父はおしゃれな人だった
私の実家はマンションなので、私が帰省している間多くのご近所さんが声をかけてくれました。
特にお隣さんには、父が臨終の際に立ち会って頂いたり、その後も母の体調を気遣ってくれたりとてもお世話になっています。
介護でお世話になっていた事務所にも、ご挨拶に行く事ができました。
父の様子を直接介護士さんから聞く事ができ、また母の様子を大変気遣ってくれて、本当にこの方たちに父をおまかせする事ができて良かったと思いました。
そして行く先々、会う人々が口を揃えて言うのが、「おしゃれな人だったよね」という事です。
近所のスーパーに行くにも、服装に気を使っていた。いつも素敵な帽子をかぶっていた。ベッドの中でも、ヘアスタイルを気にしていた。
それが父という人です。
お気に入りのオーデコロンがあり、いつも自分に似合う帽子を探していて、明るい色の服が好きだった。おじいさんっぽい恰好が嫌いで、周囲のおじいさんと同化する事を嫌っていた。
映画が好きで、良く一緒に映画を観に行った。
新しいものが好きで、新しいお店ができるとすぐに行きたがった。
絵が好きで、漫画家になりたくて、手塚治虫を尊敬していた。
実は大阪のバーで手塚治虫に会った事があり、マンガに名前を出してもらった事が自慢だった。
わがままで、ちょっと不真面目で、でも人の失敗に柔軟な人だった。
父が勤めていた会社の元部下だった方たちが、お線香をあげにきてくれた時の事です。
「父って怒ると怖かったんじゃないですか」
と聞いたら、皆口をそろえて「怒られた事は一度もなかった。」と教えてくれました。そして「怒る時は部下にではなく、上司に直談判する人だった」とも。
どんな大きな失敗をしても、「そんな事もある。次がんばればええ」と言ってくれたそうだ。右も左もわからない新人だった若い頃の自分を思い出すと、本当に無知だったなぁと思うそうです。
そんな自分を、叱らず育ててくれた父を、すごく慕ってくれているのだというのもよくわかりました。
父自身、多くの失敗や挫折を経験している人なので、人の失敗や挫折に寛容だったのかもしれません。
笑い話として教えてくれたのですが、父が一度だけ部下に愚痴を言った事があるそうです。
当時任されていた支店の店長をしていた父の給与が、自分より下の役職の人と同じだと知ったそうです。
早速上司に直談判。「すべての責任を任される立場で、給料が安かったら張り合いがない。10円でも給料が高ければ、そりゃがんばろうってなるもんやろう」と言ったそうです。
翌月、父の給料は10円上がっていたそうです。父は部下の人に「ほんまに10円だけ上げるやつがおるかいな。でも、わしが自分で「10円」って言うたから、文句言えんのや」とこぼしたそうです。
父の口ぶりが想像できる話で、私が大好きな父の話になりました。