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俺たちの喪心暗鬼

どうでもいいんだが、↑の「俺たちの」を打とうとして「折れたチンポ」になって面食らってしまった。どうしてもこのことを伝えたくて書いてしまっているが、のっけからこんなことになってしまって申し訳ない。

さて前回5万年ぶりにnoteでも書くかなと思って喪note、略して喪ートを書いたのだが思ったより「喪」の方々に読んでいただき、共感して頂いて嬉しかった。やっぱみんなオシャレな女に怯えてんじゃん~~!!ヤッタ~!!

私はRTされた後のツイートを必ず確認しているのだが、RT先で「わかる;;;;;ほんまコレ;;;;;」と共感している人の画像欄を漁り自撮りを見ては「おいっ………………!なんだよこの自撮りっ……!!!!!!!!!!!」と拳を握りしめたりもした。こんな美しい女に理解られてしまっては蛮族喪女の立つ瀬はなく激流に転落である。本人が「こんなんじゃだめだ!!」と思っているからにはしょうがない。美とは他人の認識と自分の認識の二種類ある。逆に他人にどう思われようと「関係ねえ!アタシは“イケる”」と思えればそれでよい。

ツイッターに設置しているweb拍手にも喪の者(今後面倒なので喪者にします)からの拍手コメントを頂いたが、顕著なのはその疑心暗鬼っぷりである。

「以前肘樹さんのツイッターで【元彼】との言葉を見てショックを受けた…」(幻覚です)、「私以外の人間には実は恋愛経験があるのでは…?」「肘樹さんには一生彼氏作らないでほしい…」など完全に喪の駆け込み寺と化してしまった。

なぜか私は昔から「絶対に彼氏作らないでほしい!」と悪意無く言われることが多く、喪、あまつさえ恋人持ちの人間からすら「安心の頼み綱」とされているがなぜなのだろう。生まれついての巫女なのだろうか。(ミラクル・ラー)

SNS国ツイッター県クソオタク村ではオタクは充実した私生活を送らず、「こんなに現実を見返らずに生きちゃった、ナハハ」と振る舞うこそが美徳とされる。そうではないかもしれないが少なくとも私はそう思う。私の拍手コメで喪け込み訴えを炸裂させた疑心暗鬼喪者たちもそんなアウトローたちを見て「やっぱオタクは“こう”だよね♪」と思っているタイプなのではないか。

ところがどうだろう。突然のフォロワーの結婚宣告である。私は今まで数度フォロワーの結婚に見舞われてきたが(慶事だぞ!)、その度に「え、推しカプのプチオンリーがあるのか?」と戸惑い祝福に一瞬躊躇してしまった。

そもそも毎日学校や会社に行きながら、食物を摂取しながら、服を脱ぎ着しながら、ツイッターをしながら、オタクに関するツイートをしながらその上で恋愛行為に及ぶとはいったいどんなマルチ人間なのだろう。喪者には全く想像もつかないが、そのマルチ人間がいたのである。そう、フォロワーに……。

フォロワーにはフォロワーの人生があり、ツイッターをしている時以外は人間の生活をしていることは少し考えればわかりそうなものだが私は脳がツイッターに直結しているので、フォロワーが結婚する度に思考がバグってしまう。

なぜ私たち喪はこんなに他人の恋愛経験にバビっちまうのだろう。もはや喪ではない、恋愛経験のある皆様に置かれましてはもはや遠けき感覚かもしれないが、個人的には「未知への畏怖」ではないかと思う。

喪の卒業は純血主義を追求するなら「人と手を繋いだことがある奴が喪なわけねえ」「1時間でも交際経験ある奴は喪じゃねえ」などとどこまでも“高み”を目指すことは可能であるが、とりあえず「人に好意を示されたことがある」が喪の卒業であると私は考える。私は上記全てない。

人間の喪性とは不可逆であり、加熱したたんぱく質のように元には戻らない。いくら3日間だけ付き合ったけど別れちゃった…(トホホ)という者があろうと二度と喪には戻れない。

我々喪者はその感覚を味わったことがないまま、生のまま生臭く生きているのだから、少しでも恋愛経験がある者に「私も生肉だよ~!(実際はミディアムレア)」と言われても「おいおいちょっと加熱されてんじゃん!!!!!!!!!!!」と激しく拒絶してしまう。現実世界で他人の焼き加減なんてわからないため、疑心暗鬼に陥ってしまうのだ。

ツイッターでだけは信じさせてほしい……喪男・喪女板でさえネ喪が潜むこの世で信じられるとすればフォロワーだけだ……………。私は地元のわずかな友人には恋人ピッピがいるし、先日オタクの先輩(私が堀内賢雄受けのCDを貸したら借りパクされた)が結婚すると母に聞かされたし、もはや心の安寧の頼みは電脳世界しかない。フォロワーにできればしてほしくない二大行為は速やかな脱稿と結婚だ。

もしかするとこのnoteを読んで“理解”る~!している人にもミディアムレアや表面若干焼けの人がいるかもしれないが、私は生肉である。

ちなみに拍手コメで「片思いはあったでしょ?」と聞かれたが、喪というのは人間の優しさにもろすぎる為に少し親切(消しゴムを拾ってくれたなど)を受けると「参ったな…この人と結婚しちゃうジャン………。」と感じてしまう。私はこの方法で幾数人との脳内結婚生活を送ったが、結論から言えばそのような親切は人間に備わっている最低限度のものであるので全てが一過性であった。何かをdoするまで至らず脳内でホワワ…して数日で飽きる。3日も脳内結婚生活を送るのは片思いの焼け具合的にはバチクソミディアムでしょうか?喪の純血倫理裁定所のみなさん、許して下さい!

あまりにも拍手コメで喪を願われるあまりにもし結婚報告でもしようものなら自宅を燃やされるのではないか?(薪もいっぱいあるし…)と妄想しているのだが、ビタイチ予定はない。盗らぬクソ喪のツイ算用、哀れである。

喪の皆も自分が結婚報告をするときどんなツイートをするか考えてみませんか?


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