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交換日記(赤澤さんへ)04

赤澤さんへ

返事が遅くなってしまいました。

交換日記の返事が数日こないと、変な事を書いてしまったかなと不安になりませんか。お互いのことを全く知らないから、余計に。そんなことは全くありませんので、もし心配させていたらごめんなさい。心配していなかったとしたら、今書いていることは気にしないでください。

最近は食料品の買い出しの時以外ほとんど直接人と話すことがないので、調子にのって、心と体を自由にさせていて。調子が上ろうが下がろうが、素直に振り回されて、ふむふむと観察しています。ふむふむなんて余裕を持って思えるのは落ち着いている時だけで、渦中にいる間は自分の面倒くささに困りはてて絶望しているのですが。

なぜ急にこんな事を書いているかというと、数日返事が書けなかった言い訳です。


さて、

帰属意識の低い上に「自分にとって正しくないこと」が発生すると、すぐに何もかもを手放してしまいます。人生が一度しかない(少なくとも、今のわたしには人生が二度目だという実感がないので、一度しかないと考えるのが妥当)のだとしたら、好きなことをやりたいと思ってしまいます。

わたしもかなり近いタイプで、それゆえに新卒で入った会社を3ヶ月で辞めたり、お金の稼げる仕事をただ続けることができずに母親を心配させたりしています。

「少なくとも、今のわたしには人生が二度目だという実感がないので、一度しかないと考えるのが妥当」という一文をわざわざ書くのは面白いなと思いました。(わたしはよく「面白い」という言葉を使うのですが、これは「可笑しい」ではなく「興味深い」という意味です)何を面白いと感じたのかを言葉にしたいと思いつつ、うまく書けないので、このままにしておきます。

人生は一度しかないし、いつ終わるかわからない。だから私たちは少し自分に厳しくしすぎるのかもしれない。


多くの人が「帰属」することで自己を認識しようとしていますね。「実感」にもつながる。

大学生という実感が薄れていっていることが、赤澤さん自身のあり方に何か変化を与えていますか?会ったことのないわたしに向けて書くことで、新しい輪郭を感じますか?

話している時も書いている時も、自分の話をしすぎているような気がして、つい質問を並べてしまいます。答えたいものにだけ答えてくださいね。


「来る死に向かって準備すること」が、「次にやってくる誰かの席を整えておくこと」だと思うと、生きることに少し意味を感じられます。あんな文章を書いたものの、自分の頭の中を世に出すことに意味があるんだろうか、なんてことを今日はずっと考えていました。時間がありすぎるのも良くないです。

「死」について、最近見た「アップロード」というドラマが面白かったので、もしAmazonプライム会員だったら見てみてください。


「話をしてみたい」と誘ってもらった交換日記、こんな調子でいいのでしょうか。赤澤さんが話してみたいと思った万力はまだ存在していますか。

万力

最後までありがとうございました。