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初めての対面からの、一連の区切り、笑顔

1年前。妊娠が確認できた日。検査薬でこれは陽線反応?という線が出てから、約1週間後に病院に行った。それでも、まだ2週間後に心音が聞こえたら「正式な」妊娠となるまでしばらくあるわけだけど。検査薬の反応から、そわそわした時間を過ごした。妊娠の宣告は、あっさりとしたものだった。そりゃそうだ。持って回った言い方などするわけがない。されても困る。笑

寒くなってきて、これからどうやって過ごせば良いのか、と40手前で未知の世界に夫婦揃ってうろたえる。早速買ったのが、たまごクラブだった。。。
息子は、現在、5ヶ月を迎えようとしている。顔を向ければ、キャキャと笑うようになった。母乳も終了し、今は粉ミルク。
妊娠という、細胞から命となっていく過程を経て、出産をし、乳が出始めて、、、なんというか、消費するばかりが人間だと思っていたけど、この時ばかりは、命の循環が自らの身体を通じて作られていることに、なんだか不思議な気持ちになる。もちろん、乳を出すために、食べ物を消費するわけだけども、赤子は私の身体が作った乳で生き延びているわけで。それで完結しているのだから。植物が葉緑体で自らエネルギーを生産するように、命の循環を自らの身体で行っている唯一の期間と言えるのかもしれない。ここまでの細胞の活性具合が、本当にすごい。それはまるで、火事場の馬鹿力、という感じ。妊娠中から乳は張り始めるし、もう一つの命を育むために、私の細胞の大部分がそこに集中している感じ。個人的な経験としては、割と妊娠中、体調は改善された。例えば、冷え性や食欲など。よく食べるし、冷えもおさまっていたような。まるで「元気な人」のよう。
それが、乳をやめた途端、一気にその機運がなくなった。驚くほどに、、、
鈍痛のような、かすかな乳の痛みが少しばかりあるが、乳がはる時の比ではない。人間の身体、すごいな。そんなにすぐに終わってしまうのかぁ。妊娠からの一連の流れに、なんだか一区切りがついたような気がした。あんなに生命力に溢れていた細胞の勢いも、すっかりなくなり終わりを告げた。

母と子が繋がっている、という時期は終わったのかもしれない。思い返せば、別々の生物体がいのちというつながる感覚を持てる、特別な期間だったという気がしてくる。少し寂しような気がしないでもないけれど、、本音は日々のことがあるので、あまり感傷に浸る暇もない、というところ。それでいいのだろう。いちいち感傷に浸っていては、子育てできないと思われ。
多くの母(主に聞いたのが女性)たちが、「記憶にない!」と力強く断言するけれど、きっとそれで正しいのだろう。
さて、息子は、これからもっと反応が出てくるはず。今は笑顔でキャキャとはしゃぐ程度だけど、身体の自由が利き始めるとどうなるのかな。楽しみだ!!
*胎嚢があるだけでは、妊娠しています、とはならない(ということを知った)。異常妊娠の場合もあったりするため。その後、正常な場所に着床していること、心音が確認できて、妊娠と確定できるらしい。私の場合、胎嚢が確認できてから心音確認まで2週間あった。この期間は、いったいどういう期間なんだろうか?妊娠でもなく、、?未だ不明。

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