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優しい文章を。

とてもとても唐突なタイトル。
普段は読んでくれる人のことを考えて、なるべく理解しやすい内容を書くように心がけて(いるつもり)ですが、今日はふと思ったことを綴ってみようと思います。
きっとそういうことの中に、物事の本質があると思うから。
なので、本当ならばそれ一つで一記事になるような(記事にしたいと思っていた)内容を脈絡なく書いていこうと思います。

人生って

ほんっとうに選択の連続で。
大きかれ小さかれ、何かを決めないといけない。
カフェでアイスコーヒーにするのか、ラテにするのか。
ラテのベースとなるエスプレッソはどの種類にするのか。
これも立派な選択。

実は先日、私は大きな大きな選択をした。
私の中では、それはそれはもう大きい選択を。恐らく決断という方が正しい。
(この選択のことは整理できたらまた書く予定です。)
心をすり減らして、決断した。

でも思い返してみると、いつもそう思っていた。
高校を決める時も、大学を決めるときも、就職先を決めるときも。
「あぁ、これはきっと人生最大の決断だぁ」
と思いながら、息もできないくらいひたすらに悩む。

どれが正解なのか分からなくて、悩む。

けれど、私の経験上では、大抵の場合早い段階で答えは決まっていて。
そして私の性格上、決めたからには納得のいく理由が必要だと、思ってしまう。
どんな時でも、物事や感情にはそれに紐づく理由があるんだ、と。
それを探し求めて、悩まなければいけなくなる。
『悩むこと』って『正解だと思うために、納得できる理由探しの時間』なんじゃないかなぁと思ってきた。

そう思った時、久しぶりに学生時代教授に言われた言葉を思い出していた。

「悩めることって、幸せなことなんだよー。本当に。」

選択肢があることって当たり前じゃない。
自分は何かを選べる立場にいる。
それが幸せかどうかは、まだ言い切れなくて困ってるけれど。

だって、悩むたびに身が擦り切れそうだし、いろんな人の顔が浮かんでしまう。
私の人生のはずなのに、私だけのために決断して良いわけじゃないと、そう思う。

そんなこともひっくるめて「もっと肩の力抜いて考えてもいいのにね」と、自分に思い始めているこの頃だ。

アーティストはいつだって

アーティストって、表現者って本当にすごい。
私が知らなかったこと、考えも及ばなかったことをいつもいつも教えてくれる。

急だけれど、オリンピックの開会式のことが、どうしても気になる。
開会式を見た正直な感想は、「なんだか統一感がないな」だった。
どれもメッセージを感じられたし、釘付けになったけれど。
パフォーマンス同士の繋がりや流れ、それらのストーリーが全く見えなくて困惑した。
鑑賞しながら、気持ちはブツっと途切れ途切れで疲れてしまった。

『オリンピックの開会式ってどこもこんな感じだったっけ?』
『表現ってこう、私みたいな一般人には理解が難しいものだったか。』

なんて気持ちになった。
どれも本当にすごかったんだけどね。

誰の記憶にも新しいけれど。
開会式の直前になって、様々なニュースが飛び交った。
(内容の良し悪しに関してはここでは差し控えます)
私にはそれらが、目を瞑りたくなるような足の引っ張り合いに見えた。
だけど、開会式の裏で頑張っていた人が辛い思いをしたのは、これだけじゃなく、詳しいことはよく分からないけれど、どうやら著名人を含む多くの人が関わっていたらしく、なんだかすごいものが構想されていたらしい。
この祭典の裏側で涙を飲んだ人は数え切れないのかもと思った時、皮肉ったらしいかもしれないけど、やっぱりアーティストってすごいと思ってしまった。

彼らは、確固たる信念で伝えたいことがある。
各々が各々の考えを持ち、それを身をすり減らして伝えようとしてくれている。

だからこそ受けとる私たちは、映画やドラマを見て涙し、音楽を聴き心癒され前を向ける。そして自分の思考と対峙したくなり、物思いにふける。
何年も、何百年も前からアーティストはすごいのだ。
古い音楽を聴いても、絵画や彫刻、壁画を見ても、心に刺さるものがあり、考えさせられる。

表現の世界に完璧な正解はなく、誰も口を出してはいけないはずなのだ。
それこそがアーティストの権利であって、敬意の払い方なんじゃないのかな。

なんてことをふと思った。
物事の価値って難しいよね、とも。

癒しと発見

まずは癒しの話を。

最近聴き始めた音楽がある。
ずっと存在は知っていたけれど、ふと思い立ってYouTubeチャンネルを開いてみた。
なぜ今だったのか分からないけれど、なんだか聴いてみたくなったのだ。


第一声を聴いただけで、完全に心が掴まれてしまった。
優しく心地よい声に、スロウでふうっと息をつけるようなメロディ。
何の心配も必要ない気持ちになる。心から癒され、大丈夫だと思える。
久しぶりに同じ音楽を何度も何度も聞き返している。

いつだって、傷ついたり立ち止まってしまいたくなる出来事を引き起こすのは人なのに、そこから引き上げてくれるのも人でしかないことを改めて感じた。
どうしようもない傷を癒してくれるのは、私にとっての音楽がそうであるように、誰かの優しさなんだと実感した。

次は発見の話を。

最近話題になっている、『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』を読み始めた。
著者のブレイディみかこさんは、イギリス人男性と結婚した日本人の方。
内容は、主に彼らの息子さんの話だ。
カトリックの生徒が集まる、俗にいう治安の良い私立小学校に通っていた息子さんが進学を機に多様性が飛び交う公立校に通い始め、様々なことを学んでいく話。
リアルなイギリス社会の様子が描かれ、毎ページ興味深く学びがある。

その中で、心底ハッとさせられた部分があった。

息子さんが学校で同級生同士の差別がきっかけの喧嘩を見て話をしているときに、みかこさんは、自分の小学生時代の話をする。
当時の日本でも部落差別のようなものがあり、それを元に喧嘩が勃発した。
当時の担任の先生は、差別的発言をしたしていないに関わらず、喧嘩した2人を平等に叱ったそうだ。
以下本文です。

「なんでその先生は喧嘩両成敗にしたんだろうね」
「差別はいけないと教えることが大事なのはもちろんなんだけど、あの先生はちょっと違ってた。どの差別がいけない、っていう前に、人を傷つけることはどんなことでもよくないっていつも言っていた。だから2人を平等に叱ったんだと思う。」

これを読んで、私が生きていく上で最も大切かつ気をつけなくてはならないと思っていることを思い出した。それは、

『どんな理由があろうとも、それが人を傷つけて良い理由にはならない。』

だった。
自分の歩んできた道が誰かと繋がったような感覚になったし、彼女の話がじんわりと心に沁みたのだった。

このことを、彼女の文章を読んで考えさせられたことには大きな意味があったように感じている。

以前友人が「文章を書く人って、アーティストっぽいところがあると思うんだよね。」と言っていたことを思い出した。
きっと、アーティストって、俗に言う音楽家や美術家だけではなくって。
物書きもエンターテイメントであり、アーティストだ。
やっぱりアーティストってすごいし、心の端の端でそうなりたいとも強く思った。

心の師匠

と思いたい人に出会ってしまった。
今まで生きてきて、素敵だなと思った人や見習おうと思った人は数え切れないけれど、今回は違った。
確実に目指したい人であり、喉から手が出るほど教えを享受したい人であり、 心にずっと置いて、いつかは届きたいと思うような人に出会ってしまった。

その人物は、あのベストセラー『嫌われる勇気』の著者である古賀史健さん。
いやいや、なぜ今更?って感じですが。
これまた偶然に、芋づる式に出会った。
だからこそ何かに呼ばれているような、強いものを感じてしまった訳だけれど。
初めて彼のnoteを読んだ時、それはそれは衝撃を受けた。


彼の文章は、個人的に『とっても不思議』なのだ。
長かろうが、短かろうが不思議な魅力を纏っている。
隣で話しかけられているような、そんな気分になるくらいわかりやすく読みやすい。

そして何より、優しい。
とてつもなく、優しい。

意見を述べるにしても、優しい。
心にグサッと突き刺さりはしても、傷つけたりはしない。

人柄なのか、努力の末に行き着いた賜物なのか。
衝撃的な出会いに、私はひどく動揺してしまった。

「こんな人もいるんだ」

という感じだった。

そして同時に、私の書く文章について考え直したくなった。
素人なもので、どうしてもそれっぽいものを書かなければいけないと必死になっていたように感じる。
それっぽいことを言わなきゃいけないんじゃないか、と。

私は文章を書くことで何がしたいのか、考えてみた。
行き着いた答えはシンプルで、シンプルすぎて漠然としているとも言えるけど、私の答えは

優しい文章を、書きたい。

だった。

誰かの心を癒し、寄り添えるような優しい文章を、言葉を。
自分が救われた分、これからは誰かを救えるようになりたい、と。

自分を取り繕うことなく、言葉を紡いでいく勇気を持っていきたいです。

最後に

ここまで脈絡もなく、オチもない内容でつらつらと書いてしまいましたが、読んでくれた方(がもしいたら)ありがとうございます。

久しぶりに、夜にふつふつと書きたい気持ちが湧き上がり時間を忘れて夜中まで思いのまま書いてみました。

文中にしつこいほど出てきた、『優しい』は、簡単そうに見えて難しくて、人によって基準も異なるものだと思います。
薄っぺらいことを言ってるように見えるかもしれないし、正解のない旅になると思いますが、信じたいものがある方が強く立って歩いていけると思うんです。

書いている以上、多くの人に読んでもらいたい気持ちとは決別できません。
それでも、何かしらかの信念を持っていきたいと思った夜でした。

あ、急にスピリチュアルな感じの記事ばかり上げるとかではないです!
ふざけたことも、真剣なこともジャカジャカ書いていきたいです!!

本当に最後に一つだけ。
LUCKY  TAPES、是非聴いてくださいね。

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