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姉と私

本当は、80歳過ぎるぐらいまで、ずっと姉妹仲良くあれこれおしゃべりしながら楽しく生きていけると思っていました。そこに対しての不安も恐れも何もありませんでした。

それが、姉の病気がわかってから、少しの不安と、大丈夫と信じる気持ちとで揺れ動いた。でもまだきっと大丈夫と、姉に限ってまさかという思いの方が強かったんです。

ところが運命は残酷で、本当にあっという間に、病気がわかってから3年、39歳で旅立ちました。

80過ぎまで一緒に生きるつもりが、まだ半分の年齢・・・。
でも、姉との別れを、この年齢のうちに経験したからこそ気づけたこともあります。

姉は常々、

「病気の辛さを見せて周りに不安とかネガティブな気持ちを与えるより、ずっと笑顔でいて、いつか病気が治ってから、実はあの時病気だったんだけど治療頑張って治ったんだよ~!ってびっくりさせる存在になりたい」

と言っていました。

結果、病気は治らなかったから、姉の願いが叶わなかったように思えるかもしれないけれど、そんなことはありませんでした。

姉の死を知り、病気のことを知った周囲の反応はすさまじくて。

「お姉さんがそんな闘病生活してたなんて全然知らなかった!笑顔の記憶しかないもん」

「会うたびに、いつもこっちが相談乗ってもらったりして元気もらってたから全然気づかなかった!お姉さんってすごい人だね」

「お姉さんに大切なこと教えてもらった。自分の悩みがどれだけ小さいことかって思った。頑張るよ。ありがとう」

「お姉さんの話、伝えたい人がいるんだけど、病気のこと話してもいいかな?」

こんな言葉をたくさんもらいました。みんな、涙いっぱいで、姉への感謝の気持ちを私達遺族に届けてくれました。

姉が願っていた、皆に笑顔と元気を与える存在でいたいという願いは、ちゃんと叶っていたんです。

そこで私も考えました。

私がもし、姉の立場になったとしたら、どんな存在でいたいのか。
自分がどうありたいのか。

私も、姉のように、周りに元気をわけてあげられるような存在になりたい。でも、私は、姉ほどは明るくない。
姉のようにはなりたいけれど、姉にはなれない。

それなら、私には私なりの元気の分け方があるんじゃないだろうか。

姉のように、自分の辛さを見せずに笑い飛ばしてっていう元気の分け方じゃなくても
自分の辛さや弱さを見せて、同じ立場で一緒に気持ちを共有するっていう方法での元気の分け方もできるんじゃないかなって。

姉は、やはり長女気質だったのか、自分のことを差し置いて相手の面倒を見てあげるお姉さん的存在、まさにみんなのお世話役でした。

逆に私は、末っ子気質だからか昔からずっと甘えん坊なのは変わりないので

強がりもせず、素の自分をさらけ出しながら、同じ立場の人に手を差し伸べる同志のような存在になれたらいいなって。

それをカタチにするための空間作りが、このnoteという場所です。

姉との別れを経験したことで、今の自分がどうありたいか、そしてこれからどういう自分になりたいのか、人と関わる上で自分がどういう存在でありたいのかを考えることができ

おかげで、noteを始めるという行動に移すことができました。

noteというサービスを知ったのは、姉が亡くなって1年たった時でした。

それから少しだけ、悩んだ時期も経て、10月1日、ようやく書き始めることができました。

私が令和元年に宣言すること。

それは、姉と過ごすつもりだった80歳まで、残り半分の40年。

私は自分の命とnoteがある限り書き続けるということです。

書きながら、読みながら、たくさんの人と出会いたい。
たくさんじゃなくてもいい。私の経験や知識を必要としている人と出会えるだけでいい。

そんな思いで今日も、明日もずっと書いていきます。

私という身体と心の中に、書きたい、伝えたい、届けたいという気持ちがあふれていて、noteの中には下書き保存のタイトルがいっぱいです。

自分の綴った言葉が読む人の心にふわっと寄り添う瞬間がありますように。

#令和元年にやりたいこと

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