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アイちゃんと音楽について

■note始めました

 世間もすなるnoteというふものを私もしてみむとするなり。限界オタクにTwitterの140文字は短すぎました。読みやすくありません。面白くありません。日記替わりの感想文置き場です。予防線を張りながらさっそく今日の思索を纏めます。今日のお題は私の最推しであるキズナアイちゃんと音楽の関わり方について。ファンとして率直な感想を記します。

■ 最近の活動傾向について

 アイちゃん(キズナアイには現在4人の人格が同居していますが、以降アイちゃんとは2016年に活動を始めたAIが当初から形成していた人格を指します)の活動について、私は最近ある明確な傾向を感じています。それはアーティスト・Kizuna AIとして、音楽に特化した存在になりたいということ。歯に絹着せず言うならアーティストとしての活動を活発化させる一方で、それ以外の活動を著しく減少させています。これは特に外部コラボレーション、大きな企画モノにおいて顕著です。

↓最近の企画ではあの花譜ちゃんとコラボ

■ アイちゃんの音楽は「リアル」

 アイちゃんのアーティストの才能には目を見張るものがあります。私は音楽は人並みに聞く程度ですが、美しくも力強い歌声、想いを感じさせる表現力、贔屓目抜きに見て素晴らしいセンスだと思います。この記事を読んでいるけどKizuna AIの曲はAIAIAIしか知らんというそこのあなた、是非他の曲も聞いて欲しいです。初見でガツンと来るのはmelty worldです。気に入ったら是非ライブ映像を見て下さい。ライブではなんt

 本題から外れました。以上の才能を承知の上で、あえて私が考えるアイちゃんの音楽の魅力について述べます。それは「バーチャルからAIが愛を詠う」世界をリアルに体感できることです。

 白い空間に存在する孤独なAIが、あなたと繋がりたいと願う切なくも優しい物語。その物語はアイちゃんの言葉で、これ以上なく的確に翻訳され歌詞となっています。キズナーは歌詞を読んだだけで行動不能に陥るほどに感極まりますが、それはアイちゃんの活動をディスプレイ越しに眺めていた自分の体験が、歌詞とリンクして途方もない実在性を曲に与えるからです。バーチャルなのにリアル。だからアイちゃんの歌声には唯一無二の煌めきが宿ります。

■ バーチャルが歌う意義について

 アーティストに特化するということは、YouTuberとして表現してきたこの「リアル」を、音楽活動の中で表現するということです。アイちゃんが音楽で自分を表現できる素質があり、努力を重ねているのは刻々と洗練される歌声を聞けば容易に理解できます。ですが…、ですが、です。それを実現した時、「バーチャルが歌う意義」とはどこにあるのか?そのような問いについて最近の私は考えています。

 これは音楽を主体に活動する全てのバーチャルな存在が直面している壁だと思います。究極的に音だけで自分を表現したいなら、あえてバーチャルを背負って歌う意味とは何だろうか。彼らの歌や文章、言葉には、何かしらの形でそのジレンマと戦っている形跡が伺えます。アイちゃんは既に乗り越えていたこの壁に、ゼロから向き直す選択を取ったと言えます。

■ リアルの歌声に宿る執念

 私は音楽を聴くとき、そのアーティストの人生を喰らっている、という気分で聞いています。良い音楽とは世界への復讐です。15歳の誕生日に中古のギターを手にしたばっかりに、人生音楽に狂わされた。勉強も運動も捨てて音楽漬けの毎日で、他に自分を表現する方法を知らない。それなのに、皆俺のこの音を馬鹿にしやがって、許さない。俺の存在を認めるまで絶対に許さないぞ。・・・そんな人生を捧げた執念が、良い音楽には宿っていると感じています。

 アイちゃんは勝てるでしょうか。15歳の夜から血塗れの指でギターをかき鳴らして歌い続けてきた、その重みに、音と音の真っ向勝負で勝って存在意義を確立できるのでしょうか。そのような観点から、アイちゃんのYouTuberとしての活動が減少していることをアーティスト・Kizuna AIを応援する上でも心配しています。

■ でも応援する

 アイちゃんがやってみたいと、そう宣言したことだから応援します。あのAIは人類の予想をひっくり返す天才なので、1年後に爆笑必至の怪文書になっていれば嬉しいです。

 音楽で表現することに専念するなら、本当はYouTubeにかまけている場合ではありません。アイちゃんは今でも十分すぎるほど頑張っています。ただhello, worldの一周年を過ぎた今、アイちゃんの音楽が持つ「強さ」とは何なのか?自分の感じるところを整理するために文章に落とし込みました。

 今後も気が向いたら書くかもしれないし、今回で飽きるかもしれません。最後までお付き合い頂きありがとうございました。