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高濱虚子五句集を読む①

先日、波多野爽波俳句全集を読了した後、波多野爽波の句の本質に迫るためには、師である高濱虚子の作品をちゃんと読む必要があるのではないかと感じていました。

その時に飛び込んできたのが、南幸佑さんと藤井万里さんのこの企画、

藤井さんとは直接対面したのは一度きりだったのですが、思い切って申し込んでしまいました(我ながら凄いなと思います。)

せっかくの機会をいただいたので、こちらのブログでも高濱虚子の「五句集」の感想を発表していこうと思います。

高濱虚子の五句集は、「五百句」、「五百五十句」、「六百句」、「六百五十句」、「七百五十句」を指しているもの。今回は第一句集「五百句」を読んでいきます。

発行は昭和12(1937)年。序文には「ホトトギス」500号記念の出版であったこと、明治・大正・昭和(明治24年~昭和11年まで)からの句をほぼ等分で採ったこと、が記されています。

「五百句」の中には、魅力的な句があって、いただきたい句がたくさんありました。すべてを紹介しきれないのがとても残念ではありますが、以下、あまり知られていない句を中心に、感銘をうけた句を挙げていきたいと思います。(底本は、岩波文庫「虚子五句集(上)」(1996)によります。字体は新字になっている可能性があります。)

明治時代
 山門も伽藍も花の雲の上
 病む人の蚊遣見てゐる蚊帳の中
 亀鳴くや皆愚かなる村のもの
 煙管のむ手品の下手や夕涼み
 秋風や眼中のもの皆俳句
 うき巣見て事足りぬれば漕ぎかへる
 座を挙げて恋ほのめくや歌かるた
 稚児の手の墨ぞ涼しき松の寺
 曝書風強し赤本飛んで金平怒る
 草市ややがて行くべき道の露
 凡そ天下に去来程の小さき墓に参りけり
大正時代
 
大寺を包みてわめく木の芽かな
 年を以て巨人としたり歩み去る
 雲静かに影落し過ぎし接木かな
 闇汁の杓子を逃げしものや何
 天の川のもとに天智天皇と虚子と
 見失ひし秋の昼蚊のあとほのか
 寝冷せし人不機嫌に我を見し
 ばばばかと書かれし壁の干菜かな
 古蚊帳の月おもしろく寝まりけり
 大空に伸び傾ける冬木かな
昭和時代
 踏青や古き石階あるばかり
 巣の中に蜂のかぶとの動く見ゆ
 一片の落下見送る静かな
 なつかしきあやめの水の行方かな
 やり羽子や油のやうな京言葉
 春潮といへば必ず門司を思ふ
 ぱつと火になりたる蜘蛛や草を焼く
 凍蝶の己が魂追うて飛ぶ
 囀や絶えず二三羽こぼれ飛び
 一を知つて二を知らぬなり卒業す

高濱虚子「五百句」、青空文庫

この他、高濱虚子の例句としてよく知られているものとして、以下のものが収録されています。

明治時代
 
先生が瓜盗人でおはせしか
 
遠山に日の当たりたる枯野かな
 桐一葉日当たりながら落ちにけり
大正時代
 春風や闘志いだきて丘に立つ
 鎌倉を驚かしたる余寒あり
 白牡丹といふといへども紅ほのか
昭和時代(昭和11年まで)
 流れゆく大根の葉の早さかな
 春の浜大いなる輪が画いてある
 川を見るバナナの川は手より落ち

高濱虚子「五百句」、青空文庫

五百句を読むに、すごく自由に作ってらっしゃるなという印象を持ちました。新しい句材、新しい表現を厭わない、常に革新していく虚子の姿勢がみえてくるというか。
波多野爽波を読んでいて、この表現はなんだろうみたいなところの表現が、すでに高濱虚子によってされていたことも判明。(例えば、「闇汁の」「巣の中に」の句)
「客観写生」と「花鳥諷詠」のどちらも多いのですが、人物のそのものに寄せた句がみえるのも、以後の波多野爽波の句に通じるところがあるなと感じました。

今回の句で一番衝撃だったのは、下記の句、

天の川のもとに天智天皇と虚子と

自分自身を詠むこむのって、そうとうハードルが高いと思うのですが、そういうことを高濱虚子はやっちゃう。天子、しかも天智天皇と並べてしまうという大胆さ。大化の改新で活躍した天智天皇と並べて書くことで、自分を奮い立たせるような一句になっているとも感じました。また、上五の大胆な字余り、下五の破調の取り合わせに、虚子自身のギクシャクした気持ちが内包されていると感じました。

(なおこの句は、「五百五十句」の序文で、この句が取り消しとなってること、その後「天の川の下に天智天皇と臣虚子と」と推敲されていることなど、当時としても物議を醸した句だったと思われます。)

そして上の句を読んで思い浮かんだのが、

父がつけしわが名立子や月を仰ぐ(星野立子)

虚子の娘である星野立子のこの句。この句も上五と下五が字余りになっていて、そのことで余韻が生まれている作品だなと。親子がこうやって共鳴しているのも、新たな発見でした。


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