2.感情について

私は「感情的にならないこと」が自分に合っていると思うことが多くある

他の誰かに言わせるとそれは間違いかもしれない
私自身もこの考えが正しいと思っているわけではない

ただ、私が感情的になることによって
ポジティブな方向に進むものはこの世の中に存在しないのではないかと思うのだ

こんなことを考えるようになったのは高校時代で、
それは世の中の人を二分した時、私は完全に「穏やかな人」に分類されると感じたのがきっかけだった

これも持論だが、自分と全く似通った性格の人と付き合うより自分にないものを持っていて刺激になる人といた方が面白い
そして大学に入り周りの人間関係が再度構築された時、私の周りにいる人がいつも非常に「感情的」だということに気づいた

「感情的」と表すと表現が的確でないかもしれないが
要するに怒ったり、愚痴や不満を言ったり、反対に称えたり褒めたり、感動して泣いたり
そういった感情をすぐに表に出せる友人が多かったし、それに憧れた
憧れという媒体から自分の習性に気づいた

特に「怒」という感情である
喜怒哀楽全ての感情の中で「怒」だけが私の中から確実に抜け落ちている

どんな人や事柄に出会っても「別にいいんじゃない」と思ってしまう
違和感を感じられないのだ
私自身の性格の中で1番好きなところでもあり、1番不可解な部分でもある

そのかわり、怒ったり声を荒げたりする行為を
とにかく落ち込んだり泣いたりする行為で代替してしまうのが私が1番嫌いな私の性格である

仮に私の大好きな恋人が
「人を殺してしまった」
と言ってきたとしても
「まあ、あまりにもどうしようもない事態に立った時もしかすると人は殺人という行為に出てしまうこともあるのかもしれない。私はそういった状況に陥ったことはないけど…これからどうしようか。」
こう返すだろう

他人に興味がないわけではない
何もかもに驚かないわけではない
落ち着いているとか、大人な感覚でもない

ただあらゆる事象が怒るという行為に直結しない
私の中の違和感の種であるこの感覚は悩みでもある

先に述べたとおり、私が感情的な性格ではないと思ったのは高校時代のことだった
大学に入ってしばらくたった今は感情を表に出すことも隠すことも両方が個々の才能だと思っている
しかし当時は感情的にならないことこそが美しいとさえ思っていた
強気に発言したりたくさん怒ったりする人を軽蔑していたことさえあった

そんなとき地元でお世話になった美容師さんに
「怒らないっていうのは、いつか自分を苦しめてしまうよ」
と言われたのだ

今になるとその意味がとてもよくわかる
自分の感情に正直になるということは非常に豊かな心の動きだ

自分が自分の感情に正直になることによって
自分自身が窮屈になっていては
いつまでも自己肯定は成立しない

長く書いてしまったが
要するに私の心の動きが私は心配なのだ
今現在生きるのが大変なわけではないが、
自分を自分で受け入れるということこそが正しいのではないだろうか

私には心の成長の余地が残されているだろうか

自分の感情の動きを他人に委ねるのではなく
自分自身で受け入れられる人間になりたいと思う

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?