみたいなシチュエーションで部下に声を掛けられ、話を聞いているうちに、要領を得なくてイライラし、モロに態度に出してしまうか、アンガーマネジメントを心得ていれば別室へ移動し、部下の話を聞いているはずが、いつの間にか説教になっている。という形の、「相談」。
プレイングマネージャーという間違ったリーダーシップ
「現場を忘れられない」というか「現場が大事」的なロジックを弄して、プレイングマネージャーよろしく、自ら先陣を張って突撃し、無理筋な指示と檄を飛ばして屍累々。上席への報告は「思うように採用が進まず、人材不足の影響が響いています」的な趣旨で、軽やかに自分の責任を人材確保難という世間のトレンドにすり替える。上席もそうやってきた人なら、そこで思考停止するので「とにかく、踏ん張って頑張ろう」とおめでたい結末。
目標管理も部下の相談に乗るのも、自ら先陣を切るのも別に悪いことでありません。ただ、すべては「課題が明確である」という前提があって初めて成立することです。
VUCA(ブーカと読むそうです)の時代で、ニューノーマル対応が必須の昨今にあっては、とにかくマネージャーの仕事はメンバーと力を合わせて、さまざまな視点から「課題を明確にすること」の一点に尽きます。
それさえできていればメンバーの一挙手一投足を監視しなくても、タスクを担当した履歴から自然とパフォーマンスを評価することができるようになります。
また、相談を受ける際も「課題」についての相談なのか「人間関係(職場・顧客・取引先)」なのか「それ以外」かで分類できるので、多少の人生経験があれば適切な傾聴のモードを選択できるはずです。
そしてリーダーシップとしては、課題の管理をエンジンとして、タスクを明確に、障害が起きたら一緒に頭をひねる、誰が何をやっているかもわかりやすい、という環境を作り出すことに成功し「メンバーをエンパワーするリーダーシップ」が自然と発揮できるようになるでしょう。
※ちなみに「与太郎と金魚」の話には余談があります。落語の噺として伝え聞いていたのですが、10分ぐらいGoogle検索しても原典が不明でした。その代わり「猫と金魚」という話が有名とのこと。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%8C%AB%E3%81%A8%E9%87%91%E9%AD%9A
以下、余談です。
「猫と金魚」の原作者は、実は漫画家の田川水泡(「のらくろ」の作者)だったのですが、この演目を得意とした噺家の自作という話になっていたものを、のちに放送局が真実を突き止め、著作権料を田川氏に支払おうとしました。
しかし、田川氏は、
”放送局に対し、著作権料は全額、権太楼の遺族(再婚相手と遺児)に廻してもらって、権太楼の霊へのはなむけとしてほしい、と伝えた”(Wikipediaより)
とのこと。いい話であります。
ニューノーマルだろうとVUCAだろうと、一番大事なことは「誠実であること」に尽きるかもしれない、と思った次第です。なんだか、まとまりなくてすみません。