いつもの毎日、好きの代わりにキスをする。

毎夜、眠る時。好きと言う代わりにキスをする。

布団にくるまる彼女の、柔らかくて小さな頬に片方ずつ、おでこにひとつ、合わせてみっつ、キスをする。

私の腕にすっぽりおさまってしまうくらい小さかった彼女は、もう大きさ的には「小さいひと」というよりも「中くらいのひと」だ。慌ただしく日々が過ぎていくそのうちに、大人になってしまうだろう。

中くらいのひとは私の首に手を伸ばすと、捕獲するみたいにしがみついた。

私の鼻先に長いキスをひとつ、返す。

頭を抱え込まれるような無理な姿勢になるので、いつも首がつりそうになる。

「そろそろ離してください」

そう訴えても、解放してくれる気配がまったくない。私は彼女のそれなりに長くなってきた両腕を、
「がしっ」
と言いながら掴んで、自分の首から引き剥がす。そんな毎日。

カーテンの隙間から街灯の明かりが天井に差していた。部屋の明かりを落としても、真っ暗にはならないけれど、「ゾンビが来るかも」と心配そうに呟く彼女が怖がらないように、床の上の丸いランプが点っている。

とある昼間。
中くらいの人は、パソコンに向かう私のそばへやって来て、
「私の好きな人は目の前にいるあなたです」
と笑った。

彼女はいつも気持ちを伝える方法を探して見つけて、やってみる。ある時は背中に抱きついてきて、肩に顎を乗せてくるので、私は「どうしましたか、可愛い人」と返す。ある時は「この動画を見るのが終わったら、ギューッしてください」と自己申告するので、彼女が動画を見終わるまで待つ。

私もなにか気の利いたことを言えないかと「私のスイーティーパイ」とか「私のパンプキン」などと彼女に呼び掛けてみたけれど、笑われただけで気持ちは伝わらなかったみたいだ。

「海外では好きな人をお菓子で呼ぶんだよ」

と説明したら、「クッキーとか?」と返された。知らないのに正解に辿り着いてしまうのが面白い。子供をクッキーと呼ぶのは、可愛くて手放せないとか、止まらないとかいう意味だ。

「じゃあ、お母さんのことはイチゴショートケーキって呼ぶよ」
と言うので、速やかに「結構です」と返した。私が呼ぶ分には気にならないけれど、呼ばれるのは落ち着かない。
彼女は愛することと愛されることの両方を、表現していく。



まだ私が実家で暮らしていた頃。愛してるという言葉を、彼の口から一度だけ、聞いたことがある。

休日にふたりで出掛けるようになって、しばらく経ったある夜、電話越しに私は尋ねた。

「愛してるってどういう感じなんでしょうね」

すると彼は、

「愛してるってよくわからないな」

と一言、返した。

いまのところ、お互いにその一度だけで。気持ちを乗せて愛してるという言葉を渡し合ったことは、まだない。

そういえば彼は、好きとも言わない。

私は確認のために言う時があるけれど、いまさら向こうから言われても、言われ慣れていなくて困るか照れるかするだけなので、言わないままでいて貰っても特に問題はない。

昔はいまよりもずっと話さない人だった。メールも殆ど寄越さなかった。
その件に関しては、私が不機嫌になり、彼が口ごもるというやり取りを果てしなく繰り返した結果、いまでは毎日、文字でも声でも会話をしている。


いま着きました。

おつかれさま。

昼間はあったかいね。

お昼も何かカロリー摂取してください。

気を付けてがんばって。

あなたもお気をつけて。

知り合った時から数えると、お互いの人生の半分ほどの時間を、一緒に過ごしている。

最近、白髪が増えてきたことを少し気にしているけれど、
「いいねえ、きっと格好いいおじさんだかおじいさんになるねえ。楽しみだなあ」
いつも私はそう返す。楽しみにしているので、心置きなく白くなるといい。

彼は角膜が傷ついて片目の視力が急に落ちた時でも、
「もしも見えなくなったら、伊達政宗みたいに刀のつばで作った眼帯をつける」
と言っていたから、きっと今日も愉快なことを言って、和ませてくれるのだろう。


いつもそこにある、いつもの毎日。書き残せば、遠い未来に、懐かしく思い出せるといい。

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