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「零れる砂のアリア」

日山 尚


レーベルさんの許可をいただいたので、霜月さんとつくった霜月はるかオリジナルボーカルCD「零れる砂のアリア」のブックレットに掲載されているストーリー全文を公開します。

「零れる砂のアリア」は、「グリオットの眠り姫」のスピンオフ作品として、作曲家5人(なるけみちこ・MANYO・岩垂徳行・弘田佳孝・霜月はるか)が共作し、一つの物語を組曲形式で纏め上げるアプローチを試みたアルバムで、作詞は私が担当しています。楽曲あってのストーリーなので、是非一緒に聞いてみてください。

なお、楽曲は各サブスクサービスでも配信されています。

※ご注意※

物語の順序としては四章の後に「グリオットの眠り姫」本編が展開されます。主人公はフォアゲイトの双子の娘であるシトラローザです。原作ボーカルアルバムの他、コミカライズ・ノベライズがリリースされていますので、興味のある方はよろしくお願いします。
また、上記設定(本編の主人公と敵対関係である人物が主人公)の都合上、今作は後味の悪い作品となっておりますので、バッドエンドが苦手な方はご注意くださいませ。

イラストはイラストレーターのchibiさんです。世界のある素敵なイラストを描かれる方なので、ぜひサイトを訪問してみてください。

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「零れる砂のアリア」




序章



 ——砂が零れる。


 森の奥深く。虫の羽音が響く草むらの中。
 倒れた男の手のひらに握られた砂時計は、持ち主の命が残り少ないことを示しているかのようだった。

 乾き切った唇からは声を漏らすことも容易ではない。
 ただ容赦なく、蒼い砂がさらさらと零れ落ちていく。
 その様をぼんやりと見つめながら、男は重くなった瞼を閉じる。

 ふと、呼びかける少女の声に遠い記憶が重なった。
 そういえば、こんなことが昔もあったと。

 
 それは、今と同じように死を背中に感じた、少年の頃の物語。



第一章 悪夢


 思えば父は、歳の割に老けていた。
 母が疫病で伏せった頃からだったか、父は虱の混じった白髪を掻きむしり、いつも疲れたような溜息をついていた。埃だらけで空気の淀んだ同じ部屋の隅で過ごす少年フォアゲイトにとって、父の背中とは拒絶の象徴にすぎない。父に甘えることは愚か、何かを問いかけることも許されない暗黙の了解があった。
 フォアゲイトが生まれ育ったのは、大陸の北東に位置するカルダモンの町。
 数十年前からの天変地異で、太陽の光は弱まるばかりだった。
 気温は徐々に下がり、冬になると数歩先が見えない程の吹雪が襲う。
 人々は皆、滅びへと向かう世界の様子を肌で感じながらも、不安を隠して生きるしかなかった。

 その日も、無精髭だらけの父は黙って先を歩いていた。半日は歩かなければ辿りつかない南西の森へ食物を探しに行くのは、カルダモンの男たちの日課となっている。すでに金の価値は暴落し、町にあった店はほとんどが潰れ、或いは夜逃げしていた。昔は親子四人で一年は暮らせる量の小麦が買えた金貨でも、今は両の手のひらですくえる程度しか交換できない。
 もう、あの街では暮らしていけない。
 裕福な者は一家で町を捨て、領主の治める中央都市へと移住していった。それほどに食糧危機は深刻で、町に残った住民は誰もが飢えていた。食べ物を巡る争い事は頻繁に起こっていたし、秩序すらも失われつつあった。
 ゆえに、住民——特に老人や幼い子供の「突然の失踪」による家族の減少も、よくあることだ。
 だから、フォアゲイトは常に怯えていた。先月は隣の家の老人がいなくなり、先週は向かいの路地で物乞いをしていた同い年の子供が消えた。
 ——今度は自分の番かもしれない。
 それを問うこともできずに、彼はただ父の背を追うしかなかった。


  無言で歩き続けた父が立ち止まったのは、見晴らしの悪い森の中。木々のせいで周囲は薄暗く、昼間だというのに梟がほうほうと鳴いている。
「……休むぞ」
 唐突に声を上げた父は樫の木の根本に腰を下ろし、背負っていた袋包を広げた。中から転がったのは黒々とした木の実。味は苦いが、このご時世において栄養価の点では貴重とされる食べ物だった。
 おそらく、これが最後の食事になる。
 黙々と木の実を刃物で割り、傍に掘った穴へ黒い殻を放り投げる父の姿を眺めながら、フォアゲイトは徐々に殺意を感じはじめた。

(——全部終わったら、あの刃は僕の首を刎ねるに違いない。そして、その穴に僕の死体を捨てて、埋めるんだ)

 汗で湿る手のひらを握りしめようとしても空腹で力が入らない。がくがくと震える膝は誤魔化しようがなかったが、恐れていることを父に悟られたらお終いの気がして、必死に冷静さを取り繕う。
 凍りつくような寒さの中、鼓動が高鳴り、黙々と作業を続ける父の姿は、もはや不気味でしかなかった。

(——逃げろ)

 心の奥で、誰かが囁いた。

(——逃げなければ、殺されるぞ)

 大きくなる声に触発され、危機感に頭を満たされた少年は、意を決した。
 どうせ、黙っていたら殺されてしまうのなら。
 このまま、ここで死ぬくらいなら。
 フォアゲイトは穴を掘るために使った棒を両手で拾い上げると、それを握り、有りったけの力で父の後頭部を目がけて叩きつけた。
 鈍い感触、鈍い音と同時に、父の悲鳴が響く。
 フォアゲイトは残った木の実の袋を両手で掴んで、一目散に走った。呻く父に構ってなどいられない。

(——できるだけ遠くへ行け。とにかく、走れるところまで)

 今にも空腹で倒れそうな身体のどこにこんな体力が残っていたのか、自分でも信じられなかった。気が遠くなるような長い距離を、フォアゲイトは全速力で駆け抜けていった。
  息を切らしながら、フォアゲイトは近くの木にもたれかかった。呼吸が上がりすぎて、胸元が尋常ではないほどに暑く苦しい。喉の奥から何かが込み上げてくる。空っぽの胃から胃液を絞るように嘔吐すると、ようやく少し落ち着いた。
 どんなに時間が経っても、父は追いかけて来ない。
 奪ってきたのは、ポケットに入る程度の木の実。たった一掴みの食糧。これで生きられる日数など、たかが知れている。
 とはいえ、他人の食糧を盗むことは重罪だった。父がそれをただで許すはずがない。もしも生きているのなら、追いかけてこないはずがないのだ。
 息子の罪を許してでも、息子が知らない土地で勝手にのたれ死んでくれたほうが都合がよかったのだろうか。少なくとも、自らの手で殺めるよりは。もしかしたら、父の中にも息子殺しの罪悪感というものが一欠片でも存在したのだろうか。
 後にフォアゲイトはそう思い至ったが、その時は父から逃れることで精一杯だった。

 山を下り、南へとくだり、少しでも暖かい方角へと進む。
 日が暮れて、棒のようになった足を引きずりながら森へ入ったフォアゲイトは、道のない茂みを何日も彷徨った。
 昼間は徘徊する魔物から息を潜めて隠れた。夜は空腹と寒さとの闘いだった。
 眠るたびに、父や町人たちが追ってくる悪夢を見た。
 彼らは決まって「死んでくれ」と呪いのように繰り返しながら、鬼のような形相でフォアゲイトを手にかけようとした。
 死ねば、一人分の食い扶持が減る。それが何よりの親孝行だと、一月前に消えた老人が言ったことを思い出す。
 汚らわしい両手が襲ってくる。纏わり付くそれを必死に振り払う。
 その度に汗だくで目を覚まし、夢だったことを知ると、再びフォアゲイトは歩き出す。
 同じ場所にいつまでも留まるのは恐ろしかった。
 だが、行く宛があるはずもない。故郷の街へ戻るための道も分からなくなってしまった。たとえ戻れたところで、今度こそ殺されるだろう。
 深夜の森に独りぼっち。気の遠くなるほどの孤独。
 もう、帰る場所はない。先に進むしかない。言い聞かせながら、ひたすら前へと歩き続けた。

 やがて、樹海の中で体力も食料も底をついた。
 これ以上、どこへ向かえばいいというのか。
 肉体的にも精神的にも限界を迎えたフォアゲイトは、とうとう己の背中に死を感じ、膝を折った。
 冷たい土へ誘われるように身体が崩れ落ちる。このまま全てを委ねて瞼を閉じれば、もう目覚めなくてもいいのだろうか。
 何に恐れることもなく、「悪夢」をみることもなく、静かに死ねるのだろうか。
 その時だった。彼の耳に歌が聞こえてきたのは。
 間をおかず、泥と傷だらけで倒れていたフォアゲイトの前に、『彼女』は現れた。
「——道に迷ったの?」
 歳は同じか、少し上くらいの少女。
 彼女は舞い降りた羽のように柔らかな長い銀髪を揺らして、彼の目の前で首を傾げる。まるで羽の生えた女神のように、少女の纏う白いレースが空を透かしていた。
 木漏れ日の中で、フォアゲイトに手を差し伸べる。艶やかな銀色の長い髪、自分の乾いた汚い肌とは違う、透きとおるような白い肌。見つめる瞳は明るい榛色。
 フォアゲイトは何も喋れず、完全に言葉を失っていた。
 少女は小脇に抱えていた籠の中からみずみずしい果物を一つ取り、フォアゲイトに差し出した。

「——一緒に行こう」

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第二章 邂逅


 フォアゲイトを保護した少女の名はセシアラ・アピアレード。
 森の中にあるルバーブという隠れ里に、母マルタと二人で暮らしていた。
 彼女は「メシャリア」と呼ばれている歌姫で、奇跡を起こす「アリアのうた」を歌える存在であるらしい。どうやら彼女は、村の中で特別な扱いを受けているようだった。
 少なくともセシアラがかばう限り、皆フォアゲイトを邪険にはしない。排他的な思想も垣間見える集落ではあったが、幼いセシアラの意志と発言力はそれほど絶大だった。
 そうして、フォアゲイトは少しずつ村での暮らしに馴染んでいった。
 一月後、収穫を祝いながら森に感謝を捧げる花祭りの日が近づいていた。
 村を挙げて年に一度行われる伝統の祭だという。セシアラもメシャリアとして「うた」を歌うらしい。
 生まれてこの方、祭など経験したことのないフォアゲイトにとって、村全体が一丸となって楽しそうに準備をしている様子は奇異に映った。
 いかなる仕事も、カルダモンでは厳しく辛いもの。それに引きかえ、この村人たちは働いているというのに生き生きとしている。
 他人事のように村人たちを眺めているフォアゲイトを見つけたセシアラは、手を振りながら走り寄ってきた。
「これ、フォーグの分よ」
 ぐい、と押しつけられたのは空っぽの籠。怪訝そうなフォアゲイトに、セシアラは笑いかけた。
「この籠いっぱいにお花を集めるの。お祭りの最後にこの村で一番高い木から花びらを降らせるのよ。働かざる者、お祭に参加するべからず、なの。さあ、手伝って!」
「……いやだ」
 フォアゲイトは小さく、しかし、はっきりと拒否した。
「ルバーブの人たちは僕を煙たがってる。余所者は出て行けって、言葉にはしなくても目が言ってる」
「……目が喋るの?」
「喋るよ。僕にはちゃんと聞こえる」
  口では優しく理解ある大人のふりをしながら、その視線は冷たい。『メシャリア様の家』に居候しているから態度には出せないだけ。そう、フォアゲイトは遠まわしに言った。
「そんなことない! みんな、フォーグは勉強熱心で良い子だって言ってるよ? 文字を習って間もないのに、私の本棚の本を全部読んじゃったって」
「メシャリアの君がそう言うから、みんな従ってるだけだ。本当は君も分かってる。この村は、外の人間を歓迎しないって。僕は、故郷へ帰った方がいいんだ」
「……いいから、森へ行きましょ!」
 セシアラに手を引かれて、フォアゲイトは仕方なく走った。


 村の出口から小径の脇に入れば、そこは森の中。方向感覚を失わせるような、鬱蒼とした緑が広がっている。
 花を集めるためだと言って、セシアラは『うた』を歌った。
 歌声に共鳴して、周囲の花々がざわめいた。居場所を主張するように灯りの花に光が灯り、返事をするように鈴音の花が音を奏でる。風もないのに木の枝がゆれ、さわさわと音を立てる。
 まるで、セシアラの『うた』と対話をしているかのようだった。
 彼女が起こす奇跡を目の当たりにして、フォアゲイトはポツリと呟く。「……まるで女神様みたいだ」
 世辞でも嫌味でもなく、ただの素直な感想のつもりだった。
 ところが、いつもなら笑うはずのセシアラから、元気な様子が失われたことに気付く。彼女は力なく頭を振ると、小さく嘆息した。
「私の『うた』は、まだまだよ。なにより一番大切なものが欠けてるって、母様には怒られてばっかり」
「足りないもの……?」
 こんなに凄い奇跡の力を持っているのに、一体何が足りないというのだろう。
 尋ねようか迷っていたフォアゲイトに対し、セシアラは続けた。
「だから、花まつりでもうまく歌えるか緊張してるの。また、失敗するかもしれない。うまく声が出ないかもしれない。どうして私ばかり、皆の前で苦手な『うた』を歌わなきゃいけないのかなって、メシャリアの家に生まれたことを、ずっと恨んでた。……だけどね、初めて誰かのために歌いたいって思ったの」
 ちらりと、セシアラがフォアゲイトを見つめる。
「……だから、フォーグには私の『うた』、聞いててほしい。ここへきて一月も経つのに、フォーグは一度も笑ってくれないから」
 悲しそうなセシアラの目には、困惑した表情を浮かべたフォアゲイトが映っている。
 それがそんなに重要なことか、彼には理解できない。もっと正直なことをいえば、フォアゲイトはセシアラから受ける扱いに戸惑っていた。
 ここへくる前は、暗い街の片隅にうずくまって暮らしてきた。
 空腹は人を狂わせると、よく父は言っていた。だから外へ出る時は、道ゆく誰かの目につくことを恐れた。
  傷つけられないように、殺されないように、ただ静かに呼吸をする毎日。夜中は邪魔にならないよう骨張った体を抱えて、なるべく小さく丸くなる。
 隣で寝ている父や兄のいびきが聞こえなくなると身を固くし、物音がする度に神経を尖らせる。常に眠りは浅い。自分の身は自分で守らなければならなかったから。
  吐き捨てるかのような告白を聞いていたセシアラは、みるみる表情を陰らせた。きっと自分を可哀想に思っているのだろう。そんな感情は、あの街では何の腹の足しにもならない。だが、恵まれた相手に物乞いをする武器にはなるのだと、父は言っていた。
 しかし、フォアゲイト自身はあの頃の生活を不自由と思ったことはあれど、辛いと思ったことは一度もない。物心ついたときから貧しかったというのもあるが、毎日を生きるだけで精一杯で、余計なことは考える暇がなかったのだ。
 けれど、その日に食べるものがないあの頃よりも、今の暮らしの方が辛く感じる。それは、とても不可解な感情だった。


 夕暮れ前に村へ戻ると、花祭りは始まっていた。
 村の広場に作られた舞台では、誰かが笛や太鼓を演奏している。村人は笑いながら輪を作り、酒や食べ物を分け合っていた。
 豊かな村。魔物からは結界で守られ、食べ物は充分にある。他人に危害を加える者はない。家の仕事さえ手伝えば、文字も勉強させてもらえるし、本も自由に読める。
 そして何より、セシアラは優しい。
 一体どうして心が苦しくなる必要があるのだろうか。
 正体不明の焦燥感に火がつく度に、フォアゲイトの心には陰が差した。

(——なら、消し去ってしまえ)

 楽しげな祭りの喧騒が遠ざかり、霞がかった何処かから声が聞こえる。

(——俺を殺して、木の実を盗んで逃げて、自分だけが幸せになろうなんて、良い身分だな、フォアゲイト)

 今度は父の声までも聞こえた気がした。

(——ほら、殺してしまえよ。身を守れない奴はいつ死んでも文句は言えない。そして、死人に口なし。……そう教えてやったじゃないか。この豊かな村をのっとれば、お前は生き残れる。こんな思いもしなくて済むぞ)

 灯された松明の火の粉が舞い、その先に現れた闇の中の父が邪悪に笑む。

「どうしたの? 大丈夫?」
 フォアゲイトが我にかえると、セシアラがまじまじと顔を覗き込んでいた。
「……何でもない」
 説明なんてしたくなかった。こんなに汚い汚い泥だらけの自分を、セシアラにだけは知られたくなかった。
「やっぱり帰る」
 セシアラに心配されるほどにいたたまれなさを感じ、再びそんな言葉が口を吐く。帰れる故郷などないと、頭では分かっていたのに。
「ダメ! 今のフォーグは、絶対に帰さない!」
 フォアゲイトは言葉に詰まった。ここから先は通さないとばかりに両手を広げるセシアラの顔は、今までになく険しい。

 広場では、飾り衣装を持ったマルタがセシアラを待ち構えていた。
「時間だよ、セシアラ。どこへ行っていたんだい? 皆がお前の『うた』を待ってるっていうのに」
「ごめんなさい。フォーグと一緒に花を集めていたの」
 自分の花籠をフォアゲイトに渡し、セシアラはマルタとともに身支度を始めた。
「帰らないで、ちゃんと聞いててね。フォーグ」
 やや躊躇いながらも、セシアラの迫力に押されたフォアゲイトは薄く頷き、花で飾られた舞台へ向かう彼女の背中を見守った。
 よく見ると、セシアラの肩は震えている。
 それでも、舞台の上では、セシアラは『メシャリア』だった。
「……今年も恵みをくださった森と女神様……そして、大切な人に感謝をしましょう」
 セシアラはそう言い、息を吸って歌い始める。
 古い森の言葉で紡がれる不思議な旋律。それはフォアゲイトにも感じる温かい光となってあたりを包んでいく。村人たちは皆、セシアラの有り難い『うた』の力を身に受けようと目を閉じていた。
 やがて、共鳴するかのように風が吹き、籠に集めた花びらが舞い上がった。フォアゲイトは風から籠を守ろうとしたが、花吹雪の中で歌うセシアラの美しさに見とれてしまった。
 まるで翼の女神が花を従えているようだ。その様は何とも神秘的で優しい光景で、フォアゲイトはひとときも目を離せずにいた。

「……どうしてセシアラに、帰るだなんて言ったんだい?」
 セシアラが二曲目を歌い出した頃、いつの間に傍らにやって来ていたのか、マルタが問いかけてきた。
「……楽だったから」
 フォアゲイトが答える。
「死なないことだけを考えていれば良かった頃のほうが、ずっと楽だったから」
「……そうかい」
 マルタに吐き出したことで、フォアゲイトは初めて己の感情を明確に言葉として理解できた気がした。
 劣悪な環境の故郷よりも今のほうが苦痛を感じるのは、きっと失いたくないものを見つけてしったから。
 この村で、綺麗なものを知ってしまったから。
 目の前で、数多の花びらに祝福されながら歌う、あの少女のような。「……楽に生きようなんて狡いことは、もう諦めたほうがいい」
 フォアゲイトが僅かに頷くと、マルタはそれ以上会話を続けなかった。
 ただ、「また詞を間違えたね。あとで言ってやらないと——」などと独りごちながら、彼女はフォアゲイトの隣でセシアラの『うた』を聴いていた。

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第三章 帰郷


 季節は何度も巡り、幼い日が過去のことになった頃。

 セシアラとフォアゲイトは成人し、共に迎えた何度目かの花祭りで永遠を誓った。
 結婚してセシアラとの間に双子の娘をもうけたことで、ようやく『余所者』ではなくなったフォアゲイトは、ますます勤勉になる。村の一員として、セシアラの婿として、少しでも役に立ちたいと心に誓いながら。
 セシアラもまた、メシャリアとして歌い続ける傍ら、一人のよき妻であり、双子の母であろうとした。
 そんな夫婦を、村人の誰もが祝福した。


 しかし、冬が近づいた、ある日のこと。
「————東の街がまた一つ、死んだらしいよ」
 食事の途中、マルタがさりげなく口にした噂に、フォアゲイトは顔を上げた。
 このご時世では、特に珍しくもない話だ。人々は少しでも豊かな土地を求めて故郷を投げ出し、金も体力もない物は故郷とともに朽ち果てる。
 しかし、なぜか聞き流せず、フォアゲイトは尋ねた。
「……街の名は?」
「確か……カルダモンと言っていたね」
 次の瞬間、何ともいえない感情に突き動かされ、フォアゲイトは立ち上がっていた。
 カルダモン。久しぶりに耳にしたそれは確かに、自分が生まれた街の名前だった。自分を殺そうとした父や母がいたはずの街。二度と戻る機会などないと思っていた故郷。もう忘れることにしたはずの場所なのに。
 なぜ、本当にあの街がなくなったのか、この目で確かめたいと思ってしまったのだろうか。
 セシアラと結婚し、ルバーブの住人として正式に受け入れられた今となっては、故郷の滅亡を気にする必要性すら感じないのに。

「——それでも、いくんでしょう?」
 気づくと、セシアラの強い視線がフォアゲイトを射貫いていた。
 答えに詰まるフォアゲイトの唇が動く前に、セシアラははっきりと言い放つ。
「……帰さない」
 幼い日と同じように、セシアラはフォアゲイトを見つめる。あの頃と変わらない、榛色の大きな瞳。
「セシアラ……」
「一人じゃ、帰さない。私も一緒に行くわ」
 二人は最愛の娘たちをマルタに預け、ほんの数日の自由な時間をもらった。
 それが、最後の別れになるとも知らずに。


 森を抜け、小さな村や小屋で宿を取りながら、二人は歩き続けた。

「カルダモンへ行っても、あきれるほど何もないよ」
「きっとがっかりするだろうよ」
 すれ違った行商人たちに貰った地図と朧気な記憶を頼りに、フォアゲイトとセシアラは山道へと入った。
 進むにつれて草木はまばらになり、ごつごつとした岩が目立ってくる。
 足下を砂に撮られながら坂を進むと、ようやく目の前に峠が見えた。フォアゲイトが地図に目を落とす。来た道が正しければ、待ちはこの峠から見えるはず。
 しかし、そう確信した時、フォアゲイトは立ち止まった。
「……セシアラ、疲れてないか?」
 突然そう尋ねられたセシアラは、すぐに察した。ここまで来て、彼は故郷を目の当たりにするのを躊躇っているのだろう。『悪夢』が再び現れるのを恐れるかのように。
「私が先に見に行きましょうか?」
 心配そうに自分を見上げるセシアラの気遣いを感じて、フォアゲイトは頭を振った。
 今更、こんな所で立ち止まるわけにはいかないと思い直して。


 幼い自分の前に立ち塞がっていた大きな門は、木の柱しか残っていない。そこには、確かにカルダモンと記されていた。
 かろうじて街の面影は残っているが、人の気配は全くなかった。竦み上がるような静寂の中、風が申し訳なさそうに吹き抜けていく。その度に砂埃が舞い、フォアゲイトは咳き込んだ。
「……本当に誰もいなくなったのか」
 道ともいえない道を歩き、己の家があったはずの場所に立ち尽くしているフォアゲイトは、誰にともなく尋ねた。
 自分を殺そうとした父はいない。年も年だ、この環境で生き延びているとは思えない。外の街に引っ越すだけの蓄えも体力もなかっただろう。恐らくはとっくに死んだに違いない。
 だが、それを確かめる術はない。だから、胸にあいた穴も永遠に埋まらない。
 これで、あのときの父の本意を知る由も二度となくなった。自分が死ぬまで分からないままだ。己も父となって、想像することは容易となったが、答え合わせはできない。永遠に。
 廃墟と化した集落を目の当たりにした今、自分にも郷愁じみた感情があったことが意外だった。
「……ただの『悪夢』だと思い込もうとしていたのかもしれない」
 フォアゲイトが、ぽつりと呟く。
「ここに来て分かった。『悪夢』は、現実だった」
 秩序も消え失せた街で生まれ、悪意に満ちた場所で育ったこと。他人よりも少しでも食べ物を口にすれば、妬ましい、恨めしいと呪われる街。他人を己よりも辛い目に遭わせようと、足を引っ張り合う地獄のような毎日は、夢や幻ではなく歴とした記憶だったのだ。
 自分だけが逃げ出して、今日まで生き延びてきたことも、全て。
「……砂が目に入った」
 フォアゲイトは目頭を擦り、セシアラに背を向けた。
 込み上げてくる感情を我慢できなかった。

 ぽたり。

 涙が足下に滲み、自身の爪先に印を作る。
 その途端に胸の奥を苦しさが襲い、フォアゲイトは慟哭した。


FEL MIE MESYARIA,SYUA FEL ARY ARIA NEO...
FEL FIRY ARIA SAR WEL...


 それは何度も聴いてきた『うた』。
 嗚咽を漏らすフォアゲイトを背後にし、セシアラは優しく歌っていた。
 あの頃は旋律だけで聴いていた歌の意味も、今のフォアゲイトには理解できる。


 あなたに『うた』を与えましょう
 わたしが全てを包むから、悲しみなど恐れないで
 そうすれば、あなたは優しい世界を取り戻す
 私はずっとここにいます
 踏みしめた大地に、過ぎる風に、あなたの側に


 染み入るような歌声に導かれ、風には僅かな暖かさが戻った。周囲の枯れかかった草木も、実際に水を得たかのように色を取り戻していく。共鳴して花を咲かせるものまであった。
 太陽の光が弱まる前、ここにあったかもしれない風景。
 『うた』が作る景色を滲んだ視界の向こうに感じながら、再び『悪夢』がすぐそこに忍び寄っていたことに、フォアゲイトは気づかなかった。

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第四章 狂気


 フォアゲイトが故郷の地を踏んでから数年が経っていた。

 ルバーブの森とは海を隔てた王国。
 大陸を統一した国王を頂く国に、創奏の女神アリアをまつり神殿が建てられている。
 その奥には、王国に迎えられたメシャリアであるセシアラの私室が作られていた。

 そこには、金色の髪の少年がよく遊びに訪れる。
 彼は現国王の五番目の王子だった。
 仲の良かった兄を亡くしたばかりの彼は、宮中行事でセシアラが歌った『うた』に励まされたのだと言った。
 それから、歌姫と王子の交流が始まった。彼は『うた』だけではなく、セシアラのする話にも惹かれていた。知らない城の外の世界の風景や物語に強く興味を示し、様々なことを聞き出そうと、毎日のようにセシアラを午後のお茶に誘った。
 セシアラも故郷に置いてきた娘たちと年の近い彼に、我が子のような親しみを覚えていたのかもしれない。

 己の生い立ちを話す途中で、セシアラはフォアゲイトと別れたカルダモンの街の出来事を口にした。
 あの場所で『うた』を歌っていたセシアラを、たまたまとある男が目撃していた。彼は街を視察に訪れていた領主、その人だった。
 世界をも救うメシャリア。奇跡の存在を目の当たりにした領主は、彼女をフォアゲイトから引き離し、強引に海の向こうの王国へ連れ出した。
 アリアを祀る聖神殿へと招かれたセシアラは、聖女の降臨として扱われ、つまりは自由を奪われたのだった。

 ——聖女に夫の存在は不要。
 そんな一声で、セシアラとフォアゲイトは引き離された。
「セシアラ! いつかきっと、君を迎えに行く!」
 それが、囚われたセシアラの耳に届いたフォアゲイトの最後の叫び。
 とても悲痛な、怒りと悲しみにあふれた声色——。
「……セシアラは、その人を愛して、信じてるんだね」
 そっと尋ねた少年に、セシアラは沈黙したまま頷いた。


 人々はセシアラに『うた』を求め、何度も奇跡を求め続けた。
 最初は小さな奇跡でよかった。花に光を灯したり、鈴音の花を鳴らしたり。それだけで、人々はセシアラを女神だと認めた。
 しかし、その要求は日に日に大きくなる。
 太陽が弱まる毎日に募る不安。希望の見えない不安。奇跡の『うた』に縋る気持ちは痛い程に分かる。
 だからこそ、人々の想いに応えようと、セシアラは精一杯歌った。太陽に『うた』が届くように。少しでも人々の心の憂いが拭えるように。
 そして何よりも、遠く離れた愛する娘たちとフォアゲイトのために。
 しかし、太陽の光は弱まるばかり。気温は下がり、冬は昨年よりも長くなった。誰もが不吉な未来、滅び行く世界を実感していた。
 セシアラが何度『励ますうた』を歌っても、太陽の光が強くなる奇跡は起こらない。

(——あの歌姫は、本当に女神なのか?)

 やがて、人々の間には疑念が浮かぶようになる。
 その頃から、セシアラは体の不調を訴えるようになり、『うた』の最中にもよく倒れていた。

(——満足に『うた』も歌えない聖女)
(神殿で飼う価値もない偽の聖女)
(あの女、誰に取り入ってあの地位を手に入れたのか?)

 セシアラの耳に入ってくるのは、彼女の人格をも否定する辛辣な言葉ばかり。
 さらには、セシアラのせいで太陽の光が弱まっているのだと言い出す者までも現れた。

(————あれは、異端の魔女ではないのか?)

 セシアラは重圧に耐えながら、それでも歌い続けた。


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FEL MIE MESIARA, SYUA FEL ARY ARIA NEO...
FEL FIRY ARIA SAR WEL...


 一方、神殿から拒絶されたフォアゲイトは、王立古代研究所に籍を置いていた。夫としてセシアラの側にいられないのならば、己の努力で地位を得るしかないと考えたのだ。
 幸い、彼は聡明で、かつ勤勉家だった。幼い頃からルバーブ村で学んできたアリア語や『うた』の知識は古代の研究者にとって宝の山に等しい。
 彼は、己の能力だけで博士にまで上り詰め、研究所の信頼を受けた後、多くの部下を従えるまでになった。

 全ては、セシアラともう一度出会うため。
 ルバーブ村で交わした、永遠の誓いを守るため。
 今度は自分が、セシアラに手を差し伸べたいと思った。
 
「一緒に帰ろう」と。


 そんなある日、フォアゲイトの元へ一通の手紙が届いた。
 内容は、『歌姫セシアラとの謁見を許可する』というもの。差出人は不明で、心当たりもない。
 己を陥れるための罠かもしれないと疑いながらも、セシアラに会える喜びを胸に、フォアゲイトは聖神殿へと急いだ。

 「——お前が、『フォーグ』か?」
 セシアラの私室の前で待っていた少年——手紙の主である王子が、神妙な面持ちで言った。
 その呼び方は、セシアラだけが使っていたフォアゲイトの愛称。彼はすぐに、彼がセシアラと親しくある立場にあると察した。
 彼に促されるまま、フォアゲイトは初めてセシアラの部屋へと足を運ぶ。
 セシアラらしくない、過剰なまでに飾られた部屋。その静寂を壊すように、フォアゲイトの足音が響く。
 白磁の壺。宝石の埋められた照明。大理石の机。豪華な装飾が視界に入るたびに息苦しさを感じる。歩くにつれて、父に連れられて行った道と同じ、嫌な予感が体中に纏わり付いた。

 セシアラは、奥の寝台で眠っていた。
 穏やかな表情だった。しかし、人形のように動かない。
 固く閉じられた瞼が開くことも、その唇が『うた』を紡ぐこともない。
「セシアラ……やっと会えたね」
 唇から漏れた言葉と裏腹に、頭が思考を拒否していた。この状況を理解してはならないと、心の全てが警笛を上げている。
 なぜなら、彼女は昔のセシアラではない。
 これは、
 これは、亡骸だ。
 そう認識すると同時に、フォアゲイトは手にしていた花を落とし、膝を折った。
「セシアラはずっとお前に会いたがっていた。だから最後くらい、願いを叶えてやりたかったんだ。遅くなってしまったけど……」
 背後からやって来た王子は、静かに言った。
「何故……こんなことに?」
「お前も知っている通り、彼女が何度『うた』を歌っても、太陽は光を取り戻さなかった」
 王子はぽつりぽつりと苦しそうに吐き出す。
「皆、セシアラを責めた。何もしてやれなかった。逃げる機会は何度もあったのに、それでもセシアラはここで歌うことを選んだ。そうして徐々に追い詰められてしまった。お前を、ここで待ちながら……」
 彼の言葉に、フォアゲイトの鼓動が大きく乱れた。
「これを、選んだ」

(——セシアラが、死んだ)
(——セシアラを殺したのは誰だ)

 闇の中から、再び『悪夢』の声が囁く。
 人々はセシアラを女神として崇めて勝手に期待し、暮らし向きが良くならないと分かると、手のひらを返した。
 一の期待は十の絶望と化し、その分、セシアラを苦しめた。
 人々が抱えていた恐怖と不安が育てた悪意は、たった一人の歌姫へとぶつけられていたのだ。こんなに優しく強く、しかし無力で儚い歌姫へと。
 人一倍、正義感の強いセシアラ。人一倍、相手を思い遣るセシアラ。
 人々を救いたいと心から願っていたに違いない。その度にどれだけの無念さを感じていたのだろうか。そして、どれだけ己を責め続けていたのだろうか。
 それが彼女を悩ませ、病ませ、最終的に自らの命を奪わせた。あんなにも輝いていた彼女を、死に追いやった。
 たった一言、「助けて」とも口にできないまま。
「……すまない、セシアラ……」
 セシアラの側にいられなかったことを悔やみながら、フォアゲイトは震える指先で彼女の頬に触れる。
 あまりにも冷たく、その想いは、もう声にならなかった。

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(——セシアラを殺したのは……)

 セシアラを追い詰めた民衆のせい?
 セシアラを脅してメシャリアに仕立て上げた王国のせい?
 カルダモンで彼女の『うた』を聴いた領主のせい?

 それとも——自分のせい?

(お前がセシアラを守ることができれば、セシアラは死ななかったのに)

 そうだ、あの日、自分が故郷へ行こうなどと思わなければ、こんなことにはならなかった。
 幼い日、『悪夢』に取り憑かれた自分へ手を差し伸べて救い出してくれたセシアラを、己が見殺しにしたも同然。
 太陽の光の中、自分の手を引いて走る少女。
 花で溢れる花籠を抱え、泣きそうな表情で『うた』を歌ってくれた少女。
 昔の彼女の姿ばかりが次々と瞼に浮かび、フォアゲイトは息をすることも忘れていた。

 (——そんなセシアラを殺したのは、お前だ、『フォーグ』)

 『悪夢』はフォアゲイトの足下へと纏わり付き、底知れない闇へと誘い始める。
 フォアゲイトの耳には『悪夢』の声しか届かない。
 やがて、彼の瞳から光が消える。


 それは、新たな悪夢の始まりだった——。





終章


 あれから、長い時が経っていた。

 男の手のひらに握られた砂時計。蒼い砂は、もう殆ど残っていない。
 時間は余りにも経ちすぎている。世界も人も、あらゆるものが変わってしまった。
  何故こんなことになったのか。何が正しかったのか。どこで間違ってしまったのか。
 今となってはどうでもいい。
 もう、己の生きた時代は終わったのだと、男は実感した。閉じた瞼を開くには、外の光が眩しすぎる。
 諦念に近いが、決して絶望ではない。後悔などあるはずがない。
 これで永い『悪夢』から、ようやく覚めることができるのだから。

 彼は、瞼の皮一枚で隔てられた、狂った世界に別れを告げると、ぼんやりと浮かぶ景色があった。

 幼い日、彼女が手を引いてくれた森。
 籠一杯の花を手に、笑いながら駆けていく彼女と——自分の姿。


 最後の砂が零れる刹那に、呼びかける声を聴いた気がした。




「——一緒に行こう」


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イラスト:chibi






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日山 尚

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