そういえば、先週親父が死んだんだった。嘘はよくないって話

初めてNoteを書きます。文章拙い所もありますが、どうかご容赦を。。。

さて、突然のタイトルで恐縮ですが、ずっと一度は書いてみたいなぁと思っていたNote。
読んで頂くに値するかは未知数ですが、とにかく誰かにわかって欲しい、そんな思いがあったので書いてみたいと思っています。

1、親父が先週死んだこと
親父が先週死にました。肺がんで、約3年間闘病した上での末期。
最後は息も絶え絶えだったが、大きな深呼吸を2回すると、
そのまま眠ったように逝った。

今、東京に住んでいる私と、埼玉に住む真ん中の妹、そして地元山形に住む末の妹たちはというと、地元以外の人は病院に入れなくて、親父が死ぬ数時間前に、LINEでのビデオ通話で話したのが親父の最後の姿。

息は苦しそうにしながらも、しっかりと目を見開いて画面を見ようとしていたその顔は、特に歪んでもいなかったし苦しそうでもなかった。

2、親父の死、その直後に届いたバイク
親父は車とかバイクとかDIYがめっちゃ好きな人で、片田舎の実家の空いているスペースに自分で古屋をいくつも作ったり、ガレージを作ったり、古くなった実家の玄関ドアを自分でリフォームしたりしていた。同時に車、バイクなんかも大好きで、よくKawasakiのバイクに跨っては早朝からツーリングだのなんだのとマフラーを唸らせていた。
そして親父の死後3日目に、親父が生前購入していた新しいバイクが届いた。

3、余命宣告と私の対応
私は都内在住で、実家の田舎には父親と母親と末の妹がいた。
父親の余命があと一ヶ月と知らされると、私は妻と子供たちとともに、
会社に許可をもらって、実家でリモートワークして、できるだけ父親に初孫たちと、一緒にいる時間を作りたいと家族総出でPCR検査を全員受け、感染対策の上で長期帰省を決行した。
私だって、最後に父親にもう一度甘えたかった。
この調整は結構大変だった。

4、余命宣告と本人への通知
余命一ヶ月と宣告を受けたのは母親と妹だ。もともと数年前から、あと3年、あと1年とカウントダウン式に余命を宣告され続けてきた。
覚悟しながらも余命一ヶ月という事実を突きつけられた母は、病院の外で待つ父に「どうだった?」と聞かれると「あと3ヶ月だって」と咄嗟に嘘をついてしまった。
これがよくなかった。本当によくなかった。

5、余命1ヶ月(3ヶ月)の期間
真ん中の妹はまだ結婚しておらず、私よりも年上の彼と以前から同棲をしているそうだった。そろそろ入籍しないのかなとあまり兄妹に干渉しない私でさえも思い始めていたころだったが、突然「式を挙げる」と言い出した。
父が生きている間に、とのことで、そこからの準備は急ピッチ、さまざまな人に助けてもらいながら、なんとか式の準備も形になっていった。

私たち家族はというと、日々の業務を実家で行いながらも、夜意向はできるだけ父親と話をしたり、実家の家族全員でBBQをしてみたり、始業前に孫たちと一緒に公園に出掛けて遊んでもらったり(父は歩くので精一杯だったが)、孫抜きで久しぶりに父親と私だけで話をしたりと、可能な限りの時間を過ごすことができたなと思う。

6、突然の危篤
帰省してから2週間ほどが経ったある日、その日は突然やってきた。
昨日まで普通に会話をしていた父親が、ついに言葉を話せなくなる。
病状としておかしなことはなく、むしろこれまではモルヒネが騙してくれていただけだった。
そこから呼吸が難しくなり、入院した翌日、冒頭の様子のままあまりにもあっさりと逝ってしまった。

7、初めての喪主
私は長男なので、初めての喪主となった。
何をどうすればいいやら、泣いてばかりで何もしない親戚や家族に若干苛立ちを感じつつも、忙しい段取りに気を取られ、涙を流す暇もなかった。
というより出なかった。
というのも、父と二人で話をした際、すでに流す涙は済ませていた。
育ててくれてありがとう、子供たちは頑張って育てていく、母親のこともその他のことも、あとは任せてくれ、と。
それがあって、私自身は本当に覚悟が決まっていたんだなと思う。

気づけば、妹の挙式日が納棺の日になっていた。

8、おくる言葉
地域や宗派によって様々だろうが、いわゆる葬式中の「おくる言葉」は妹にに託した。
物静かな式中に始まった、妹から父へのおくる言葉。
私はその途中から、妹にひどい落胆と怒りに似た残念な心持ちを抱いてしまった。
あろうことか、妹は「(中略)挙式日のはずだったのに、納棺日になっちゃったね」などと涙ながらに言い放ちやがった。
わざわざ客前で晒して、まるで悲劇に酔ってるのか?と思った。

そうなるように予定を組んだ(故意ではないだろうが)のはお前だ。

9、死後に届いたバイクと、嘘
なぜ余命宣告されていたのに、新しいバイクが死後に届いたのか。
そこには今回のように悲しい嘘があったからだ。
式が終わって、ひとしきり落ち着いた後に私はやっぱり思った。

嘘はよくない。本当によくない。

10、予定にも計画にも、後悔はないように
正直に1ヶ月と言っていたなら、特急配送を利用してでも新しいバイクに乗ることもできただろう。
まだ2ヶ月あるからアレやコレは生きているうちにできるな、と父親がそう考えていたのなら、こんなに残酷なことはない。

私が伝えたったのは、余計なお世話かもしれませんが、もちろん誰かが死ぬ予定なんて誰にもわからないけど、「のこり時間」の過ごし方を、自分の時も、大切な人の時にも、正しく、計画的に、後悔のないようにしてほしい、ということでした。

以上です。
長文になってしまいすみません。
お読みいただいてありがとうございました。

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