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子育てしていると自分の特性らしきものと向き合うことになる

「テレビ好き?犬好き?…」といろいろと好きなものを訊かれていく中で
「僕のことは?」と差し込んでくる。
「もちろん、大好き」と答えながらじゃれていると今度は
「じゃぁ、お母さんは自分のこと好き?」と質問してきた。
本人からすれば単純に、いろいろと好きか嫌いかを質問している一つに過ぎないのかもしれないけれど、訊かれる側はなかなかうなってしまう質問だ。

2,3秒、考えただろうか、わたしは迷わずに「好きだよ」と言った。
いや、言えた。

わたしは自分のことをよく知っているつもりでいる。
こんな風に生きていきたいとか、憧れている人のように生きているかと言えば、そんなことができるならば、わたしは羊を名乗ってはいないということも十分すぎるほど承知している。
いいところよりも、ダメなところならいくつだってあげられる。
実際、わたしは何をしているのだと、半ば呆れて自分自身のことを思うこともある。

それでもわたしはわたしが好きだ。

これは子育てを始める前から思っている。
ナルシストなのかプライドが高いのか、周りからはどう見えているのかは分からないけれど、生まれてからこのかた、他の誰かになったことはなく、転んで怪我をしようが、怖い目に会おうが、いつもどうしたって自分でしかないのだから、いたわってあげたいし、愛着もある。

これって自己肯定感がたかいのだろうか?
話に聴く限り、わたしは病弱だったものの、まったく手のかからない子だったらしい。小学校入学までには身の回りのことは全部自分でやっていたそうで、とにかく何でも自分でやると甘えることはなかったらしい。
けれど、人見知りは壮絶だったらしく、小児科で相談したほどらしい。
ちなみにこの人見知りは今でも治ってはいない。
そんなに困ったエピソードは思い付かないのだけれど、何かと敏感だった。
季節の変わり目には体調を崩す。何かあると熱を出す。声がでなくなる。お腹が痛くなる。
自分だけに聴こえる音や声がある。見えないものを見てしまう。
顎関節症で口が開かなくなる。
人が多いとパニックになり、動けなくなる。
食べても嘔吐して摂食障害となる。
原因不明の痛みで一週間、眠れなく幻覚を見る。目が回って、耳がつまってメニエール。
ストレスで心臓が痛くなる。
緑内障になりやすい目。
胃下垂で逆流性食道炎。
汗が凄いなどなど、思い付くだけでもこれだけ。不便な体だ。
克服しているのもあれば長く付き合っているのもある。
きっと、原因はなぜかビタミンが減ってしまう体質と貧血なのだろう。
とは言えこれは特性というより病状かなと、書いてきて疑問が生じてきてしまった…

話を戻そう。
もともと、教育大学を卒業し、子供に英語を教えていた時期もあり、子供の成長、発達にはそれなりの知識はあった。
そして、自分に子供ができて、その分野に関しての情報収集にスイッチが入ってしまった。
子育て支援カウンセラー、児童発達支援士、食育講座などなど、子育てに関する勉強もそれなりにしてきて、常に頭のなかに「特性」の2文字が…。

我が子のことを知りたい一心というよりは、わたし自身の興味が強い気もしないでもないが、わずかばかりの時間を捻出しては調べる。考えるをやっているわたし。

そういえばわたしはカタカナが苦手、読むときに上下をひっくり返して読む癖がある。
激しい思い込みで、書かれているない文を読み上げてしまうこともある。
時計がなかなか読めなかった。
問題は解けるが計算が苦手。
これは学習障害か?と思ったり、
利き手が不安定で左右の判断が苦手だし、感覚過敏もあるし…
片付けられないし…
予定変更は苦手だし…

こんな風に我が子と向き合う度に
これってわたしよね。と思ってしまう。つまり、子育てをしていると自分自身の特性らしきものと向き合っていかなければならない場面が多々やってくる。

そんなときに、あぁ、そうか。
わたしは苦労して生きてきたのね。
生きづらかったのね。
と、自分を抱き締めたくなる。
なんてことはない。

極度のあがり症でも不安が強くて、何度も鍵を締めたか確認に戻っても、人付き合いが悪くても、
わたしはわたしを生きてきた。
うん。
こんなわたしで何が悪い。

傷つけられても、罵詈雑言があっても、ショックで何もかもやれなくなっても、悲しくて泣いても
それでもしたたかに生きていく。
自分が生きられる方法で生きていく。

生きるのは不自由なのだ。
けれど、生きているわたしは自由だ。
もがけ!どんどんもがけ!
とは内心思っていても
息子にはこんな変な苦労はしてはほしくない。

ただ、悩むこと、困ること、悲しむこと、苦しむこと。それはたくさん感じて、乗り越えてほしいと思っている。
きっと彼ならできるだろう。
そして、今、持っている優しさはそのままで強く逞しくなって欲しい。

そんな勝手な想いを胸に子育てをしている。

息子と向き合っているようで、自分と向き合っているのかもしれない。
もう、戻りはしないのに
悪戦苦闘をしていた自分に、慰めの言葉をおくっている。
そして、未来の自分には何とかなると念じている。

写真を並べると、わたしと息子はよく似ている。だから時々、彼のなかにいるわたしに気づいてしまう。
変な話だけれど、何となくわたしの遺伝子が彼の中で生きているようなイメージが浮かんでしまう。
それがもしかしたら彼の特性なのではとも思ってしまう。
だからついつい分かったような気にってしまう。
厄介だ。とても。
全く、別人だと認識していれば、これくらいわかるでしょみたいなこちらがわからの一方的な思い込みはないのかもしれない。でも、時々、やってしまう。自分の物差しで測ってしまう。

思い込みが激しく、せっかちで、頑固。
これを長所風に言い換えることはできる。
ダメだとは思っていても、本心のどこかで、それもありだよねとか思ってるぐらいわたしはわたしを否定していない。

母としても、人としても、実に中途半端というか未完の人だ。そもそも地に足をつけることが苦手なのかもしれない。

それでも
わたしはやっぱり自分が好きだと思っている。
ダメダメだけど、それも含めて自分が好きだ。
きっとこれが愛なんだろう。

わたしも息子に訊いてみた。
自分のことは好きなのか。

彼は当たり前のように即答した。
「大好きだよ」
そして、「実はね、お母さんが僕のことを好きなより僕は僕が好きだよ」と教えてくれた。

彼はわたしが好きでいることを疑わない。
そして、自分をこよなく愛している。

もしかしたらこの先、嫌いになるのかもしれない。
けれどそれを思い悩んだって仕方がない。
これからも自分のことが好きでいられるように生きていってほしい。

あなたは自分のことが好きですか?






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