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柄谷行人と浅田彰の対話集

(柄谷)たとえば、 日本人 が 中国人 を「 チャンコロ」 呼ばわり する よう に なる のは 日清戦争 からで、 それ までは、 聖人 は 中国 にしか 現れ なかっ た とか 言っ て た わけ です。 朝鮮 について は もっと 極端 です。 江戸時代は、 朝鮮 から ずっと 文化的 使節 を 招い て い た の です から。   そういう 過去 を 隠蔽 し たい、 過去 の 優劣 関係 を 逆転 し たい という ところ から、 日本 の アジア 史観 ─ ─ 日本 の オリエンタリズム が 出 てくるんですね。
(Kindle の位置No.119-123).

(柄 谷 )だから、 西洋 側 の 自己批判 を こちら 側 が 受け 容れ て オリエンタリズム 批判 を する とかいう のが、 ぼく は イヤ な ん です。
(Kindle の位置No.158-159).

(柄 谷 )それ は もともと 天皇制 解体 の 動機 を 持っ て やっ て た と 思う ん です。 しかし それ で 古代 に 行き、 中世 に 行き、 結果的 に どういう こと が 出 て くる かと いう と、 天皇制 は 逆説的 に 必要 だ という こと に なる。これは、システム論というものの本姓から来るんだと思うんです。(Kindle の位置No.709-711).

(浅田 )戦前 の 状況 を 考えれば、 イギリス や フランス などの 先進国 に 比べ、 ドイツ や ロシア は 圧倒的 に 遅れ て い た。 しかし、 いちばん 遅れ て い た ロシア が たまたま 共産主義 という 世界史 的 理念 を 担っ て しまっ た が ため に 世界史 的 勢力 として 台頭し、それとの対抗関係でドイツはファシズムを選択した。それで歴史の激動があったわけでしょう。
(Kindle の位置No.1215-1218).

(柄 谷 )ジジェク は、 いま 旧 ユーゴスラヴィア や 中東 で 起こっ て いる こと を 古代 史 から 説き 起こす よう な 説明 は まったく だめ だ、 それ は 現在 の 世界 構造 から 来 て いる の だ と 言っ て いる けれども、 その指摘は大事だと思う。
(Kindle の位置No.1241-1243).

(柄 谷 )イスラム の 問題 でも、 千年 も 前 から 考え て もらっ ては困る。イスラムが世界的問題として登場してきたのは、石油のせいでしょう。今世紀に入ってからのことです。
(Kindle の位置No.1252).

(柄 谷) 根源 に さかのぼる 思考 は、 身近 な 過去 に 生じ た 転倒 を 忘却 さ せる。 もちろん、 歴史的 に さかのぼっ て 考える こと は 必要 です。 たとえばわれわれは旧ユーゴスラヴィアの歴史を知る必要はある。なぜ知る必要があるかというと、そこでの紛争も近代的なもので、古代からあったものではないということを知るためです。
(Kindle の位置No.1256-1257).

(柄 谷)世界史 を 知る 必要 が ある のも、世界史の根源的な理念を知るためではない。そんなのは嘘なんだから。しかし、それがいかに嘘であるといういことを知るために必要なんです。
(Kindle の位置No.1258-1259).

(浅田)ある 種 の 左翼 的 展望 が ついえ、また左翼を敵にする必要がなくなった資本主義が第三世界の発展にあまり助力をしなくなったという端的な政治経済的条件が、彼らを原理主義に追いやっているだけのことですよ。(Kindle の位置No.1270-1271).

(浅田)しかも、 アルジェリア で 民族解放戦線に対する拷問のプロだったジャン=マリ・ル・ペンのような人物が、フランス本国で国民戦線のリーダーになり、イスラムの移民がわれわれフランス人から職を奪っているといって、ナショナリズムを煽っている。ドイツでも似たような状況がある。これは密接に関連しあった事態です。
Kindle の位置No.1272-1274).

(浅田)資本主義 は だんだん 担い手 が若返っていく過程である。最初イタリアあたりで発生した当初は、老人のように超越的価値を半ば信じつつ、言い換えれば金のようなものを床下に貯めつつ、商業資本主義に従事している。それが、英米まで行って、マックス。ヴェーバーの言うように価値を内面化すると、いわば大人となって、すべてを産業資本の増殖のために再投資するようになる。しかし、日本までくると、超越的価値も内面化された価値もなく、ひたすら相対的な子供の遊戯のようなかたちで、ポスト産業資本主義が展開されるわけです。
(Kindle の位置No.1329-1334).

(柄 谷 )  僕 は、 それ は 原理 的 には 正しい と 思う。 その 場合、「 日本」 とは そうした 傾向 の シンボル な ん です。 最初 に 言っ た よう に、 その 意味での「日本化」は世界的に進行している。
(Kindle の位置No.1334-1336).

(浅田)旧 左翼 の 現実離れ し た 理想主義 の タテマエ 論 は 批判 す べき もの だ けれども、 それ が あまりに も くだら ない が ゆえに、 右翼 が 現実主義 的 と 称する ホンネ を 唱える と、 そちら の ほう が 多少 とも 魅力 的 に 見え て しまう。新左翼だったはずが右翼になっていた旧全共闘世代が、だいたいそういうパターンでやっているわけでしょう。
(Kindle の位置No.1530-1532).

(浅田)しかし、 今 は むしろ 新しい 理念 が 求め られ て いる ので あっ て、 崩壊 し た 旧 左翼 を 批判 し ても 死馬に鞭打つようなものだし、自己満足にひたる大衆のホンネを肯定することにしかならない。実に不毛な状況ではありますね。しかも、 そういう ホンネ 主義 みたい な もの ─ ─ あらゆる 理念 が ついえ 去っ た ので あっ て みれ ば、 もう ホンネに居直るしかないという気分は、日本のみならず世界中で今一番支配的なイデオロギーになっていると思う。
(Kindle の位置No.1533-1536).

【私見:大阪維新の会は、まさに、この大衆のホンネと、さらに反東京、反知性という気分を、巧みに、すくいあげて、政策を実行しているということでしょう。】

(浅田)知識人 も 大衆 の 一部 に すぎ ない。 にも かかわら ず、 大衆 から 遊離 し た 知識人 の ふり を し た うえでそのような自己を否定するのがもっとも知識人的なポーズだということになる。
(Kindle の位置No.1575-1576).

(浅田 )  実際、 戦後 の 財閥解体によって経営者資本主義がいっそう純粋な形になって、社会主義ならぬ会社主義が完成されるわけだし、労働組合も春闘のような妥協形成のシステムに組み込まれるわけだし。欧米だと、株主は配当をよこせというし、労働者は賃金をよこせというんだけれども、日本では、個人は誰も豊かではない、言い換えれば誰もが平等に貧しいのに、会社だけが豊かになっていくという、奇怪なシステムの完成をみた。
(Kindle の位置No.1802-1805).

(浅田 )ちょっと 不況 に なっ たら、 女性 と いう だけで ほとんど 職 が ない。 その 結果、80年代にあったようなシングルのキャリア・ウーマン志向はすっかり鳴りをひそめて、結局はお嫁に行くしかないという、ある種の断念に基づく保守主義が広がっていると思うんです。
(Kindle の位置No.1855-1856).

(浅田 )その 時 に、 吉本隆明 に 追随 する よう な 全共闘 世代 のイデオローグが、フェミニズムなどというのはアメリカかぶれのインテリ女の振り回す空疎なタテマエに過ぎず、日本の女性の大多数のホンネは、普通に結婚して家庭を築いてささやかな幸せを獲得することなんだというような、犯罪的なまでに反動的なプロパガンダを展開する。

(浅田 )柄 谷 さん は、 漱石 を 引い て、 日本人 は 偽善 的 で ある こと を 嫌うあまりに露悪的になる傾向があると言われたけれども、それが今ますますひどくなっていると思うんですね。実際、新左翼だったはずが右翼になっていた全共闘世代のイデオローグたちが、左翼のタテマエを批判することで結果的に右翼のホンネを肯定するという見え透いたプロパガンダを、飽きもせず繰り返しているわけです。
(Kindle の位置No.1867-1871).

(柄 谷 )  日本 は 犯罪 が 少ない。 それで アメリカ に 犯罪 が 多い と 言っ て 攻撃 し て いる。 しかし、 犯罪 が 少ない 主たる理由は、明らかに、個人の罪が親類にまで及ぶからです。

(浅田)封建的な恥の文化とそれに基づく相互監視システムの効果ですね。(Kindle の位置No.1943-1946).

(柄 谷 )たとえば、 現在 で いえ ば、 私 は 日本人 で ある とか、 男 で ある とか、 そういう アイデンティティ に すがりつい て しまう わけです。その意味で、ナショナリズムとかレイシズムとかセクシズムとかいうのは自由=不安からの逃亡だと思うんです。しかし、サルトルによれば、結局ここから逃げることはできない。人間は「自由の刑に処せられる」というわけです。『存在と無』は、人間の行動はすべて挫折に終わっているわけですね。しかし、彼はそれを戦争中のレジスタンス運動をやりながら書いた。レジスタンスとは将来の自由を目指すことではない、まさに自由であるがゆ故に抵抗するのだということです。
(Kindle の位置No.2080-2081).

(柄 谷 )日本人 が 個人 や 個性 を 大事 に しよ う という とき、 ほとんど 実体 的 な こと を 指し て いる。 この 子 は 体育 の 能力 が ある から 伸ばそうとか、美術の能力があるから伸ばそうおか。しかし、一番大事なのはそういう多様性や差異性ではなくて、どの人間も対自存在であるということ、そうであるからこそ、それぞれが特異的になるということです。そいう意味での個人を重視する雰囲気は日本に非常に乏しい。
(Kindle の位置No.2092-2096).

(柄 谷 )ヘンリー・ホーム という 人 の『 批評 の 原理』 という 本が1760年代にドイツ語に訳されていて、カントはそれに震撼されているんですね。それから間もなくカントが 書い た のが『 視 霊 者 の 夢』 です。 これ は 当時 の 有名 な 霊能者 スウェーデンボリ の こと を 書い た 奇妙 な エッセー です。 そこで カントは、 視 霊 者 という のは 実は 脳病 で ある、 と 言っ て いる。 にも かかわら ず 私 は 霊能者 を 認め ざる を 得 ない、 認め て いる 私 は 入院 候補者で ある と 考え て もらっ ても いい、 と 言う ん です。 ここ から「 批判」 の 原型 が 出 て くる ん です ね。 まず 自分 の 視点 から 見 て みる。 次に 他人の視点から見てみる。そのときに二つの間に視差が生じる。この視差を通して欺瞞を批判できるんだ、と。
(Kindle の位置No.2245-2250).

(柄 谷 )現在、「 労働運動 は 終わっ て しまっ た、 われわれ は 市民 として消費者運動をやるんだ」なんて言う人がいますが、マルクスはちゃんと書いています、「労働者は買う場所においては消費者として現れるんだ」と。だから消費者運動は労働運動なんです。
(Kindle の位置No.2460-2462).

(柄 谷 )マルクス は 労働 が 価値 だ と 言っ て いる けれども、 労働 価値 という もの が あっ た として も、 商品 が 交換 さ れ なけれ ば 価値 として実現されないわけだから、まずもって商品に使用価値がないといけない。それを効用と言ってもいいわけですよ。その面をマルクスは非常に重視したんだということは重要です。「価値形態論」というのはそいうものなんですね。
(Kindle の位置No.2502-2504).

(柄谷)価値から価格への転形問題に関して、ベーム=バヴェルクというオーストリアの近代経済学者が『資本論』第三巻でマルクスは変質したと批判しています。(中略)マルクスは第三巻では資本多数 の 資本 という のを 考え た から、 そういう 具体的 な こと をやら なけれ ば ならなくなったわけです。ぼくはそれを転形とかいう形で考えるるのは間違いと思う。そこに矛盾があるとか言ううけれど、とりあえず均衡ということをマルクスは考えていたわけで、近代経済学を勉強していたらもっと数学的な武器を使えたと思うんです。

(浅田)実際、置塩信雄や森嶋通夫がやったことはそいうことで、投入と産出の関係がリニアだと仮定した場合、価値のレヴェルで搾取率が正だということと、価格のレヴェルで利潤率が正だということは、数学的に同値だということを証明した。
(Kindle の位置No.2528-2533).

(柄谷)それに対してレーニンは「いや、物自体はある」と言おうとしたのではないか。そえはいいんだけれども、ただ、ああかも客体が物としてそこにあり、主体の認識はそれをいっそう精密に反映することによって真実に近づくという、それこそポパーよりも素朴な議論に戻ってしまいかねないところに問題があったし、現にスターリンがそうやってしまった。こうして、エンゲルスーレーニンースターリンという線で、「弁証法的唯物論」と称しつつもはや弁証法的とさえ言えないような教条的唯物論が形成され、それを基礎とする「マルクス主義」の体系がドグマとして打ち立てられてしまったというのは、非常に不幸なことだと思います。
(Kindle の位置No.2561-2566).

(柄谷)カントが『プロゴメナ』で書いていますけれども、私は観念論者ではない、物はあるに決まっている、と。物自体は認識できないと言っているだけです。マルクスだって普通にそいうことを言っているわけですよ。

(Kindle の位置No.2586-2588).

(柄谷)だから、昔は『資本論』を論理として読むのか歴史として読むのかで大論争になった。経済学者はどちらかというと歴史的な部分を削って論理だけでやりたがる。そうすると、きれいなヘーゲル的循環ができるわけです。最初に商品から始まり、最後に株式という形で資本そのものが商品になるところで終わる。みごとなヘーゲル的循環です。けれども、マルクス自身は、そういう観点からすると実に不純に書いています。論理そのものの発展を認めていなない。横からある種の偶然性を入れてこないとだめなんです。それが歴史なんですね。歴史的に何かが起こってくるとき、それは向こうから来る。それがマルクスの唯物論的認識だと思うんです。
(Kindle の位置No.2590-2594).

(柄谷)みんな一国単位で読むから、マルクスは乗り越えられたかということになるけれども、いまの新自由主義の時代は、各国がそれぞれケインズ主義的に労働者を何とかごまかしてやっていくというようなことがだんだん通用しなくなってきて、もう一回マルクスの生きていた時代に似てきているわけです。だから、マルクスの世界資本主義的な視点は、いまのほうがずっとわかりやすくなっていると思うんです。
(Kindle の位置No.2610-2613).

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