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暗雲

ママの様子がおかしくなったのは、2月なかばの頃だった。感情の起伏が激しく、一度怒り出すと手をつけられない。発言に一貫性がなくなり、自分で言ったことを忘れるようになった。

こちらが受けた指示と、別の女の子が受けた指示では内容が真逆という事が度々起こり、スタッフ間で混乱が生じるようになった。矛盾を指摘して大騒ぎされるより、店の雰囲気を守りたいという共通認識があったため、何かあれば相談し合い、内々で都度対処した。

それぞれがフラストレーションを抱える毎日、店の中心にあったのは、ママのかたちをした怒りの感情、憤りの塊だった。

「先生」と呼ばれている常連さんがいた。いつもおしゃれなオーダーメイドのスーツを身にまとい、気前よくお金を使ってくれるその先生は、表向きはお店の共同出資者兼オーナーということになっていたが、本当のところ、ママは先生の愛人だった。出店費用や維持費はもとより、ママやママのお子さんの生活費はすべて先生が出していた。

ママの様子がおかしくなったのは、おそらく店の維持費を自ら負担するようになったからだ。今まで先生が家賃を払っていたが、ママに自立を求めて援助をやめたのだ。

ママはお金に執着するようになった。
しなくていいと言われていた同伴を強いるようになった。
自身も営業活動と称して、毎日店を抜けて飲みにいき、お客を連れ帰ってくるようになった。ママが連れてくるのは、どれも酒癖が悪く、隙あらば襲ってくる客ばかりだった。それを見ては、品よく飲んでくれる良いお客さんたちは咎め、皆離れていった。

お前たちの給料払う為に毎日飲みにいってるんだ、と八つ当たりされるようになった。
男に媚びろと説教されるようになった。
毎日更新しているSNSも「意味がない」と一蹴された。
非番でも定休日でもネガティブなLINEが届き続け、電話は出ないでいるとずっと鳴るようになった。

きつい物言いで当たり散らし、あとで反省して謝ってくる。その頻度は徐々に高くなり、間隔は狭まっていった。

防犯カメラで監視されるようになった。何かあればすぐ電話が鳴った。

人柄で売りたいと始まったはずのお店は、ただの女を売る場所になりつつあった。からだひとつ、女の商売で生きてきたママは、商売のやり方をひとつしか知らなかった。人と助け合い、協力する感覚を持たない人だった。
優しかったママはいつしか、恐怖政治で他人を支配しようとする独裁者に成り果てていた。

ずれてきたことに気づかないふりをしながら、一見穏やかに毎日が過ぎていった。店内ではなんとなく、嵐の前の生あたたくて強い風のような、落ち着かない気配が漂うようになっていた。

#日記 #エッセイ #お酒 #スナック #水商売 #怒り #人間模様



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