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「寮のヌシ」と出会った話は、七不思議の一つとして語り継ぎたい

一年目、最終学期の授業は一つだけだった。6、7人のグループになり、2ヶ月近くかけてパフォーマンスを作るのだ。ランダムに振り分けられるので、中にはウマが合わず、それをきっかけに決別を選んだ子達も居たようだ。幸いにも僕のグループでは、そういう事は起きず、これが初めて演劇作りだからとワクワクしている子も居たり、何度か出演した経験があるからちょっと冷めてる子も居たりと、フレッシュなエネルギーが溢れていた。
 
その期間、殆ど毎日を彼らと過ごして、驚いた事、面白かった事は沢山ある。まず皆んな、何となく演技が上手い。聞いてみたら、イギリスでは義務教育課程で演劇の授業があるらしく、演技を通じて自己表現やコミュニケーションを学ぶのである。どうりで、芝居心があるわけだ。

それから、期間中は、彼らの暮らしている寮で集まる事が多かったから、イギリスの寮生活が分かって面白かった。まず、驚いたのは、男と女で寮が分かれていない事だ。しかも、いくつかある寮には、シャワーとトイレが共用の所もあるらしい。「危なくないの?」と聞いたら、「危ないと思うヤツの方が危ない。」と笑われてしまった。確かに一理ある。ただ、正直今でも、万が一の事は無いの・・・?と思ってしまう。皆様はどう思われるだろうか。
 
ある夜、メンバーの子の部屋に集まって作業をしていたら、うっかり寮の門限を超えてしまった。急いで正門に向かったが、既に門は閉まっていた。管理人がいなくて、時間になると自動で鍵が掛かるシステムなのだ。僕と、もう一人が取り残された。寮で一夜を越そう、と覚悟を決めかけた時、寮のヌシみたいな男が現れて、秘密の抜け道を教えてくれた。髪を肩まで伸ばし、顔の真ん中の大きな鼻が印象的で、冗談みたいに縁が太いメガネを掛けたヌシに「見つかったらマズいから、信用できるヤツにしか教えるな」と、何度も聞かされた僕は、「なんかこれ、青春っぽくない?」と思っていた。寮生活だった高校時代に、ありとあらゆる規則を破りすぎて、挙句の果てに退寮させられた僕には「楽しかった寮の思い出」というのが殆ど無かったので、2、3人でキャッキャ言いながら寮を抜け出そうとするのが、なんだか嬉しかったのだ。

そんな僕らを面倒臭そうに見ていたヌシは、僕らを寮の裏手にある茂みを抜けた先に生えている、何の変哲もない木の前に連れて行った。その幹の窪みに足を掛けてグッと体を押し上げると、ちょうど塀の上にある鉄の装飾に手が届くので、それを握って、もう一段階グッと体を引き上げると、塀の外に出られるというのだ。しかもそこは監視カメラの盲点になっていて、今までバレた人は一人も居ないらしい。半信半疑で試してみたら、確かにすんなりと抜け出せた。流石はヌシである。

後日、ヌシの事が気になって色んな子達に聞いてみたが、何度か留年しているから同級生は全員卒業しているとか、子供が居るらしいとか、あれは姪っ子だったらしいとか、とにかく言われ放題だった。ただしハッキリしたことは、誰も彼の素性を知らないと言うことだ。もしかしたら、ヌシなんて始めから居なかったのかもしれない。遅れてきた青春が見せた、春の幻だったのかもしれない。


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