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文鳥日記

最近日記をつけるようにしている。

と言っても、Web上のことではない。新潮文庫からマイブックというものが発売されていて、文庫サイズの日記帳である。1日につき1ページが割り振られていて、そこにボールペンでその日にあったことを書いておく。

1ヶ月ほど前から文鳥を飼い始めた。桜文鳥の雛である。その日のことも日記帳に記してある。

日記をつけていると、同じ人間の字であっても日によって違いがあって面白い。自分の考えをまとめながらじっくり書くときは字の大きさや線の角度も揃っていて美しい。記し終わってからちょっとうっとりするくらい、見た目の出来が良い日もある。幼少期の私は字が汚くて、それがコンプレックスだった。中学生のときに字が美しい友人に何人か出会って(私が通っていた女子校は字が綺麗な子がやたらと多かった)、その子たちの字のそれぞれ良いところを組み合わせるかたちで今の字に行き着いた。よく書けた日の日記の紙面を見ると、もう死ぬまで会うこともないのかもしれない彼女たちのことを思い出す。


文鳥を飼うのは、長年の夢だった。ものごころついた頃から無類の鳥好きで、実家の私の部屋にはありとあらゆる鳥のぬいぐるみや鳥に関する書籍、ペンギンの写真のポストカードなどが並んでいる。独立するときに全て持って出たかったのだが、あまりに量が多くて一部しか持ち出せなかったのだ。

ただ、鳥を飼ったことは一度もなかった。鳥に限らず、生き物らしい生き物を飼ったことがなかったのだ。私は潔癖性のケがあり、外から帰るとスマートフォンを必ずアルコールで拭くし、電車の吊り革には絶対につかまれないタイプである。生き物の世話ができるのか、正直自信がなかった。Twitterで文鳥を飼っている方々をフォローし、かわいい写真を拝ませてもらうだけで満足していた。

気持ちに変化があったのは、こどもが生まれてからである。汚れたおむつを1日に何度も替えてやったり、ミルクの吐き戻しを直に手で受け止めたり、そこらへんの花壇の土をいじくって泥だらけになったこどもを抱っこして服を汚したりしていたら、なんだかいろいろなことがどうでもよくなってきたのである。育児という名の荒療治によって私の過剰な潔癖ぶりはやや治まり、これなら生き物を飼えるのではないか?と思い始めたのが4月ごろのことだった。

その後数週間かけて文鳥飼育に関する本を読み、実際に文鳥を飼っている方たちのブログを見に行ったりもして、本当に自分に文鳥を飼う資格があるのかじっくり考えた。私は元来、物事の楽しい側面を見つけてうきうきするよりは、起こりうる最悪の可能性について可能な限り検討しておきたいタイプである。文鳥の病気やいつか来る落鳥の日についてしつこく調べた。うっかりケージから逃してしまった不幸なケースについてもじっくり読んだ。当たり前のことだが、とても不安になった。それでも飼いたいという気持ちが勝ったので、お迎えすることに決めた。

ケージや餌をネット通販であらかじめ揃えて、準備万端で文鳥に会いに行った。ちょうど挿し餌の時間帯だった。雛はまだ自分の力で餌を食べることができないので、スポイトのような器具を使って喉奥に軟らかい餌を押し込んでやる必要があり、それを挿し餌と呼ぶ。今まで雛の世話をしてくださっていた方に、やってみますか、と言われたのでその場で初めての挿し餌をやってみることになった。

正直、ものすごく緊張していた。羽が風を切る音の力強さや、餌を欲しがって鳴く声の鋭さに内心驚いていた。でも、なんでもないことのように取り繕って、私は雛に向かって手を差し出した。

手の甲に雛が乗った瞬間、なんて温かい体なんだろうと思った。文鳥の体温は、人間のそれよりずっと高い。スポイトで餌を吸って、嘴の奥にゆっくり押し込む。幸い、雛は餌を食べるのが上手だった。数回ねだられて、その度に餌を与えた。雛は私の手に止まることを嫌がらなかったし、初めて会う私の手から一生懸命餌を食べてくれた。

こうして直接会うまでは、こちらに身を任せるしかない小さな生き物と触れ合うことが不安だった。ふわふわの羽が触れるたびに、雛に許されているという実感に胸を打たれた。餌を食べ終わると、雛は手のひらに座ってうとうとし始めた。毛布を掛けるみたいにそっと握ってやると、人間よりもずっと速く脈打つ胸の鼓動を感じた。そう大きくもない私のてのひらに、雛はすっぽりと収まっていた。


ケーキ屋さんの箱にいくつか空気穴を開けたような白いボックスに雛を入れて、自宅までドライブした。駐車場に着くと、揺れが伝わったのか箱の中でごそごそと動く気配があったが、それ以外は生きているのか心配になるくらい静かだった。箱を胸に抱えてエレベーターに乗ると、生後1週間の娘を連れてマンションに帰ってきた日のことを思い出した。

お産でショック状態になってしまい、ストレッチャーに横たわって帰室したにも関わらず即日母子同室が始まって、産後うつと強い貧血状態で心身ともに最悪の状態だった。病院に対する強い不信感があり、一刻も早く家に帰りたいとずっと思っていた。娘を抱いて自宅マンションのエレベーターに乗ったときは、無事に帰宅できたことが嬉しくて泣いた。

雛を連れ帰ってきた今回は、特に体が傷ついているわけでもなければ、首の据わっていない危険な赤ん坊がいるわけでもなくて、ただの白い箱が胸に抱かれているだけだった。それでも、新しい日常が始まるのだという確かな予感があった。ぴくりとも動かない白い箱が胸に抱かれていて、そこにこれから迎えるであろう新しい日常が詰まっている。不思議な感じだった。こんなに簡単に家族として迎え入れてしまって良いのだろうかという気持ちと同じくらい、絶対に幸せにしてやらないといけないという決意が湧き上がってきた。

娘を連れ帰ってきたときとは違って、涙は出なかった。そんなわけで、文鳥を迎えた今回は至って冷静なつもりだったのだが、その日の日記を読み返すと、随分と字の乱れが激しく、線の向きがぐちゃぐちゃで読みづらい。文鳥との出会いの喜びに、日記を綴る指が追いついていない。文鳥を迎えた日の写真は何枚もカメラロールに保存されているけれど、コンプレックスを抱いていた頃の字を彷彿とさせるような日記の紙面が、何より雄弁に私の喜びを語っているように思うのだった。

Big Love…