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小説とデザイン、そして体験

最近、アメリカ文学者である木原善彦さんが書かれた

『実験する小説たち 物語るとは別の仕方で』

という本を読んだ。

もともと小説はそこそこ読む方だったが、ミステリー、とりわけ叙述トリックが使われたものがなんとなく好きだった自分は「実験小説」という、魅惑的なワードに惹かれて手に取った。

普段の生活の中、眠いながらも電車中で少しずつ読み進めていったのだが、読みながら何度もその内容に興奮しながら、気づき(?)を感じられたのでメモ書き程度に書いていきたい。


小説=UXデザイン

読んでいる最中、終始考えさせられたのが小説とデザインの関係性だ。

まず、当たり前と言われれば当たり前なのだが、「小説を読む」とは「別世界を体験する」
ということである。

読者は本の中に様々な印象を持つ文体や単語、表現によって綴られた文章を媒介として、「物語」という別世界を体験する。

単なる「読者」の視点でだけ見れば、それは何の疑いもなくただ消費されるストーリーという認識だけで終わる。

しかし、多くの小説家はストーリーの構成からその文体や用いる単語、はたまた句読点の位置などを操作する。それによって、できるだけ作者自身が思い描いている世界を表現し、体験をつくっていく。

特にこの「実験小説」というものは、通常の小説がそうした「文章レベル」でのメディア性なのに対して、その全体を用いた「本レベル」でのメディア性を生かした体験づくりがされている点でとても顕著に感じられた。

こうした、作者の一つ一つの操作で読者が感じる体験をつくっていくという点に、建築やインテリアのデザインをはじめ、プロダクトやUIデザインなどとの類似性を感じる。

小説をつくるとは、ひとつのUXデザインのようなものなのだと思う。

書いてみれば、当たり前のことなのかもしれないが、改めてそう考えてみると個人的には面白いあり方の発見だと感じた。


小説と実験小説

実験小説はそのあり方からして、普通の小説とは一線を画す。そこには普通の小説とは異なった視点でつくられていることが要因の一つとしてある。

実験小説は普通の小説以上に、「読者」や「読書」というあり方や体験をメタ的にとらえている。そして、それを文章だけでなく、一冊の本というメディアの中に最大限に活かした構成でつくられる。これによって、普通の小説以上に読者は立体的な体験を読書によって得ることができるのである。


メタ的な視点で

以下は本の内容とは直接関係ないが、
自分の興味の整理として記述。

個人的に、この「メタ」という視点はとても興味深く、気に入っていて、単なるテクニックや技巧以上にさまざまな分野において可能性のある視点だと思っている。

建築であるならば単にスペースのためのハコをつくるのではなく、その建築で行われるふるまいや人の流れ、移り変わるシークエンスなどをメタ的に捉えて、それを環境として建築化していくことに興味がある。

物理的なスケールや表面的で目に見えるような美しさとはまた違った次元にある、体験や生活、ふるまい、シークエンスとかを考えたい。

古代から近世までのモニュメントのようなモノや、近代に生まれたユニヴァーサルスペースのような空間からではなく、その建築やモノに接する、「読者」にとっての体験からものづくりを考えたいと、一冊の本を読んで感じた。


浅学な者の駄文ですが、読んでいただきありがとうございました。

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