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「本の記憶、街の記憶」 アサガタ

 私が子どもの頃、街には4、5軒の本屋があったと思う。今住んでいる街の最後の1軒は、昨年4月に閉店した。本と一緒に売られていた文房具は、私のとびきり難しい資格の試験勉強を支えてくれた。そこで買った本は、家の本棚で、私のおにぎりのような、ボテッとした手と、母の鶏ガラのような細い手に、代わる代わる触れられている。
 物忘れの多い母娘だが、どこの街の、どの本屋で、何の本を買ったという記憶だけは、鮮明に覚えている。

 本の記憶は、街の記憶でもある。
 若かった母が、見知らぬ街で、家族も友人もいない環境の中、子育てをしていた時に、孤独を慰めてくれた、山本周五郎の短編集。中でも、「さぶ」や「柳橋物語」がお気に入りだった。駅の踏切傍の古本屋で、私を負ぶいながら買ったそうだ。今でも電車からその古本屋が見えると、母は懐かしそうにしている。
 小学生の私は、お小遣いが入ると、花屋と郵便局の間にあった小さな古本屋で、ポプラ社のアルセーヌ・ルパンシリーズを貪るように買っていた。ルパンの泥棒ではあるが殺人は好まず、インテリで紳士的なふるまいが大好きだった。

 そんな私も中年になり、母は後期高齢者である。今では、母の体調をみながらだが、1月に1回は上京し、美術展や新しい本との出会いを母娘一緒に楽しんでいる。
 やがて母が亡くなり、私が1人になっても、これは一生続けていくつもりだ。

 こうして本の記憶は、街の記憶から、人生の記憶になっていくのかもしれない。

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