見出し画像

ファンタスティックコントの可能性

例として拙作を一つ紹介させていただきます。

『ディズニーシーにマッコウクジラ』

 ディズニーシーの海面に、マッコウクジラが顔を出しました。 
「わあ、クジラが出てきた」
 観光客が、マッコウクジラに、一斉に手を振ったり指さしたりしています。歓声が上がり、スマホやカメラで撮影を始めました。
 マッコウクジラは、おかしいなと思い、困った顔をしてまわりを見回しました。
「道を間違えちゃったな」
 マッコウクジラは勢いよく潮を吹いて、底に潜っていきました。
 潮が観光客の頭の上に降ってきました。
 (注ーディズニーシーの海は真水です。海とつながってはおりません)

 思い付きで勝手に出てきた話です。
 でもよく考えてみると、テーマが、ないわけではありません。次に列記してみます。

テーマ分析

1 ディズニーランドは人工的で閉鎖的な娯楽施設です。対してマッコウクジラは大自然の象徴。とすると、観光客に「大自然の魅力も忘れないでくれよ」というメッセージの潮を吹いたのかもしれません。
2 マッコウクジラは自分で侵入し、自分で出て行きました。飼い主はいません。自由だからこそ間違えるし、自己責任で次の道へと旅立ちました。いわば「自由な生き方の象徴」でもあります。
3 マッコウクジラは、道を間違えたとしても、誰かに抗議しているわけでも責任転嫁しているわけでも、自分を責めてもいるわけでもありません。さっさと次の道を進んでいきました。「道に迷うことを恐れず、トライ&エラーの前向きな生きざま」そのものです。
4 マッコウクジラは、何も破壊せず観客を傷つけていません。潮を吹いて観客は濡れましたが、その潮はすぐに乾いてしまいます。マッコウクジラの痕跡は何も残ってはいません。ところが、観客の心の中には、マッコウクジラの思い出は残り、けっして忘れることはないでしょう。「偉大な存在との出会い」が、狭いディズニーシーだからこそ強調されるのです。
5 マッコウクジラは自分の器に合わない世界に迷い込みました。ディズニーシーはマッコウクジラには狭すぎます。どんなに観客の声援を受けても、マッコウクジラの住むべき世界ではありません。自分を知るマッコウクジラは躊躇せずに決断して出て行きました。「自分の居場所」を知っているからです。人の生き方にも、これはよくあることではないでしょうか。
6 観客は潮に濡れて怒っているのでしょうか、恨みに思っているでしょうか、憎んでいるでしょうか。ただただ、観客は喜んで、面白がって、アトラクションの一つとして、楽しんでいます。ここに自由があります。強制や洗脳や弾圧とは無縁です。この「自由な環境のありがたさ」の中に、ユーモアやほのぼのとした感動があるように思います。

作者の思い

 とまあ、色々と考えられるのですが、作者としては、読んで、ほのぼの、くすっとお笑いいたたければ、ありがたいと思っています。
 現実感や常識の枠を外したところに「ファンタスティックコント」ならではの可能性があるのではないかと思った次第です。
 コロナ社会の閉塞感が少しでも和らげることができれば幸いです。












サポートしていただき、ありがとうございます。笑って泣いて元気になれるような作品を投稿していきたいと思います。よろしくお願いいたします。