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花束を家族に。

昨日、noteを始めたと旦那さんにリンクを送ったら、
「宇多田ヒカルの、花束を君に、の歌が思い浮かんだよ、」と短い返事が来た。

母が病気になってから、一番話を聞いてもらったのは、旦那さんだ。彼のこれまでの人生の経験値と私の置かれていた状況は、全く同じではないものの、意見を聞いたり、分かってもらうには十分すぎるくらいだった。

母は最終的に緩和ケアの病棟に入ったが、入院の時に、通常の必要項目以外にも、たくさん書類に書かされる。人生で大切にしていることは何ですか?とか。どんなことが好きですか?入院中にやりたいことはありますか?みたいな。

とはいえ母は、本当に直前まで治る気で生きていたので、緩和ケアについてもあまり知らなかったし、知ろうともしていなかったし、看取りのために入るつもりはなかったと思う。

書類を一緒にみていて、うーん、まぁこんなのあんまりないよね、と、飛ばした項目もあった。あまりに空欄もどうかなと思ったとき、母が、人生で大切にしていること、の項目を指して、「家族との時間」かしら。と言った。

私はそう書いた。

言葉にすると短いけど、そこにはたくさんの意味が詰まっている気がした。

2月の半ばからの入院中も、自分のことは大丈夫だから、無理して病院にこなくていいから、と最後まで言っていた母は、家族を気遣い続けていた。全然大丈夫ではなかった時もあっただろうし、うまく打つ元気がなくて、LINEの語尾が変なことになってしまっている「無理して来なくていいから」のメッセージが、まだこのスマホに残っている。

父を早くに亡くしてから、38歳で結婚するまで、私は比較的つかず離れず実家に行っていた。母が何を好んで何を疎んでいたかはほぼ分かっているし、考えていることも大体察しがついた。

私は紛れもなく晩婚だったし、結婚する気配も薄かっただろうから、母も私が家付き娘みたいになるんじゃないかと思っていたかもしれない。

それが、バタバタと結婚が決まり、翌年里帰り出産し、娘が4ヶ月になった頃、母が初めて長めに入院することになった。車で一時間の距離を、小さな娘と何度もお見舞いに通った。

この1年半の母の闘病で、私より母を癒してきたのは、まぎれもなく、母の可愛い孫だった。遠方の病院に転院したときも、頑張って車に乗り、待合室でヨチヨチ歩いて、あちこちのじぃじやばぁばにまで手を振り、愛想を振り撒いていた。(時に飽きてグズリ倒して迷惑に感じた人もいたと思うけど)とにかく母の笑顔を作り出す、圧倒的な存在だった。おばあちゃん孝行な孫で良かった。

娘は1歳10ヶ月。私の嫁ぎ先は日蓮宗なのだけど、私の実家の宗教にも寛容な家族に、私はずっと救われている。

今も娘は、ばぁばの家に行くと、「ばぁばー!」と叫んだかと思うと、パタパタと遺骨のある和室へ行き、写真の前で頭を下げて手を叩いていたりする。(天理教式は4回手を叩いて、みたま様を参拝する)

幼くても、写真になって飾られているばぁばに、ちゃんとおはようとおやすみを言いに行ける。

きっと娘は、ばぁばと過ごしたことをそのうちに忘れてしまうのだけど、娘の記憶からなくなってしまっても、家族であることは変わらない。誰かが覚えていればいい。

私は今、旦那さんの両親と、彼の最初の結婚で授かった息子と一緒に住んでいる。結婚する時、周りからは義両親との同居を厭う声をたくさん聞いたけど、父方の祖父母との同居が長かった私は同居にあまり抵抗がなかったし、旦那さんの両親のことを嫌だと感じることは今もほとんどない。ゼロに近い。

むしろ助けてもらったり、理解してもらったり、本当に共同体として家族に入れてもらった感が強い。今年12歳になる息子も、きっと彼なりに思うところはたくさんあると思うけれど、これから過ごす時間の中で、たくさんの感情を経験を、一緒に積み重ねていきたいと思えるかけがえのない大切な家族だ。

今や実家の両親もいなくなり、私の実家は空っぽになってしまったので、しばらく葬儀後のあれこれで通ってはいくものの、これからの私の家、私の家族の重心は、嫁ぎ先に大きく移っていく。

新しい家族がいて良かったと、これほど思えたことはない。大切にしたいと思える家族が増えて、私も十分に大切にしてもらっていて、支えてもらっている。

母が大切にし続けた家族への愛情を、私も注げるような人間になりたいし、最後まで強く気丈であり続けた母を尊敬していたように、家族を敬える人間でありたい。

良くも悪くも、身内の死に触れる機会を幼い頃から与えられて、どうやって過ごしていけば良いか、心と体が覚えている。だから今は悲しむことを我慢したりもしない。無気力を奮い立たせたりもしない。あるがままに。

母や家族への思いは、
どんな言葉を並べても足りないけど、

今は涙でも、
これからは笑顔の花束を
家族に。

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