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50.中世のドイツが分かりにくい!

①神聖ローマ皇帝のおさらい。

 オットーがローマ教皇に皇帝を戴冠されてから、教皇と皇帝の叙任権闘争など、権力争いがずーっと続いている。

教皇の力は絶大で、ハインリヒ4世はカノッサの屈辱という事件も起こしている。

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神聖ローマ皇帝は、自分がローマの皇帝だからイタリアも支配下に置かなければ面目が立たないと思っていたため、ずっとイタリアを攻め続けていた。

これをイタリア政策という。

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②皇帝派 VS 教皇派

 教皇党をイタリア語でゲルフという。神聖ローマ皇帝のシュタウフェン家と戦っていた諸侯のヴェルフェン家がおり、それがイタリア語になまってゲルフ。
イタリアでは地元のローマ教皇と手を組むグループが存在するかと思えば、ヴェネツィアなどは商売敵のミラノを倒そうと反対側の皇帝と結びつくグループがあった。
皇帝党をイタリア語でギベリンという。皇帝の所有する城にギベリン城があったから。

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③皇帝の権力がなくなっていく。

シュタウフェン家のフリードリヒ1世はイタリア政策に失敗し、歴史に名前を残そうと焦り、第三回十字軍の司令官となって出発し、川に溺れて死んだ。

その後、フリードリヒ2世は故郷のシチリアに入り浸り、ドイツはますますバラバラになった。

ドイツの諸侯が台頭し、領邦と呼ばれる。領邦は300に分かれて一つにまとめることなかった。

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そしてフリードリヒ2世はシチリアで死んだ。

④次に皇帝は誰だ。

シュタウフェン家が断絶した。

だから次の皇帝の選挙では、諸侯たちは自分の領土を守ろうと必死になり、リスクを取ることなく、皇帝を自分の土地を脅かすことのない人物にしたかった。

教皇はローマに皇帝が来ることを無くしたい。

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だから領邦と教皇は思った。

「皇帝は外国人でよくね?」

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ドイツ人の皇帝がいない時代となってしまった。

これを大空位時代という。

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