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【日記】銀座のこばなし

こんにちは。
皆さんは、銀座という街にはどんなイメージがありますか?

私は仕事柄その土地の名前の由来や歴史を調べるのが好きで、今日は世界的にも名が知られている、銀座という街についてご紹介してみたいと思います。

銀座といえば日本有数の繁華街ですが、銀座四丁目は日本一地価の高い場所ということでも有名で、「銀座」というだけでブランド感が出ます。

しかし、どこか下町感もあり多くの人に愛されている街でもあるなぁと、個人的にも好きな街の1つです。

そんな銀座、実は江戸時代前は海だったのはご存知でしょうか。

隅田川の運んできた砂によって江戸前島という砂州ができていました。

銀座はその先端だったのですが、実は徳川家康が1603年に天下普請(今で言う公共工事)し整備されたそうです。

それから時は流れ、しばらくは御用達町人の場所として発展し、職人の町であったようです。

この時、銀貨幣の鋳造所があった事から、「銀座」という名前になったそうです。

ここからは余談ですが、個人的に好きなので余談のほうが長いです。(笑)

日本橋、新橋、銀座などを、文明開花の象徴的な街にしたい、との構想から、1872年より銀座煉瓦街建設が始まります。


こうする事で、火事が多かった東京を不燃都市化する事ができました。

しかし、多くの住民は煉瓦家屋の払い下げが高価で立ち退きとなったため、代わりに他の地区で成功を収めた商人たちが銀座に集中しました。

現在「老舗の銀座」とされる店舗の多くは、この時期に進出した店なのだそうです。

この時、大阪から来た商人が故郷を懐かしんで植えた柳が、今の銀座の象徴となる木として広がり、今でも毎年行われているのが「柳祭り」です。


それから1923年、関東大震災で壊滅的な被害を被り、煉瓦家屋のほとんどが取り壊され、道路の幅を拡げました。

ちなみに戸越はこの時壊された煉瓦をもらいうけ、排水処理に利用したため、「戸越銀座」と名乗るようになったことで、全国初の、いわゆる◯◯銀座ができました。


その後、第二次世界大戦の影響で広告灯、ネオンサインが消滅、1944年には警視庁により劇場、料理店、芸妓屋、バー、酒屋が閉鎖され、終戦後は松屋、服部時計屋など多くの商業施設が連合国軍のPX(post exchange=売店)として接収されました。

その時の名残なのか、銀座フェニックスプラザなど、PXをもじった建物が現在も実は多くあります。

そして1970年代以降、新宿、池袋、渋谷のような副都心地区の開発が進み、お客様は分散しました。

しかし銀座は発展し続けます。
スターバックスの1号店や、アップルの1号店の他、今では無印良品の世界旗艦店など、様々な小売の本店が出店して、世界中から観光客が来る巨大な街となりました。

いかがでしたでしょうか。
銀座を訪れる機会がある時に、少し思い出して頂けると嬉しいです。

今回は少し趣向を変えてnoteを書かせて頂きました。少しでも面白いと思って頂ければ幸いです。

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「最愛のものを増やす」ほがらん代表。 1989年福岡県生まれ。 映像制作会社を経て途上国発のブランド、マザーハウスに2012年入社。 オフラインとオンライン、経営と現場を横断しながら8年間従事。 販売と広報に特化した実践コンサルティング会社ほがらんを2020年11月創業。
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