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非モテと信頼と自己肯定感とshake hand

先日たまたまツイッターで開催されていた「非モテ女性の話を聞くスペース」というものを聞いた。
今まで恋人がいたことのない喪雀の巫女として大変興味深かったのだが、そもそもスペースの開催きっかけが「非モテ男性はいるが、非モテ女性は社会から可視化されていないね(いないものとされている)」というところからだったので結構…おお……っ…スゲェ…そこからなんだぁ……!?と思った。

私の元には数年前から散々喪女たちからお悩みや愚痴が拍手で届いていたから、そもそも存在を疑ったことなんてただの一度もない。
まあでも拍手をくれた人たちも私が「恋人出来たことないよ、言い寄られたこともないよ、完全なる喪女だよ~ん」と言っているからこそ「おっ!同じ境遇の人だ!」と安心して打ち明けてくれたのかもしれないが。

スペースはスピーカーとしての参加条件が自分を非モテだと認識している、というものだったのでかなり幅広い境遇の女性がスピーカーとして登場した。
全ての女性にほぼ共通していたのは自己肯定感が低い(あるいは、低かった)ということである。
親からの言葉、世間のルッキズム、社会評価、様々な要因によって己の内向きに刃が形作られたのだろう。

中には多数の男性との性経験があるが、自己肯定感が低く、セックスがなければ自分と男性は関わりを持ってもらえない……と語ってくださった女性もおり、私はびっくりしつつもなるほどね…と感じていた。
自傷行為的にセックスに走るという人の話はよく目にするものだからだ。

しかしながらその話を受けて「セックスできてるじゃん!!じゃあ非モテじゃないじゃん、やっぱり女性に非モテなんていないんじゃん」と紛糾している人が結構いて逆にビビってしまった。な、なんでやねん!!

もし自分の子供が友達ができない…という悩みを抱えていたとして、「お金やおもちゃをあげたら一緒に遊んでくれたよ」と言われたら「やったね!友達出来たんだねー!」と素直に喜ぶ親がいるのだろうか。

じゃあそもそも非モテって何?誰かと付き合うのがゴールなの?セックスするのがゴールなの?という話になるが、まあこれは本当に人によるんでしょうね、としか言いようがない。
勝ちまくりモテまくりになり多数の人間から言い寄られる諸星あたるの妄想のような状況がモテなのか、金銭授受なしのセックスをすればモテに到達なのか、1人でも恋人ができればモテなのかは人によるだろう。
そのゴール地点の一律制定を行ってない状態で話しててもしゃ~ね~べ!?て感じだ。ネットの議論あるあるだが。

私はまあ~喪女で、人から恋愛的な好意を寄せられたこともないのだが、どのゴールを制定したいかな…というのはちょっとよくわからない。

私はたぶん、性別を問わず、他人と信頼し合ってみたいのである。

よく聞く話だが、親友が結婚するのが悔しい、彼女を一番理解しているのは私なのにぽっと出の男に…という感情を抱く女性はけっこう存在する。
そもそも「彼女の一番」の地位に自分を置くことができるほど彼女と衒いもなくと信頼し合っているのだなあ、ということに度々驚かされるし感動する。

人間関係でいっちばーん!が認定されるようなことってあるのだろうか、友情においてそんなことって難しくない?と思っているがどうなんだろう。

しかしながら恋愛関係って、数多の人間の中から一人を特別区に制定することなんだろう。(ポリアモリー主義者を除く)
それってスゲーことじゃないか?

自分が他人を、他人が自分をたった一人の特別区だと信頼しあう関係性なんて異様でエキサイティングすぎる。
いいなあ~、それ一回やってみたい!オモシレーもん!それって手とかも繋ぐんですか?というのが私の「モテ」への憧れである。
結局「モテ」っていうあいまいで漠然とした概念を人間関係に持ち込もうとしてることが間違いなんだろうなァ!!


手、繋がないよな。人と。友達とだって繋がない。家族とも、小さいころと介護以外では繋がない。人体に触れることがないもん。
道を横断するお年寄りや子供の手に触れると「わあっ!!人間の体温だあ!」ってドキッとする。犬猫に触れると「わあっ!!自分以外の生命体の体温だあっ!!」てドキドキする。
でもなんか…付き合ってる人同士は場合によって繋ぐんですよね?
すげ~~、なんでなの?特別区に制定しあうというのは…人体に触れていいという状態になるの?!なに、天から許可が下るんだろうかな。アンタら手ぇ繋ぎな~?w(ギャル天啓)つって。
まあ「恋愛関係にある人間同士は手を繋ぐ」という発想自体が喪喪喪ー喪・喪ー喪喪って感じだけど…。でも仮に既婚者が配偶者以外と手を繋いでいたら囂々に非難されるだろうから、やっぱり特別区同士にのみ許される行為なんじゃないか。

まあshake handの話を散々したところであれなんですけど、信頼できる人間と信頼しあってみたい、そこに性愛が絡んでくるかどうかは知らない。ていうのが…ゴール…かなあ。というのがここ数年の思想です。

いやしかしながら!?私ももれなく自己肯定感に欠ける女なので、もしかしたらまず……自己肯定感について何らかの手ごたえを得ることができれば違う境地が開ける可能性があるな!?よし、自己肯定感向上キャンペーンでもするか。というのがここ1年の思想!!

これは「恋人ができないなんて悩まないで…♪自分の好きなことを見つけて向き合っていればいつかそんなアナタを見ていてくれる人が現れるよ♪」という、謎思想ではない。そんな「プレイヤーの想いに山札(デッキ)は応えてくれるよ」みたいなおためごかしはやめろ!!
もう自分で精神の柱を建立していくしかねえじゃん…というスピリッツだ。

結局承認を外注するあてがないなら自分で自分を信頼できるようになるしか…ないのだから……ということで運動したり、アラサーにして人生でようやく初めて「おしゃれになるには一体どうすればいいのかなあ~」ということで色々と頭をひねっている。
おまえはいつも…遅いんだよ!!でも今なんだよ、今やってみようと思えたんだから今からしかねーんだよ。
オヤジがオシャレに目覚めたのはいつだよ…高校生ん時か?
俺は……俺は今なんだよ…。

この先私は私と手を繋ぐことができるんでしょうかね。わからないが。
そう、だから、やってみなくちゃわからない。
大科学人生実験で。


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