「譲り葉塚」


「蝶ノ在リ処」という自主制作アルバムに収録の「譲り葉塚」という歌曲の歌詞とイメージを広げるストーリーテキストです。youtubeやサブスクサービスにてフルバージョンを公開していますので、ぜひ楽曲と一緒にお楽しみください。

「譲り葉塚」
歌:霜月はるか 作・編曲:MANYO

ひとり佇む 誰そ彼
小指絡ませぬ ゆびきり
明日も来るから ここに居りなさい

心ぼそき閨の中でも
灯りとなる その言葉
髪撫づる 痩せた手と手を
繋ぎ歩む 双りの砂利道
今も あの日は褪せずに

格子隔てて散る花
骨に纏わりし蝶々も
はやくお帰りと
舞ひて ささめきて

刻の過ぎる故里に住む
恋慕える あの人は
嗚呼 偏に別人のよう
知らぬ人に知りえぬ笑みなど見せて
世界を違える

便り絶える閨の中でも
また良い子に眠ります
だから呼んで 名前だけでも
忘れぬこと それだけの願い
今は 儚く醜く

土に汚れ 塚は荒れ果て
枯れた草に寄る命
天へ昇る糸を切りしは
居場所もなき泡沫のならい
枝を落ちゆく譲り葉
いざや 何処へ逝こうか......




譲り葉塚



 母さまはお優しい方です。毎日、私の閨にお団子やお花を持ってきてくださいました。そんな母さまのお心遣いだけで私のお腹はふくれましたし、私の心は満たされました。
 翌日、私が何も食べていなくても怒ることはありませんでした。帰り際には必ず「また明日」とおっしゃいました。
 日暮れの時、特に月のない夜は寂しくもありましたが、お天道様が真上に昇る頃にはまた大好きな母さまがいらして、私に言葉をかけてくださいます。そんな楽しみがありましたから、私はよい子で待っていられました。
 ところが、いつからでしょうか。ある日を境に、母さまはなかなか私の閨へいらっしゃらなくなりました。
 はじめはご病気かと心配しました。たまにお元気な顔をお見せくださることがあっても、すぐにお帰りになってしまいます。そして、また何ヶ月もいらっしゃいません。その間、私はずっと独りでした。隣に植えられた譲り葉の木だけが黙って寄り添っていてくれました。
 幾千の昼夜を繰り返し、やがて、私の閨には誰も訪れなくなりました。

「ちゃんと、良い子にしていますから。母さまが一日も早く逢いにいらしてくださいますように」

 手を合わせて願いながら迎えた、何度目かの春のこと。
 天上の雲の隙間から私の閨へ、するすると一本の糸が下りてきました。まるで露に濡れた蜘蛛の糸のように輝く白い糸は、私を迎えにきた天の遣いと名乗りました。
「さあ、この糸におつかまりなさい。共に天へと昇りましょう」
 天へ昇るということは、名も縁も清められて無垢になること。地上でのあらゆる契りを捨てるという意味だといいます。ゆえに、母さまにも二度と逢えなくなるというのです。
 そう聞いて、私は怖くなりました。
 天へ昇るよりも、母さまにもう一度お会いしたい。お優しい声を聞きたい。一緒に歌いたい。だって、またいらしてくださると約束をしたのですもの。
 三日三晩に渡って私が誘いを拒んでいると、天の遣いはやや低い声色で言いました。
「ならば、この糸を切っておしまいなさい」
 今思えば、天の遣いは怒っていたのかもしれません。けれど、私は言われるままに糸を切りました。すると、糸はまるで生きているかのように私を包み込み、蛹を蝶に変えるかのように、私に輝く羽を授けました。
 これなら、どこへでも飛んでいける。
 私はただ歓喜し、蝶の姿となって風の中で自由に舞いました。薄く弱い羽で幾日も飛び、幾日も歩き、ようやく故郷の里へと辿り着きました。
 昔と変わらない黄金色のすすき野原。脇から続く砂利道を通り、母屋へ足を踏み入れると、見慣れた軒から鈴の音と数え歌が聞こえてきました。


  ひとつふたつと 三日月の宵

  いつむ七色 山越えとうに

  いざや 何処へ行こうか


 小さい頃から、母さまと一緒に歌ったお手玉の歌です。
 母さまがすぐそこにいらっしゃると確信した私は、思わず駆けだしました。
 やっと、母さまにお会いできる。名を呼んでもらえる。髪を撫でてもらえる。よく一人で帰って来られたわねと、誉めてもらえる。その期待だけで、胸は熱くなりました。
 そして、とうとう母さまの姿が見えました。
 母さまは縁側に座り、お手玉をしている幼い娘子に優しい笑顔を向けていました。
 そう、私が会ったこともない、見知らぬ娘子に。
 その刹那、私の心は凍りました。気がついてしまったのです。母さまが、知らない子どもの母になっていたことを。
 まるで、母さままでもが知らない人に見えました。
 あんなにも焦がれていた人が。
 私の時間はあの日から止まっていましたが、母さまの時間は動きつづけていたのです。
 だから、変わってしまわれた。新たな家族を得た母さま。今も生きていらっしゃる母さまは、死んだ私のことなど忘れてしまっていたのです。それも、いとも簡単に。
 約束をしていました。逢いに来てくださると疑いもしませんでした。けれど母さまは、私をあの日に置き去りにしたまま縁を断ち切り、とっくの昔に別人となっていたのです。だから、私の閨へいらしてもくださらなかったのです。
 私は言葉を失い、その場に崩れ落ちました。井戸水をかけられたような冷たさと、沸き上がる湯水のような熱さが、心の内を激しく揺さぶりました。まるで、嵐のように。
 もう一度、名前を呼んでほしかった。忘れないでいてほしかった。体は朽ちても、せめて心は母さまの娘であり続けたかった。
 ただそれだけで、本当にそれ以上など望んでいなかったのに。

 私は、悪い子だったのでしょうか。
 私のことを嫌いになってしまわれたのでしょうか。

 そんな問いかけも、ここにいらっしゃる母さまにとってはご迷惑なことでしょう。今となっては、それは惨めで滑稽で、ひどく醜い願いにしか思えませんでした。
 どうして。それしか言葉は浮かびません。
 独りで閨に戻った私は、ひたすらに泣きました。もう母さまの側に、心に、私の居場所はないのです。譲り葉の古い葉が新しい葉に枝を譲るように、私は己の居場所をあの娘に譲ってしまったのです。

 帰る故郷はありません。この蝶の羽では風にひらひらと舞うのが精一杯です。私の空は、この暗い閨の天井だけ。天へ昇る糸も切ってしまった私は、光の射すこともない土の中で、永久に眠るしかありませんでした。
 やがて、周囲に生えていた草も枯れ、荒れ果てた私の閨は朽ちていきました。
 私がここに眠っていることなど、誰も知らないに違いありません。時が経ちすぎて、私自身ですら私の名前を忘れてしまったのですから。
 全てを失い、本当の意味で私は独りぼっちになりました。いつの頃からか、一滴の涙も零れなくなっていました。
 そんな私の元へ、再び天の遣いが現れたのです。
「泣くこともできぬ哀れな譲り葉よ。自ら天への道を切った罪深いおまえに慈悲を与えましょう。天と地の繋ぎ蝶となり、未練を残した蝶を『千』集めなさい。さすれば、その羽はおまえの望みを叶えてくれるでしょう。望む居場所へも連れて行ってくれるでしょう」
 私は永く眠り続けた閨を後にしました。それしか私に残された道はありませんでした。
 私のように未練を断ち切れず、天への糸を切った千匹の『蝶』をつかまえる。哀れな蝶たちを集めることだけが、天の糸を切った私にできる唯一の償いなのですから。

「ひとつふたつと三日月の宵、いつむななつの山越えとうに……」

 懐かしい数え歌を口ずさみながら、私は宛もなく歩き出しました。

「いざや、何処へ逝こうか……」



「ツナギ蝶」へつづく









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