香川2日目の記録

6時に起きて顔を洗って、本当は温かいお茶でも頂いてから出かけようかしらなんて思ってたんだけど、そんな余裕は無く、わたしらしいなあなんて思いながらミカサスカサを出る。先に起きて外に出ていた原さん夫妻の旦那さんの方に会う。半袖だった。「寒くないんですか?」「ひんやりして気持ち良いですよ」「お若いですね〜(?)」流れでミカサスカサの看板と写真を撮ってもらうことになった。出発。

金蔵寺駅からは昨晩一緒に泊まっていた中国人2人組と一緒だった。まず多度津駅まで行って乗り換え電車を待つ。人はそこそこ多く、住む人が多いのか、それともみんな瀬戸芸かな、なんて考えながら朝ごはん。コンビニの稲荷おにぎりだけど、じわっと広がる甘みに幸せを感じつつ…。

多度津からは詫間駅まで。降りる人が多い。つまりみんな須田港から粟島へ行く人たち。無料シャトルバスに乗るのは、さっき電車の中で見た人たちばかり。

須田港に着くと、さらに人が多かった。自分の車で来た人たちだろうね。片道のフェリー乗船券と、秋の瀬戸芸パスポート。フェリーは人でいっぱい。なんとか一番最初の便には乗れた。フェリーからは讃岐富士が見える。昨日みたいな快晴じゃないけど、霞みがかって綺麗な空だった。


粟島に上陸!

人々が一斉に動き出す。島の一角に大勢の人間が密集しているのが気持ち悪くて、すぐに、一番遠い作品があるところまで歩いて向かう。まだ9時を少し過ぎたか過ぎてないかという時刻。わたしと同じ考えの人たちか、泊まっていた人たちかな、が、ちらほら。イベントの準備を始める地元の人たちも。緩やかな坂道が続く島の中を歩いて、港から一番遠い作品へ着いた。

静かな海だった。波の少ない、砂利か砂か、その間のような浜。曇り空と相まって、すこしぼやけた空気。心地良い。

展示作品の多いエリアへゆっくり向かう。小学校からなにやらガヤガヤ声が聞こえる。まるで生徒たちがいるかのような。16:10を指した多くの時計たち。ゴミ箱から聞こえる喧騒やチャイムの音が懐かしい記憶を呼び起こすようで、心地良い。考え過ぎかもしれないけれど、グランドピアノの響板の角度が16:10を指していたような気がしてならない。「鑑賞者にとって見えるもの全てが情報だから。逆に、見えるものしか情報が無いから」最近の作品の講評でそう言われたことを思い出す。

素敵な作品が沢山ありました。全部書くと長いから端折るけど。今回のお目当である先生の展示はすごく良かった。海というのはすべての生き物の生まれるところであり、帰るところだと思わされる。クジラの死骸。死ぬことは、地球になること、かもなあ、なんて。

漂流物を使った作品は強く印象に残った。わたしは少し前ゴミを描くのが好きだったから(今もべつに好きだけど)ちょっと惹かれるところがあった。海に捨てられたプラスチックは、動物が食べ、動物を傷つけ、海を汚す。人間が生み出した生態系の中の新たなルートかな。色々と考えたいことのうちのひとつ。

まだ時間が早い。お腹が空いた。そういえば朝、粟島に着いたときお弁当を売っていたけど、人混みが嫌過ぎて離れてしまったなあ。先のこと本当に考えないな……。お昼抜きかも、と思ったとき、可愛らしいパンが並ぶお店が。四国の方からこの期間だけ粟島で出店しているらしかった。甘じょっぱいあんバターパンがわたしの活力になっていく。では、いざ、高見島へ。


粟島から高見島へは座ってフェリーに乗ることができた。高見島は粟島よりも小さく、平らなところが少ない。山のてっぺんがぽっこり顔を出したような島だ。

はじめに海岸近くの作品を見に行く。大きな(おそらく)ガラスが家屋の壁を貫通している。中は暗いがガラスが集めた光が、ガラスのフチを辿って部屋に差している。

2つ目は解体された空き家の様々なモノを使って作られた彫刻。とにかくすごい迫力なんだけど、入り口?に実際に玄関のドアが使われていて、壁だったものか、天井だったものか、それとも元から床だったのか、木の板がまるで廊下のように並べられている。子供達が喜んで玄関のドアをくぐる。おままごとしたくなる彫刻なんだよなあ。分かる。そこには、形としての家は無いけど、確かに「家」がある。そんな風に感じた。その「家」越しに見た瀬戸内海。かつてそこに住んでいた人の暮らしが見えてくるようだった。

この作品がすごく良いと思って、ここですでに来てよかったなと思うのだけれど、高見島作品のすごいところはまだまだこれから。まず海岸沿いだけでは高見島の良さは伝わらないんだよ。そうなの。

海岸沿いを離れて多くの作品がある方へ向かう。人数も多く賑わっていた。平らな地図を見ながら歩いていて、だいたいどれくらいで目的の作品までつけるだろうかと見当をつける。分かれ道。ここを左だな。と、見ると、とーんでもない登り坂。貸出用の竹の杖なんかが置いてあって、ハアハア息の切れたおばさま方。体力使いそうなところに来てしまったなあと思うけれど、まあまだ若いからね。そう言い聞かせて頑張って登る。結構な起伏で道も狭く、なんだか怖いような気持ちだったけれど、その気持ちもすぐ消える。景色が本当に良いんだよ!水面近くから見た海も素敵だったけれど、高いところから見る瀬戸内海もすごく綺麗で。海と、船と、香川のぽこぽこした山が見える。人々の生活と物流と海流と。すごく好きだと思った。

坂の途中途中に家が建っている。坂の途中というよりは崖の上に家が建っていて、横を気持ち程度の道や階段が通っているような。作品たちは3作品くらいずつまとまっていて、(坂を考えなければ)回りやすい感じだった。沢山あった作品たちの中で、わたしが好きだったものを何点か。

・空き家だったという家屋で展示されていた、日本画家の作品。昔住んでいた家、現空き家に訪れたおばあちゃんたちについての記載があった。障子を思わせるそれに描かれているのは、家の記憶。

・今回の高見島の作品の中で1番標高の高いところだったんじゃないかな。かなり坂やら階段やらを登った先にあった小さな民家の一階では花を思わせる絵画が。その上の階には蚊取り線香の匂い。線香が街のジオラマのような形になっていて、燃えている。暗がりの中で燃える線香がいやに明々と輝いて見える。これには本当に衝撃を受けた。まず発想がすごいし、展示方や、あと匂いや煙の中にいる、その場に行かないと分からない空気感、すごい…。後々図録を読んで知ったのだけれど、高見島は除虫菊の栽培が盛んだったようで、それに関連した作品だったんだね…。そしてあの民家での除虫菊モチーフの作品は以前から一貫して作っているものらしく、そんなこと聞くと、また3年後も行きたくなるな。

・海のテラスみたいな名前だった気がする(今、図録やパンフなどを見ずに書いています)。その奥(しかもその奥かい)の映像作品。まあまあ並んでいて、映像作品は、毛嫌いしているわけではないけど単純に時間がかかるし良いと思えなかったら飽きちゃうから並ぶのやめとこうと思ったのだけれど、受付のおばさんたちに流されて並ぶ羽目に。羽目なんていうと嫌そうだけど(その時は本当に嫌だった)作品がとても良かった。同じようなシーンが多かったので全部見れたか定かではないけれど、多分全部は見てないけど、この作品を見てから高見島への興味がぐっと湧いた。島から離れていくような、きっとフェリーから撮ったのかな、そういう映像と、葉っぱや、森の映像、きっと島の景色なのかな。この島は平らなところがほとんどなくて、全体的にこんもりまんまるとした山。撮った人が、本当はどういう気持ちだったかは知らないけれど、島への愛が、愛おしさが伝わってくるような気がした。

空き家や古民家から影響を受けて、それらを題材にした作品が多かったのが、わたしに感じ取りやすかったのかもしれない。この島の作品、島全体がとても好きになっていて、帰りには図録を買っていた。


高見港から多度津港へ帰るフェリーが、とても悲しくて寂しくて、ちょっと泣いた。ちょうどフェリーの1番後ろに立っていたものだから、島をずっと見ていた。手を振る島の人たち(瀬戸芸のスタッフさんだから島の人がどれだけいたかは分からないけど)が、本当にずっと降っているものだから、話したこともないのにとても繋がっている気がした。別れを惜しむ気持ちはみんな一緒なんだ。


海と島のイメージがずっと頭に浮かんで見える。

どうでもいいけど書き出したかったこと。ゲロ袋。
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