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本屋がなくなることと

「ほんやのほ」という名前の本屋がなくなるらしい。
ずいぶん前から分かっていたことなのに、まるで実感のないまま時間が過ぎていった。退去の連絡だってしてあるのだから、片付けをしなければいけない。造作物の撤去のために、業者の手配も。
そう思っているものの、いつまでも動き出すことができずにいた。加えて、働いていた会社を急に辞めることになったり、急性扁桃炎になったりしてしまえば、退去予定日はもうすぐそこまで迫っていた。

さすがにまずいと、電車を乗り継いで本屋に向かう。駅から数分歩き、ビルの階段を2階までのぼると、本屋があった。
昨年の12月に休業してからしばらく経つ。最近では、新型コロナウィルスのこともあって、来ることもなかなかできていなかった。それでも、流れ作業のように鍵を開け、受付の扉を開け、電気をつければ「いつも」の姿になる。靴を脱いで、階段を数段のぼると、本棚に囲まれた小さな空間がある。なにも変わっていない。
ぼんやり本棚を眺めていると、時間が過ぎていく。ふと思い立って、短い物語を書いた。
雨の日の話だった。

「私」は引越しの準備をしないといけないのに、うまくできなくて、ベッドに寝転がって雨音を聞いている。いつか今のことも忘れるのだろうと思いながら、となりに横たわる人(友達か恋人か、男か女かは知らない)の気配を感じる。そういう、よくある風景。

書いていて、私は自分の中の感情に気付いてしまった。
悲しさ、寂しさ。それらが体の中で渦巻いていた。
私は実際の出来事やふと目にした風景をベースに物語を書くことが多い。このとても短い話も、書き上げてみればひとつの比喩だったことが分かった。ここを離れたくない気持ち。この空間が失われることへの悲しみ。

たぶん、こういう気持ちになることが分かっていたから、私は店に来るのが怖かったのだ。
分かりたくなかったけれど、一度気づいてしまえば、もうそういう訳にはいかなかった。悲しくて、寂しくて、涙が出て、私は電源の入っていないホットカーペットの上にうずくまった。

しばらくそうしたあとで、友達からのLINEに気付いた。
「本屋がなくなるのが寂しすぎてうずくまっている」と返信すると、「思う存分うずくまっていいと思う、大切な時間」と返ってきた。それなら、もう少しこうしていよう。ぎゅっと丸くなって目を閉じた。

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私はずっと迷っていた。
どうして本屋を閉じるのか。どうしてそんな決断をしなければいけないのか。私はこんなにこの場所が好きで、ここで出会ったたくさんの人たちが好きなのに。

ほんやのほは、2019年2月1日に開店して、同年12月末に休業してから、再開することはなかった。
休業したのは、私の体調のせいだ。
病院の先生によると、私には躁鬱病があって、気分の浮き沈みが人よりもずいぶん激しくなりやすいらしい。
本屋をより続けやすくするためだった私生活の変化や、仕事、苦手な事務的な業務、それらが重なると軽躁状態で保っていた状況は崩れ、12月、私は鬱状態に陥った。
それまでも、ちょっとした鬱ならいくらでもあったが、人とのおしゃべりやコミュニケーションが好きな私は、お客さんを前にしていれば平気でいられた。でも12月末、私は起き上がることもできなくなって、ずっと布団の中に沈み込んでいた。

翌年1月の半ばには、鬱状態を脱して仕事もできるようになっていたものの、またいずれ激しい鬱になるかもしれないと思うと恐ろしかった。
2月に祖母が亡くなって広島に行き、帰ってきたころには新型コロナウィルスが流行すると、社会はずいぶん面倒な状況になっていた。

安心して、無理なく生きるためには、赤字の本屋をこのまま続けることはできない(何度かツイートしている気がするけれど、ほんやのほはずっと赤字だ)。私はたくさんの信頼できる人に相談し、どうやって続けられるかを考えた。運営を手伝うと申し出てくれた人もいた。それで具体的に進めようともした。

でも根本的な運営上の問題を解決することはむずかしそうだった。
私は鬱になるとだれかに連絡することができなくなり、もともと苦手な事務作業はまったく進まなくなる。信頼に応えられずにいるのは申し訳ない。負債感はさらに鬱を悪化させる。それでも、いつもどおり会社の仕事をしなければ赤字の本屋を養っていくことはできない。
サスティナブルさからはほど遠い、ひとつでも歯車が狂えば崩れてしまうようなシステムだった。

自粛期間、私はたくさん考えていた。企画書を作りもした。その間にも、躁になったり鬱になったりした。そうして、考えれば考えるほど仕方ないと思えてしまった。新型コロナウィルスはきっかけなのかもしれない。悪あがきをやめるべきなのだろう。

そのときに、ふと思ったのはお客さんのことだった。
11ヶ月のあいだに来てくれたお客さんは500人強。本屋の来店者数としては、多い数字ではないだろう。でも私にはものすごいことだった。
私は来てくれることがただただうれしかった。奇跡のようだった。

私は、来てくれたお客さんのほぼ全員とお話をしたと思う。
その人がどういう人で、なぜ来てくれたのか、どういう本が好きなのか。教えてもらったことは、かけがえのないことだった。何度も来てくれる人からはもっといろいろなことを教えてもらったし、私もいろいろなことを話した。

コミュニケーションを取ることが本屋としての目的ではないし、時によっては、もっと本を見てほしい気持ちになることもあったが、それでも多くの対話をしたことは、誇ることのできる、すばらしい経験になったと思う。

そもそも、ほんやのほは実験プロジェクトのようなイメージではじめられた。まず試してみないと分からない。だから試すことにしたというだけの、シンプルな動機だった。迷いはほとんどなかった。

試したかったのは、たぶん私自身の社会への願いの叶え方であるとか、自分や他者について祈る方法。単純な意味に集約されない、開かれた可能性のようなもの。
私自身にすらまだ言語化できていなかったような、あいまいで強固な思い込みだった。

本屋をやっていた11ヶ月、準備を含めて1年ちょっと。私はずっと考えては試してみることができた。お客さんや、本屋の店主さんや、本に近い多くの人と関わることができた。
続けていくべきなのは、その試みではないだろうか。

現実的に考えれば、あの場所をやめるということにはなる。それはもう、どうしようもなく悲しい。大好きだったのだ。あの空間が失われるのは切ない気持ちになる。
それでも、試みまでやめる必要はない。具体的にはなにひとつ考えていないけれど、きっと、また楽しいことができるだろう。そんなふうに思えた。

■■■■■

ということで、私は今月北海道に引越しをする。まだ行ったこともないが、なにかいいことがありそうな気がして、その予感だけで、飛行機に乗って行こうとしている。その先どうなるのかなんて、まるで分からない。でも、その場所でできることをやってみようと思う。
今はまだ、うまく片付けもできなくて、泣いてしまいそうになるけれど。なにもかもにありがとうと言いたくて、泣いてしまうけれど。

小説家の深沢仁さんに、いくつか相談ごとがあって連絡した。
「本屋の片付けをしているけれど寂しい」と書くと、「恋人と最後に過ごせる数日みたいなものだから」と返信がくる。それから、「金庫によろしく」と。

深沢さんが書いてくれた本屋の中にある金庫についての物語。その続きを今私は見ているのだと思う。
「金庫くんに伝えます!」
私はそう返信してiPhoneを床に置いた。さようなら、またね。


ほんやのほは閉店します。
いままでありがとうございました。
これからもよろしくお願いします!!
(関係者の皆様には、改めてご連絡いたします)

ほんやのほ
伊川佐保子
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コメント (2)
とても寂しく思います。
お疲れ様です。
ゆっくり休んで、どうかお体、お心お大事にしてください。
お疲れ様でした。自分の忙しさにかまけてお店にお伺いできず申し訳ない気持ちです。一つ一つゆっくりと片付けていけますように。
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