仲正 昌樹(著)『悪と全体主義 ハンナ・アーレントから考える』読書メモ

国民国家 で「 市民」 として 想定 さ れ た のは、 自分 たち の 利益 や、 それ を 守るには どう 行動 すれ ば いい か という こと を 明確 に 意識 し て いる 人 たち です。 彼ら は 自分 たちの 利益 を 代表 する 政党 を 選び、 政党 は 市民 間 の 利害 を 調整 し て、 その 支持 を 保っ て い ました。 「市民」 社会 における 政党 が 特定 の 利益 を 代表 し て い た の に対し、 何が 自分 にとって の 利益 なのか 分から ない「 大衆」 が 自分 たち に「 ふさわしい」 と 思っ た のが全体主義 です。 全体主義 を 動かし た のは 大衆 だっ た という こと です。

【私見:日本社会では、A層とB層の大衆が、政権擁護派であり、A層とは、IQが高く、B層は低いとされている。A層のインフルエンサーに煽られて、B層は、A層と同じ行動をとる。B層は、自分たちに「ふさわしい」どころか、搾取されているにもかかわらず、そのことに気付かないか、その現実を直視しない。そして、A層が垂れ流す、嫌韓、嫌中、反日、パヨクなどのプロパガンダを感情で受け入れる。しかしながら、彼らが支持してきた安倍元首相は、反日体質であったことが、今回の襲撃事件後に、明らかになったことで、どうのように、自分の感情に折り合いをつけるのだろうか。自分では、何にも考えていないから、特に悩むことではないのかな。】

労働者階級、 資本家階級 など、 自分 の 所属 階級 が はっきり し て い た 時代 で あれ ば、 自分にとって の 利益 や 対立 勢力 を 意識 する こと は 容易 でし た。 逆 に 言う と、 資本主義 経済 の 発展により 階級 に 縛ら れ て い た 人々 が 解放 さ れる こと は、 大勢 の「 どこ にも 所属 し ない」人々 を 生み出す こと を 意味 し た の です。   アーレント は これ を、 大衆 の「 アトム 化」 と表現 し て い ます。 多く の 人 が てん でん バラバラ に、 自分 の こと だけを 考え て 存在 し て いるような状態のことです。

選挙権 は 得 た ものの、 彼ら は 自分 にとって の 利益 が どこ に ある のか、 どうすれ ば 自分 が 幸福 に なる こと が できる のか 分から ない。 そもそも 大衆 の 多く は、 政治 に対する関心が極めて希薄でした。

「 市民」 が、 自由 や 平等 に関する 自ら の 権利 を 積極的 に 主張 し、 要求 を 実現 する ため に 各種の 政党 や アソシエーション を 結成 する こと に 熱心 な 人 たち だ と すれ ば、「 大衆」 は 国家 や政治家 が 何 か いい もの を 与え て くれる のを 待っ て いる お客様 です。

しかし、 平生 は 政治 を 他 人任せ に し て いる 人 も、 景気 が 悪化 し、社会 に 不穏 な 空気 が 広がる と、 にわかに 政治 を 語る よう になり ます。 こうした 状況 に なっ たとき、 何 も 考え て い ない 大衆 の 一人一人 が、 誰 かに 何とか し て ほしい という 切迫 し た 感情を 抱く よう に なる と 危険 です。 深く 考える こと を し ない 大衆 が 求める のは、 安直 な 安心 材料や、 分かり やすい イデオロギー の よう な もの です。 それ が 全体主義 的 な 運動 へと つながっていったとアーレントは考察しています。
【私見:このアーレントの説の通りに、欧州では、極右勢力が台頭しつつあるが、これが、大衆に拡大していくと、再び全体主義的な運動へと、結集する。】

ユダヤ 人 社会 や 大戦 後 に 建国 さ れ た イスラエル を 覆っ て い た「 ユダヤ 人 は 誰 も 悪くない」「 悪い のは すべて ドイツ 人 だ」 という ナショナリズム 的 思潮 に 目 を つぶる という 選択肢は、 彼女 には あり ませ ん でし た。 その よう な 極端 な 同胞 愛 や 排外 主義 は、 ナチス の 反ユダヤ主義と同じ構造だからです。

ナチス が ユダヤ 人 を 抹殺 しよ う と し た よう に、 あるいは ユダヤ 社会 が アイヒマン を 糾弾しよ う と し た よう に、 絶対 悪 を 想定 し て 複数 性 を 破壊 する よう な 事象 は 私 たち の 身近 にもあふれ て い ます。 会議 の 場 で 自分 と 異なる 意見 の 人 を 攻撃 し たり、 都合 の 悪い 意見 を 排除(あるいは 無視) しよ う と し たり する こと は、 よく ある こと です。

アーレント は アイヒマン を、 非道 な 事業 に 巻き込ま れ て しまっ た平凡な市民だと同情しているわけでも、彼は悪くないと言っているわけでもありません。『エレサレムのアイヒマン』でアーレントが明らかにしたのは、アイヒマンのような人物を、悪の権化、悪魔のような人間として、その人格を問題にするような形で責任を追及しようとすれば、論理的に破綻してしまうことです。

【私見:アイヒマンは、アーレントの見立てでは、ごく普通の役人が、政権の支持通りに、日常業務の役務として、ユダヤ人の処刑を行ったのであり、悪の権化、悪魔のような人間ということではない、というものであった。その意味では、森友事件で、安倍元首相の意向を忖度して、役所の上司からの命令で、書類を改竄したことを悔いて、自死した赤木さんは、稀有な人物となる。】


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