二百円ののど飴

通学に使っていた電車は一、二両だった。とホテルの窓から見える線路に山手線が入ってきたのを見ながら思い出す。受験のために、お母さんとこの同じホテルで初めてご飯を食べた時、芋虫みたいな色のそれの車両の数を数えて、10を超えたところで興奮したものだった。

都内ではまだあの形の電車には出会ってない。そもそもあれは私が今乗っている電車とは全く違う種類のものだと思う。キティちゃんのサンダルを履いた若者もいないし。

小さなお地蔵さんのある急な坂を登った上に高校があって、受験勉強のために早朝の電車に一人で乗っていた。同じ駅からの友達が始発かその次に乗ってくることはなかった。ほとんど人数がいない車内で同じボックス席に人が来ることは滅多になくて、窓際の進行方向を向く席に陣取って外を見るか本を読むかしていた。あの電車は本当にガタンゴトンという音を出していた。不思議なことにおでこを窓に当てると冷たかった記憶しかない、いつも景色は寒い季節なのだ。夏はどうだったんだろうか。

友達と一緒に勉強というものができなかった。じっと考えると外の音が聞こえなくなる、無視してるわけではないけれど勘違いされるのが怖かった。一人の電車はとても居心地が良かった。

この始発のボックス席に一生住みたい。

ぼうっと考えていた。

いつも乗っているおじいさんがいた。垂れ目で作業着のような帽子をかぶっていて、ある時何かの拍子で話しかけられた。もう何がきっかけかも覚えていないし、なんでそうなったかわからないけれど、そのおじいさんは私のボックス席に座るようになった。

おじいさんにどうしてこんなに早い便に乗っているのかと聞かれて、受験勉強のためだと答えた。もちろんひとりになりたいからなんて言わない。

おじいさんはえらいねえらいね、と言ってくれた。どうしてあの年の大人は手放しで、当たり前のことをしているだけで褒めてくれるのだろう。私は後ろめたさからいつも、偉くないです。と言わずにはいられなかった。おじいさんとした話で覚えているのは本当にわずかだ。孫が遠くで働いていること、おじいさんは今は警備のお仕事をしていてそれに向かっていること。お婆さんと暮らしていること。書き連ねると何も覚えていない。おじいさんは会うと必ずお菓子をくれた。飴一つとかじゃなくて、きのこの山一個とアルフォートとか。私にとってきのこの山が150円を超える貴重なお菓子だったからかもしれないけれど、これを丸々くれるなんて、ととても衝撃だった。しかもそれが会ったら毎回だった。私は嬉しくて学校の友達と一緒に全部食べた。

そうしているうちにお菓子はどんどん増えていって、ある日袋ののど飴をくれた。今でも覚えている、はちみつキンカンの味で、パッケージにはたぬきがいた。のど飴の袋を一袋誰かから貰ったことなんてなかった。中身は20くらい入っているし、二日に一度もらうようなものじゃない。そもそも健康でのど飴のボリボリ噛んで食べる飴との違いも分からないのに少し高くてそんなに好んで食べたことがなかった。二百円もするし。おじいちゃんは受験があるから風邪を引かないようにねと言って、のど飴はメンバーに加わった。おじいさんはその味が一番好きなのだと毎回言って、くれた。キンカンは殆どみかんみたいな味でのど飴だからか少し苦い。いつも飴をバリバリ噛んでいたけれど、私の喉の健康のために買ってくれたのだと思うと、なんだか噛み難かった。

ある日帰り道で最寄りの近い友達にお菓子を分けた、おじいさんが毎朝くれるのだと話すとその子は そんな人危ないよ と顔を潜めた。そうなのかと思って、途端になぜか恥ずかしくなった。自分は足りないと言われてる気がしたのかもしれない。その子も受験勉強のために 早朝の便で行こうかなと言った。

そうしてその子も同じ便に乗ってきた。私に優しくて気の強い子だったから、一緒に座って話していた。その後いつものおじいさんが乗ってきた。

友達が あのおじいさん?と顔を潜めて言った。私はおじいさんに会釈することしかできない。おじいさんも会釈を返すだけだった。おじいさんは今日も私のためにのど飴を買っているのだろうか、とグルグルした。

その友達と通うようになってしばらくして、友達が乗ってこない日があった。いつもの駅でおじいさんが乗ってくる。おじいさんはどこの席を選ぶのだろう。とドキドキしているとおじいさんが私の咳のところまできた。おじいさんは、友達に知らないおじさんは危ないって言われたかい?と困ったように笑って私にお菓子の入ったビニール袋をくれたあと違う席に座った。私は何も言えなかった。

私は友達も、おじいさんも裏切ったような気分になった。どうしたらいいのか分からないまま学校について袋を開けると、いつもののど飴がまた入っていた。

私は通学電車を変えた。

しばらくの間は乗り換えの電車を変えて、自転車で通った。コンビニでハチミツキンカンのど飴を見るたびにおじいさんのことを思い出した。だけど一方で一つ習慣を変えた日常にも慣れていった。

ある日、自転車を学校に置きっぱなしにしてしまったので、あの電車に乗ることになった。その日は私ひとり、ボックス席の通路側に座ってあの駅が近づくたびにドキドキしていた。おじいさんの駅に着く。そっと見渡す。おじいさんは乗ってこない。降りる時にわざと車両を端から端まで歩いたけれどおじいさんはいなかった。

それからその電車にもまた乗るようになってきたある日、突然おじいさんが乗ってきた。おじいさんも私に気がつく。私はどうしたらいいか分からなくてそっと会釈をした。おじいさんも会釈をする。

それから本当に時折、おじいさんを見かけた。そうして気がつけば全く見なくなった。私とおじいさんはもうボックス席に一緒に座ることはなかった。

名前を聞いてよけばよかったと思うし、なんで私は友達の前でおじいさんに優しくできなかったのかと、今でもずっと後悔していることの一つだ。

高校生の私はとても愚かで卑怯だった。

ハチミツキンカンののど飴は今も売っているし、たまに買う。味は相変わらずそんなに好きじゃない。きちんと最後まで噛まずに舐めることのできる、唯一の飴。まだ少し苦く感じるのは自分の卑怯さを噛み締めているからかもしれない。




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