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ヘタミュ・オタク・その愛

 「ミュージカルヘタリア(ヘタミュ)」三部作と、作中楽曲のライブコンサート「ヘタライ」を観た。
観るまでの経緯や思ったことをつらつらと書こうと思ったが、割愛。サクラ大戦歌謡ショウ育ちのオタクなので昨今のいわゆる若手俳優などの出演する2.5次元に抵抗はないものの、今まで特に好き好んで観ることはない人間であった。
ヘタミュもまあ…別にいいかな…(シリアスな話はつらいし…)という感じではあったが、「全員でまるかいて地球を合唱する」という一点に釣られてしまう。私は…大勢の人間が主題歌を合唱するのが大好きなんだよ……!!

 三部作の脚本や演技についてもまあこれは実際に観ていただいてそれぞれに感じてほしいので省くが、(というか私自身まだあんまり観返せてないので)「ヘタリア」という作品から独立した「ヘタミュ」という世界なのだということが新鮮であった。
 ヘタリアは基本的にコメディ作品であり、エスニックジョークや史実のエピソードをすべてひっくるめて「国」という概念・キャラクターに落とし込み動かすというなかなか最初は混乱しやすいようなところが魅力であるが、WW2~敗戦までの部分はさすがに扱いにくい……のを、ヘタミュでは真っ向から取り扱っているのもなかなか驚きである。

一作目(SW)…WW1~WW2決着
二作目(GW)…大航海時代~独立戦争
三作目(NW)…WW2決着+時間軸前後

 これらをシリアス一辺倒ではなくものすごいボリュームの楽曲で、時にはヒヤヒヤするような明るさを織り交ぜて展開していくので面白い。
特に一作目SWで「俺も弟(植民地のことである)欲しいなぁ~!♪」と明るく話し合いをしているのにはホワァーーッ!!!と恐れ入った。あれで「ヘタミュではこういうスタンスで、史実をやっていくのだ」という“納得”が私に生まれた。
君たちは客とキャストが満開の笑顔でフラッグを振りながら合唱するGHQ統治の光景を見たことがあるか?(この世でヘタミュでしか見られないぞ!)

 dアニメストアで三部作を観始めたところで私は早々にヘタライのブルーレイを注文していた。正直なところ三部作ザザッと見たところでは頭に残った楽曲が「一、二の、三で日独伊」くらいだった(ということが三作目NWを観ているときにわかる)のに楽曲ライブの円盤を律義に注文したのが自分でも不思議ではあるが……。
ヘタライを観終わるころには「まさか…ヘタミュって名曲っちしかなかったち!?(発狂)(気付き)」となっているのでますます不思議だ。本編中は話を追うのに必死で楽曲の良さまで頭が回らないうちにああ^~親の顔よりまるかいた地球^~となってしまうのでしょうがないんじゃ。

 さて、ヘタライである。(「舞台公演が全部終わっちゃったけど、最後に作中楽曲でライブをやろうじゃないか」というのは2.5次元ミュージカル特有の文化なのだろうか?)

オープニング楽曲でライブのための新曲、「君と僕の物語」は公式で試聴できるので見てみてほしい。これでヘェ~ビジュアルいいし…歌ウメェ~…とかちょっとでも思ったらヘタミュの才能が有るので視聴をぜひおすすめする。この足ドンドンオーオーオオオーオほんと好き。

本当にアニメの演技そのままやんけと思わせるキャストもいれば、ヘタミュ独自の路線で演じ切るキャストもおり、バラエティ豊かでよい。

 歌唱力もパフォーマンス力も三部作本公演よりパワーアップ(というより三部作を通して磨かれてきたというのが正しいのだろうか)しているため普通にエンターテインメントとして楽しめるが、
私がここでとにかく話したいのはヘタライに来ている客、すなわちオタクたちのことなのだ。

 ヘタライの映像では、異常に客席のオタクを映すカットが多い。
これは「幸せそうにしているオタクの映像が大好き」な私にとって衝撃的なことだった。一応女性向けコンテンツでここまではっきりと、しかも相当に客席を捉えたアングルが多発されるとは!
ライブ中にもコール&レスポンスを要求する場面が多く、
産業革命!\産業革命―ッッ!♥
など世界でも類を見ないコーレスを堪能することができる。
要するに、コンテンツ(ヘタミュ)を提供する側がはっきりと
「あなたたち客は、このコンテンツの要素の一つである」として扱っているのである。

 演劇やコンサートなど、生のコンテンツを映像にしたものというのは、「舞台上で生み出されたものの記録」というスタンスなのか、当日の光景などすべてを含めた「コンテンツの記録」であるというスタンスなのかそれぞれに分かれるものと考えるが、ヘタライは「ヘタミュ・ヘタライという世界の記録」だ。

 ライブ映像で客席が映るというのは、かなり好みが別れるポイントであろう。
「曲のサビの一番大事なところで表情を演者の映さず客を映している…」とか、「オタクのようなものを映す暇があったら一瞬でも多く演者を収めろよ…」とか「現実に引き戻される」とかいろいろ忌避される理由も理解できるのだが、
私は圧倒的に「一瞬でも多く、オタクを見せてくれえ~~~~っ!!!!!」と思っている派だ。

 私はライブコンサートに行って、「どうせ円盤ではキャストたちがアップで見られるのだからな…」と思って振り返ってオタクの振るペンライトの生み出す光のさざ波を見るのが好きだ。
コンサート映像で歌を口ずさむ客席が映ると、この人が毎日暮らしていく中で、この歌がその人の生活の中に確かに息づいているのだと思いを馳せてしまう。
 文章冒頭でも触れたように私は多くの人間が声をそろえて歌うのが大好きなので、オタクがライブコンサートで一小節歌ったりすると私の愛する「オタク」と「コーラス」が一気に楽しめてもうたまらなく最高な気持ちになるものだ。(HAPPY大作戦)

 ヘタライもそうした楽しいオタクに歌わせてくれるパートがあるのだが、問題はここからだ。
 ライブ終盤のしっとりソング多発パートのあたりからキャストと客の「え…!?ヘタミュ、終わりたくないんですが……!?」という気持ちが暴走し始め、大阪千秋楽ではあいさつが長引くあまり公演時間が狂気の4時間を超えライブビューイングが途中でぶっちぎり終わってしまったというだけでも笑ってしまうのだが(どういうことなんですか?)、とにかくこのヘタライにおいてキャストと客の作品を愛する気持ちが対等にぶつかり合い、それによりさらに増幅されている空間であることが映像から溢れて出ている。

 そして私があまりの感動で打ち震えたシーンなのだが、ライブの最後に「ここまでのヘタミュの歩み、皆さん今までありがとう!」という旨の映像がスクリーンに映し出される。映像で送られるメッセージも当然良いのだが、
 なんとそこでBGMとして使用されているオフボーカルver.の作中楽曲を客席のオタク達が自然と歌い始め、そして大きな合唱となっていくのである。
えっ…こ…こんなんマクロスじゃん…。
 ピンクのペンライトを手に持ち、涙を流しながら、満面の笑みを浮かべながらヘタミュを送り出す在校生徒と化したオタクたち!
そしてあまつさえ、その光景をバックに…スタッフロールが流れる!!!!

え…!?オタクの映像でスタッフロール流すのか!?!??!?!
そしてオタクのコーラスを律義に全部収録してるのか!??!?
えっ!?!?今日は…オタクのコーラスフル尺で聴いていいのか…!?
なんたる最高な光景なんだよ……!?

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オタクコーラスの大盤振る舞いに大興奮を抑えきれない私

 ちなみに「今は一度別れるけれど、またいつか花が咲くころに必ず会いましょう」という内容の歌で、舞台作品という咲いて美しい夢を見せては散りゆく花を愛し、また芽吹く時を信じ続けることしかできないオタクたちの心境にあまりにも寄り添いすぎている。
オタクーーッ!!!お前らがナンバーワンだ!!!!!!(号泣)
 このあたりから私の頭はオタクへの感動でいっぱいになってしまった。
おい、キャストを観ろ。いや、オタクもキャストなんだ!!

 千秋楽のあいさつで、客に向けて「みなさんも素晴らしい出演者でした」というようなこと演出家の方が仰ってくれるのだが、ヘタライのオタクたちのその出演っぷりはただ事ではない。
 ヘタリアはキャラクターが国であり、つまり民である私たちも乱暴に言ってしまえばキャラクターの一要素たりうるのだが、だからこそヘタミュ、ヘタライという作品においてはオタクもキャラクター、世界の一部であったのだ。

「僕の原子は君の思いで出来ている」というライブのためのオリジナル楽曲からして、ああ…オタクたちの一方的な想いではなく、
作り手側から「あなたたちは私たちの一部です」と力強く言ってもらえることがなんと幸福なことか………
作品を想うオタク、オタクを想う作り手、その美しい両片思いよ。

 Web拍手で当時会場にいたオタクより「会場にいる知らない人と手を振りあい、またねー!!と叫んで別れました」など様々楽しい思い出も寄せていただき、最高になってしまった。

↑当時実際に会場に行かれていた方のレポ。熱い!(涼野いと)

この会場でキャストと、客同士で「また会おう!」と誓い合ったオタクたちのためにまたヘタミュやってほしい。このヘタミュを取り巻く世界がまた幸せになるところが見たい、そう思わせてくれる作品だった。


また花が咲くといいですね。

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