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13.ペルシア戦争

①みんな大好きペルシア戦争

ネットでよーく解説が入っているペルシア戦争を解説していく。ここら辺は高校で最初のテストの範囲で、しかも最初の具体的な戦争の解説が入るのでみんななんとなく知っている。

②きっかけ

ペルシアの領域内にギリシャ人の植民市があった。アテネがオリーブなんかを売りまくっていたので各地にギリシャ人が街を作っていた。

ペルシアはちょくちょく反抗してくるミレトスのギリシャ人を弾圧しまくった。ミレトスは弾圧に耐えかねて独立運動を起こした。

ミレトスの独立運動にアテネをはじめとするギリシャ人が支援を行い、戦争状態に突入した。

ペルシアは広大な領土を支配しているため、陸軍が豊富にあったが海軍が弱い。だからギリシャ人と商売敵だったフェニキアと手を組んだ。

フェニキア「フェフェフェ。ギリシャが滅べば、商圏は我々のもの。」

③マラトンの戦い

アテネを倒すため、ペルシア王のダレイオス1世は軍勢をマラトンに進めた。ペルシア人はアテネ軍をみて思った。

ペルシア兵「あいつら歩兵だと?バカか・・・。殺してやる。」

アテネは重装歩兵、ペルシアは騎兵。勝負は歴然だとおもった。しかし、戦場は坂だらけ。馬はすぐに止まる。

ペルシアは予想に反して大軍勢を撤退させた。

③テルモピレーの戦い。

省略。

④サラミスの戦い

サラミスの海峡で戦ったペルシアとギリシャ連合軍。狭い船を早く動かして船の腹を壊した方が勝つ。だからギリシャは船を早く動かすためにオールをこぐ人を1人から3人に増やした。

これを三段櫂船という。

三段櫂船をこぐ人は誰か?武装を自費で買えない人はどんな人か。貧しい人々だ。アテネは貧しい人々すらも戦争に入れないと勝てないと踏んだのだ。

幸い、この三段櫂船は大成功をおさめ、ペルシアの船を蹂躙した。

⑤プラタイアの戦い

逃げるペルシア兵をギリシャ連合軍がボコボコにした。これでペルシア戦争は一端終わり。

⑥まとめ

ペルシア戦争で、アテネで大きな影響を与えたのはサラミスの海戦。

金のない無産市民たちが初めて戦争に参加した。貴族たちは貧乏人に初めて感謝した。そして貴族たちは言った。

貴族「彼らにも参政権を!!!!!!!!!!!!」

役職を無産市民にもあげようとなった。当時の将軍ペリクレスは言った。

「無産市民のために政治改革を!いままで、我々の目の上のたんこぶだった貴族会議の権限を全て剥奪し、民会をアテネの最高決定機関にする!」

ペルシア戦争と戦争がアテネにもたらした影響でした。


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