「たぬきが踊ってそうな曲だ」と思われる方がいい――宮本貴史さんに訊く音楽のこと #とおくトーク
新型コロナウイルスに関係する内容の可能性がある記事です。
新型コロナウイルス感染症については、必ず1次情報として厚生労働省首相官邸のウェブサイトなど公的機関で発表されている発生状況やQ&A、相談窓口の情報もご確認ください。またコロナワクチンに関する情報は首相官邸のウェブサイトをご確認ください。※非常時のため、すべての関連記事に本注意書きを一時的に出しています。
見出し画像

「たぬきが踊ってそうな曲だ」と思われる方がいい――宮本貴史さんに訊く音楽のこと #とおくトーク

この記事はすべて無料で読んでいただけますが、価格は300円です。
もしできることなら読み終えたあとに、そのお金を、あなたが応援したい書店のオンラインストアで本を買ったり、作家・アーティストなどの作品に支払ったりすることに使ってください。(でも、無理はしないでくださいね)

(参考)
2020年4月以降、全国の通販で買える個人書店一覧

「#とおくトーク」はオンライン通話で実施して記事にする、不定期インタビューです。
今回、話を聞いたのは宮本貴史さん。本屋「ほんやのほ」のための音響システム「osmosis」を作ってくれた宮本さんに、表現すること、鑑賞することについて話してもらいました。

新型コロナウイルスの影響「音は作れても、音楽が作れない」

伊川:新型コロナウイルスのことを無視して話すことはむずかしい気がしていて、まずそういう環境に置かれているというところからスタートしたいのですが、心境に変化はありましたか? 私はあまり文章も書けなくて、閉塞感というか、窮屈さを感じていて……。

宮本:音楽家のなかには、こういう人と会えない状況でも曲を作れる人もいると思うけど、「自分はそうじゃないな」と気付きました。今までも「人と関わるほうが作りやすい」とは思っていたけど、実際には「人と関わらないと作れない」レベルだった。

伊川:音楽制作のなかで、人と関わることのポイントはどこにあるんでしょう。

宮本:人がいないと「音しかできない」という感じがするんですね。音みたいなものは作れるんだけど音楽が作れない、宿らない感じがする。

伊川:「宿らない」というのは、つまり音楽というのが「=音+魂」ということ?

宮本:うーん。コミュニケーションを取りながら曲を制作したり、発表したりすると、音楽を聞く人や演奏する人がその音楽を受け取って各々の中で音楽が独り歩きしていく感じがするわけじゃないですか。それが音楽なんじゃないかという感じもする。勝手に独り歩きするプロセスがあるからこそ音楽という活動なんじゃないかって。
だから、作品形態としての音楽はできているのかもしれないけど、「音楽活動」ができている感じがしないんです。

伊川:私の場合は見せる人がいなくても文章を書いたらいいと思っているんですが、実際に人に会えない状況になってみると、結局他の人やものごとからいろんなものを吸収して書いていることには変わりないんだなと気付きました。

作品を説明したくない 作品の見方、聴き方、読み方

伊川:宮本さんは思考やものごとの言語化に積極的に取り組んでいるように思うのですが、一方で「作品を説明したくない」と以前から言っていました。それはどうしてですか?

宮本:キャプションを書きたくないんですよね。例えば「海」という題名のピアノソロの楽曲があったとして、題名を知る前にその曲を聞いたとき、何人が海を想像できるのかってことです。海じゃない景色が思いつく人、それどころか情景じゃないものが思い浮かぶ人もいるでしょう。
言葉が分かるということは「どういう意味であるか」という共通した認識が、お互いにインストールされている状態ってことだと思います。
人ごとに認識の差異はあっても、少なくとも「言語」という共通の形でインストールされている。
でも、音の場合、音という情報を同じように受け取っても、そこからなにを想起するかは各々でバラッバラだと思うわけです。音楽はそもそもそういうものだと思うんですよね。

作品にとって一番おもしろいのは、聞いた印象が各々まるっきり違うところなんじゃないかって思うんです。でも、キャプションを書いちゃうとそこの幅が狭まる。
共通のイメージを前提として聞くことができてしまうから、面白みが減るんじゃないかと思っているんです。

最初の例で言えば、「海をイメージして書きました」という曲を聞いたら、「どういう海なのか」を考えちゃう。それは「当たっているか外れているか」みたいな話で全然おもしろくない。それよりも「たぬきが踊ってそうな曲だよね」と思うほうがお互いおもしろいんじゃないでしょうか。

昨日、機械学習で作った音の動画を友達に送って自慢したんです。機械学習でということは言わずに、ただ送ったら、「この盆踊りっぽくなるところおもしろいよね」と言われた。彼にとってはそのビートから想起されるのが盆踊りだったわけです。
これをはじめに「機械学習で作った」と話していたら、もしかすると機械学習によってがこれができるということの感動が、盆踊りのおもしろさに勝っちゃっていたかもしれない。そうしたら、「機械学習でこういうことができるのがすごい」というところで終わっちゃってたかもしれないですよね。

伊川:似た感覚は回文を見せたときによくあるかもしれません。「書いてみたんだ」と見せて「あ、ほんとだ、回文になってる!」で終わっちゃうのが一番さみしい気がする。

宮本:回文だと言わずに送ればいいんですよ。

伊川:回文と言わずに送ると、意味が分からないんじゃないかな。

宮本:見せてもらった回文を読むと、断片的な言葉があって、ひとつだと分からないんだけど、全体を見ると共通因子が見えてくるわけですよね。
世界観だったり、色だったりというのを感じられる。俺の場合はあなたの回文から透明感みたいなものを感じるわけなんですけど……。これが自分にとって心地がいいものかどうかを話せばいいんじゃないですか。
意味なんかあってもなくてもいい。世の中には意味がある文もない文もある。言葉の散らばりの中になにを感じられるかの方が重要ですよね。思ったまんまでいいんだよといいたくなるけど……。

伊川:「思ったまんま」を言うためにはなにが必要なんでしょう。

宮本:うーん、ある程度の訓練がいるのかもしれないですね。多分、差を認識することが大事だと思うんです。

言葉の持ってる差、音楽の差、それが分かると「これは不思議な雰囲気がするけど、不思議の中でもなんか明るめな気がする」とか言えるようになってくる気がする。

伊川:その訓練が、例えば学校ではあまりさせてもらえないんじゃないでしょうか。説明ありき、正解ありきで、正しい答えを探す訓練ばかりしてきてしまったような気がしていて。道徳の授業でも正解があって、それを探していたように思うんです。

宮本:本当は、価値観はいくらでも更新されるからこそ楽しいんですけどね。
俺は普段そんなにでかいクラブには行かないんですけど、あるとき渋谷にあるでかいクラブに遊びに行ったんです。そしたら、本当に耳が取れるんじゃないかってくらい音がでかかったんです。「うるせーな―」としか思ってなかったんだけど、行き慣れてる友達は「ここ、音いいよね」と言っていて。超爆音の中での差異が分かるんです。

伊川:解像度みたいな話ですかね。

宮本:そう。そのためには見てる数、聞いてる数が大事。

伊川:どう聞いてるか、どう見ているかもある。

宮本:そうですね。例えば、「ジュディマリの『そばかす』って『へぎょ』って言う部分があるね」と言う。言われた人のなかには気付いてない人もいる。聞き直してみると「あ、たしかに『へぎょ』って言ってるわ」ってなる。そんなもんだと思う。そんなことが色々起きればいいなと思います。

伊川:たしかに言ってる……。

宮本:一番怖いのは、音楽を聞いたときに、聞いた人が「この人はなにを言ってほしいんだ」みたいな推測をしながら話してしまうことですね。もっとシンプルな、思ったことを聞きたいのになぁと思うんです。これは作者相手だけでなく、聞いた人同士でも起きてる気がする。
でも、誰かが聞いてそういうふうに聞こえたのは真実……というか、曲自体にそういう側面があるということですよね。それをのびのび共有すればいいじゃないですか。「あいつはわかってない」とかいう人がいるからよくないと思うんですよ。

それぞれ持っている視点があって、経験から生み出された聞き方をするんだけど、「これはゴールじゃない」と思うことが大事なんじゃないかな。「実はこういう聞き方もあるんですよ」と分かれば、いろんな楽しみ方ができる。いろんな聞き方、見方をして楽しむっていうのが俺の中では大切ですね。もう一回聞いたとき「たしかに」みたいな感覚が、ちょっとずつ増えていけばいいなって思います。

透明と、透明ではない領域のこと 美しさについて

伊川:さっき私の回文について「透明感がある」と言っていました。宮本さんはよくこのキーワードを使う気がするんですが、それってどういうものでしょうか。

宮本:「透明だ」と言われるものって、認識できるくらいには透明じゃないんですよね。「静か」という言葉も、認識できるくらいには静かじゃないから言える言葉だなと思うんです。空気を見て透明だなと思わないですが、本当は、空気こそ透明なわけです。
人はガラスを「透明だ」と言うけど、ガラスというのは屈折率が違ったりとか、本当は若干青みがかった色が入ったりするわけです。
そこにあるのは分かるんだけど、他のものと比べてあからさまじゃないというか……、向こう側が透けて見えるとかで、微妙に他のものと違う領域のことを透明と言うんだと思うわけです。気配みたいなものがある感じ。それは美しいなと思うんですよね。
美しいと思うから、自分のなかで表現したい質感なんだろうなと思います。

伊川:宮本さんにとって、美しさは大事なものですか?

宮本:美しさはすごく大事だと思う。でも、自分が定義する美しさと他人が定義する美しさが違うんじゃないかと思います。例えばフェルメールの絵画を見ても、そんなに美しいとは思わなくて、「美しいんでしょうね」と思う。自分のOSに入ってる「美しい」と比べると、一般的に言われる「美しい」は仮想OSの中に入っている感じ。

伊川:自分の「美しい」の感覚は、それは言語化できるものですか?

宮本:むずかしいなぁ。一貫した定義のもとには成り立ってないと思います。価値観の集合体として存在していると思うから、それぞれの価値観に共通項があるかというと、そんなにないような気もする。
例えば、自然の中に垣間見える数学的なあり方を美しいと思ったりする時がありますね。いま、煙草を吸ってるわけですけど、煙草の煙というのはブラウン運動という物理的な法則で成り立っているわけです。まとまってるようなまとまってないような動きに見えているのは、実はいろんな粒がいろんな動きをしていて、それが集合体としてかたまりが変形しているように見える。そういうのを自分の頭の中でモデル化していくんですよ。そのときに煙を見ていると美しいなと思うわけです。
シャワーを完全に締め切ってなくて水滴がぽちゃぽちゃと洗面器に落ちてできる波紋は流体力学そのものだし。ラテアートを作ってる動画とかも美しいと思う。
これは本当に一端を説明しているだけだけど、あとはなんだろう……。美しいものをあげたらきりがないですよね。

伊川:美しいものを作りたいんでしょうか。

宮本:うーん、作りたいものかは分からないです。作っているのは、なにか美しくないものかもしれない。作るっていうプロセスは、なんで作ろうと思ったのかも分かんないし、なんでできたのかもわからない。本当にこう作られるがままに作られている。でも、結果としてできたものが美しくなったらいいなとは思う。

制御できないなかで、美しくなったらいいなって。だから全然美しくないものができることもしょっちゅうですよ。「まあいいんだけどさぁ」とか思いながら作ってます。

宮本貴史(みやもと・たかし)
創作家。Tokyo Media Interaction、1÷0、株式会社cotonなどに所属し、音楽作品だけでなく、音楽にまつわるシステムや、音楽と社会との接点について考えたり創作したりしている。よくわからないものばっかり作ってる人。
https://takashimiyamoto.net/
https://twitter.com/Max_Ojisan

聞き手:伊川佐保子(いかわ・さほこ)
https://twitter.com/ho_bo_po
この記事が気に入ったら、サポートをしてみませんか?
気軽にクリエイターの支援と、記事のオススメができます!
伊川佐保子

いただいたサポートはこれからのすてきなことのために使います。

世界がただあるかたまりなら 連なりまたがるあたたかい風