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ゆれる

What if, what if, what if

「もし」なんて存在しないとわかっていても最近ずっとwhat ifを考えている。なんで英語なのかわからないんだけど、what ifが3回、頭の中で繰り返される。

What if

すべてが必然なんだとしたら。天気も出会いも体や心の揺れも。そうなんだとしたら「原因」を知ることに意味があるのだろうか。

原因を「知る」ことで自分の選択肢を狭めているとしたら?

揺れるたびにいつもの原因に意識を向けるのではなく、その日の揺れを「見る」ことができたら?

と、まあそんな感じで、果たして何かの原因を知って、(あらかじめにしろその場にしろ)対処することが本当に、必ずしも、すべてのことに対して正解なのだろうか。なんてことを考えている。


たとえば、「低気圧で体調が悪くなる体質」だとする。低気圧が来そうだという情報を見るだけで、体が強張っていく。そして当日本当に体調が悪くなる。だけど実際の理由は前の日に食べたポテトチップスかもしれない。

低気圧で体調が悪くなるという症状の存在を知らずに生きていて、気圧の存在を知って調べてみると確かに自分の体調の波と気圧の変化がリンクしているなと思うのは理解できるんだけど、だからといってそこに合わせて体を反応させていく必要はないんじゃないかな、ということ。そして同時に、この体調不良は低気圧のせいだ!と決めつけてしまうのも少し違う気がする、ということ。

いわゆる体に悪いもの、についてもそう。確かに体が反応しているのは感じるけれど、反応している!あれのせいだ〜〜〜ああああ、と思うと余計に悪化しそうだし、体に悪いものを食べていると思って食べるなんて美味しくなさそうだなと。

まあ大丈夫っしょって思って食べている方がピースだし、なんならもはや知らずに生きていけた方が好きなものを好きに食べられて楽しいかもしれない。


人間は揺れる。生き物は揺れる。地球は揺れる。

人が作り出したもの以外はすべて揺れる。

揺れをそのつど見つめて、傾向を把握することが、揺れを楽しむための一要素になればいいなと思う。揺れないように固定するための道具ではなくて。


今まで冷えや生理や頭痛やその他いろんな体の症状の原因が知りたくて、たくさん調べてきたけれど、それを伝えることがもしかしたら自分や相手を縛ることになっていたんじゃないかと最近は考えている、わけです。

楽天的すぎるかもしれないけど、これを食べたらきっと明日お腹が痛くなっちゃうけど今食べたいから食べる!と肚をくくって生きた方が、楽しいんじゃないかなと思い始めている。

わたしが体の症状の原因を知りたかったのは、できるだけ波のない体で生きたいと思ったからだった。体に邪魔をされたくないと。

でも体はなんの邪魔をしてるんだろうか。

確かにお腹が痛くなるのは嫌だけど、食べたいと思って食べたあの瞬間はとても幸せだったはずだし、

もしかしたら、これは体に悪いからと思って食べたせいで悪い影響が出てしまったのかもしれないし。食べた次の瞬間には死んでいるかもしれないし。

「明日死ぬかも」というのは本当にずるい言葉だ。

ともかく、

つまり、可能性として原因や仕組みをふわっと知っておくと「便利」ではあるかもしれないけど、もし「生きる」ということが「働く」ではなくて「生きる」なのであれば、その便利さに縛られずに生きていきたい。

何をしないか、じゃなくて、何をするかを考えたい。

体に邪魔をされたくないのも、原因を知りたかったのも、ただ楽しく生きたいなと思ったからなんだけどね。何を「楽しい」と思うか、揺れる楽しさを楽しみたい。


こんなことをわたしが今考えられているのは、完全に、今の生活に「ゆとり」があるから。ゆとりの存在を感じながら生きているからである。

1度こんな生活をしてしまった後で、素直に揺れに従う生活を知ってしまった後で、ゆとりの許されない生活に戻ることはできるんだろうかね。まあその時にはその時で、見方が揺れて、状況にあっていくんだろう。


 心を動かすことのできる空間、あるいは隙間、そこにはいったい何があるのだろう。せめぎあう感情や思考とからみあって、それらを生かす意識しがたい何かがある。それもまた感情や思考のひとつかもしれないが、それはともすれば固定されようとする感情や思考をほぐす働きをもつのではないだろうか。そして名づけることのむずかしいそれを、私たちはゆとりという仮の名で呼んでいる。
 ゆとりは私たちの住む地球に対して、宇宙の真空にも似ていようか、それはまた私たちの生きる一生のつかの間に対して、永遠とも言えようか。自分を、自分の心を突き放し、相対化して見ることのできる視点、心の外のもうひとつの心。ユーモアと呼ばれる心の動きもまたそこに根を下ろしているように思われる。

_谷川俊太郎『ひとり暮らし』



最後までありがとうございました。