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201M金沢行 Ver.2
雪深い北陸地方。いや、ここは越後地方であろうか。
富山を過ぎ親知らずを超えた先には雪はひと段落する。特にフォッサマグナのある糸魚川を超え直江津までの北陸本線のいわば末端区間は雪が落ち着く。
いずれにせよ真横には荒々しい日本海が広がり決して楽な道中ではない。蒸気機関車時代は海岸線に沿って走りそれは険しい道のりだあった。
それも今は昔の話である。
現在の北陸本線は、わが国鉄が最先端の技術を使い多く
Marvelous 国鉄色.ver1
梅雨明けした後といえばカラッとした晴れが続き夏本番のムシムシとした機構になるのが一般的である。しかし、この年は違った。雨の少ない梅雨が明けたと思ったら各地で待ってましたとばかりの集中豪雨。気象庁さんよ仕事してくれと思わずはいれなかった。しかし私は残り少ない人生の夏休みを堪能するべく国鉄電車特急の最後の砦山陰へ足を進めた。当日はいつもお馴染みの遠征メンバーの家に前泊し始発の米子行きの飛行機に乗
201M金沢行 Ver.1
時は1981年師走。
表日本と裏日本を結ぶ北陸本線は滋賀と福井の県境に険しい峠が存在する。これまでわが国の土木建築は乏しく、峠を迂回するように距離を稼いで運行されていた。それは今は昔の話であり今は深坂トンネルをはじめとする世界を代表する土木技術を使い山を貫いている。ここを走るのは名門急行きたぐに、立山、兼六それに今回の主役であるすぐりゅうと様々な列車が走っている。すぐりゅうは米原と金沢を結ぶ急
上野東京ライン常磐線直通高萩行
当時の私はおそらく6歳いや5歳だったころに上野駅の地平ホームいた常磐線。それは遊びに来た時よりも帰るときに見た印象が強い。遠くまで遊んだ帰りの上野駅、乗るのは当時の最終列車の急行能登金沢行。途中で降りるとはいえ旅行から帰ってきたとはいえ幼いながらまた旅行に行けると喜んで外を見るといるのは決まって鋼鉄車とステンレス車が併結さえれている415系だった。415系はステンレス車でこそ近年まで関東で運用が
もっとみるチャレンジ3000キロ
とても久々にニチャニチャした文章が書きたいと思いました。ちょうど去年です。
私は今月の頭から旅にでた。総距離は23日時点で4000キロ以上であると考えらる。そもそも、どうしてこのような旅行が立て続いてしまった理由としたは新型コロナウイルスによる自粛ムードからの反動であると考えている。それに加え政府が旅行業を支援するためのgotoトラベルなどが背中を押しこのような旅行をした。
この旅行のス
発車時間
秒針が12の盤を過ぎ、定刻となった。巨体はふっと息を吐いたかのようなドレインを切り発車する。向かうは旅客3番。本日は繁忙期の増結かつ悪天候激しい戦いが見受けられそうである。
巨体は少しの砂を巻き車輪を進める…
つばめの勲章を胸に
あいにく天候の昼下がり。そんな日でも列車は走る。その日の運用は104レ急行ニセコ3号。重連で雨の函館本線を疾走する。本日の本務気はC62-2、テンダーのつばめの勲章を誇らしげに発車時刻を待っている。
発車の前に蒸気圧を上げドレインを切る。発車まであと3分と少々〃