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池袋で大人みたいな大学生に「大丈夫ですか」と尋ねた19歳の時のこと

『今月は、note小説、二本上げたいと思っていて』

 つい先日のことだ。ぼくはとあるオンライン会議に出席していた。
 会議とはいってもこぢんまりとしたもので、全四名からなるインディゲーム制作チーム、というか同人サークルの定例集会とでもいうものだ。
 作品の制作が遅れていないか、どのように進めるか、外部と折衝が必要ならその意思決定をどうするか。そういうことを隔週で話し合う。
 優先度の高い事項を話し終えると、もう少しこまごましたことのターンになる(たとえば、Twitterのフォロワーが今月はなぜか減っちゃったね、とか)。
 そして、この議題も毎回の定例になっている——

『次、今月のnote投稿についてですが——』

 深く落ち着いた声の主の名前は、蜂八憲という。ちなみにペンネームだ。
 チームでのポジションはシナリオライターとディレクター。彼はここ一年ほど、チームで取り組んでいる制作とは別に、短編小説をnoteに投稿しているのだった。
 チーム側でそのような要請をしたわけではなくて、これは彼の自発的な活動だった。律儀な彼は『これもチームの知見になるでしょうし』と、その首尾をぼくらに会議のたび、つまり隔週で報告してくれる。
 そして今回の報告のはじめに『今月は、note小説、二本上げたいと思っていて』だ。仕事と制作の傍らそんなに詰め込んで大丈夫かと心配になるが、『大丈夫ですか』とは聞かなかった。

「noteって、あんまり小説書きにとって有利なフィールドじゃないと思うんですけど、大丈夫ですか」

 いつだったか、彼にそんなことを尋ねた。

「——えっと、つまりエッセイとか情報商材とかエモい何かとか、そういうのがベースの場所というイメージがぼくの中には強くて、小説書いてもあんまり反応がなかったら気持ち的に大丈夫かなっていう……」

 ぼくは口数が多い。そして発言の精度が低い。だから勢いで喋って、喋ってから自分の発言の趣旨が自分でやっとわかって、同じことを喋り直して——上記のようになる。〝質より量〟だ。
 彼は一秒くらい喋らなかったと思う。それからいつもの落ち着いた——暖かくも冷たくもない、室温の声で言う。

「僕は、大丈夫です」

 ぼくは答えた。

「そうですか」

 それでその会話は終わりになった。

 蜂八さんは口数が多くない。でも話すことのすべてに思慮があって、言葉の追加や訂正はめったにしない。忍耐強く相手の話を聞いてから、満を持して、重い一言を発する。まさに〝量より質〟だ。ぼくとは真逆のタイプ。
 そんな彼の『大丈夫』に、ぼくはわけあって全幅の信頼を置いている。

 今日はその話をしようと思って、この記事を書くことにした。

「自分、あなたに比べて全然学歴とかないんですけど、大丈夫ですか。そういうのについてくるって、嫌とかないですか」

 そんなばかなことを聞いた冬があった。2012年の冬だ。ぼくは19歳の子供で、大学生だった。
 寒い日だった。少し迷って、結局、高校時代から使い古しの、でも暖かいマフラーを巻いて家を出た。山手線に乗った。待ち合わせ場所はサンシャイン60のすぐそばのジョナサン——の前だった(今にして思えば、なぜ入って待ち合わせなかったのだろう?)。
 辺りは年末の寒さだというのに、ぼくは手のひらに汗をかきながら、行き交う人並みに目をこらしていた。

 その日は〝面接〟だった。ぼくが受けるのではない。ぼくがやるのだ。バイトの経験もないというのに。
 でも仕方ないことだった。ぼくはサークルの代表のような立場で、そこに『加入希望者』が現れたのだから、ぼくが出ないわけにはいかない。

 当時、ぼくは学業そっちのけで、当時台頭していたスマートフォン向けのビジュアルノベルアプリの開発に精を出していた。とは言ってもそんなに大した規模でも意識の高いものでもなくて、物置で練習する学生バンドのバンドの部分が同人ノベルゲームに置き換わっただけというか、とにかく大した規模のものではなかった。

 それなのにぼくは『新ライターを募集します!』などと、Twitter公募をかけた。当時は一応考えがあるつもりだったけれど、今になって振り返れば「もうちょっと音を分厚くしたいからリードギター募集します」くらいの、浅はかな理由だった。
 そんな公募だったけれど、一人だけ『入りたいです』という、シナリオライター志望の大学生が来た。前からぼくらのサークルを知ってくれていた方の友達。年齢は二つ年上の21歳。前もって送ってもらったシナリオは——悪くなかった。

 それが「彼」。その何年か後に『蜂八憲』になる男だった。

 彼は少し道に迷ったとのことで、待ち合わせは少しもたもたした。やっと合流すると、彼は道に迷って時間が遅れたことをていねいに詫びた。ぼくは恐縮し切っていて、とにかくジョナサンに入ることにした。

 ぼくらは窓際の席に通された。たぶん。このあたりの記憶はひどくあいまいで、その証拠に当日なにを食べ、なにを飲んだのか、まったく記憶にない。

 理由には心当たりがある。
 彼が、どう見ても大人にしか見えなかったからだ。
 洗練された言葉遣い。ジャケット姿がばっちりキマっている。なんだかおしゃれなストールまで巻いているではないか。ちょっと手の出ない価格の洋服店のマネキンがひとりでに動き出してここまでやってきたようだった。
 いや、もしかして本当に社会人で、会社でのストレスを発散するためにぼくらをおちょくっているのでは……。

 そしてすぐに、「そうじゃないだろ」と思い直す。

 この人は頭がいいんだから、それくらい驚くことじゃない——。

 彼がちょっとした有名大学の出だということを、ぼくは前もって知っていた。

 受験生が予備校で地獄のような勉強をして、時には何年も留年して、それでもやっと入れるかわからないような難関大学。
 しかも、年齢から考えるに、浪人無しのストレート入学。天才か秀才か、目の前にいる彼は、少なくともそのどちらかだということを意味していた。

 ではひるがえって、その彼を〝面接〟するぼくはどうだ?

 週6.5日で打ち込んでいた部活動を引退し、代わりにサークル活動を始めたのが高校二年の冬。部活動で培った根性で最初は二人でノベルゲームを作ったり、グッズを作ってみたり、全力で取り組んでいたが、それは裏を返せば来たるべき大学受験からの現実逃避に他ならなかった。
 ぼくが受験勉強を始めたのは、高校三年生の12月。部活動と同人活動漬けだったぼくは、「勉強のやり方」を完全に忘れていた。しかも、愚かしいことに、同人活動とも手を切っていなかった。

 そんなふうだったから、当初「まあこれくらいのところなら受かるだろ」と思っていた大学にことごとく落ち、親に高額の受験費用を何度も出させ、結局、進路が決まらないままに高校の卒業式を迎えた。さすがに焦りがあった。浪人してもっと上のレベルの大学を目指そうという向上心も沸いてくることはなかった。
 結局、ハードルを大きく下げることにした。3月に入ってからも後期試験をやっている大学をなんとなく見つけて、なんとなく受験したら、なんとなく受かった。

 達成感はなかった。

 自分は金で大学生の身分を買ったのだと思った。4月。大学デビューを謳歌する同期のようにはなれなかった。友達も少なかった。
 だから、サークルでの創作活動に全力を注いだ。そうするしかなかったという言い方の方が適当か。

『大学を選ぶ学力は自分にはなかった。就活で武器になるような大学でもない。だから、自分で身を立てなければ、きっと未来はない』

 当時のぼくは本気でそう思っていた(今でも部分的には同意できるところもある)。
 だから、目の前の天才または秀才がまぶしくて仕方がなかったし、同じくらい不可解でもあった。

 彼が「参考までに」と、黒地の小洒落たトートバッグから分厚い冊子を取り出した。
 彼は学内で出版サークルに所属しているらしい。そのサークルで作ったのがこの冊子だという。冊子は、商業で流通しているものと見分けがつかない規模と品質に見えた。
 「参考までに」とは、何を参考にしたらよいのだろう?
 これでもう十分じゃないか?
 
 ぼくにも学歴という眼鏡で他人を見るのは下品だと思うくらいの品性はあって、だから気にしないように努めはしたけれど、やっぱり不思議で仕方なかった。
 並々ならぬ努力を積み上げて名門大学に入学し、名門に足る優秀な仲間たちの中で研鑽を積んで、これ以上この人はどうしたいのだろう?

『サークルではルポ記事的なものを書いていましたが、書きたいのは物語で、それでミタさんのサークルに入れたらと思いまして』

 彼の説明は完璧だった。どんなものを書きたいか。どんなペースで書けるか。将来にどんな展望を持っているか。ぼくの質問によどみなく答えてくる。
 いきなりぼくらと一蓮托生という立場にするのは理不尽なので、とりあえず外部ライターとしてのシナリオ提供、というかたちで落ち着いた。
 その無難な落としどころは19歳なりに大人っぽくて、一矢報いた気分にもなった。
 それでも、淡々と質疑応答をこなす彼の大人らしさは圧倒的だった。
 ただ、「物語を書いて食っていきたい」と語る時の目の輝きだけは大人らしくなくて、そういうこともあってぼくは目の前の『名門大学生』が『人間』に見えるようになっていった。

 でも、やっぱりわからない。
 自分よりも遙かに高みにいるはずの彼が、ぼくらと道を共にしようと思う理由がわからない。
 力になってくれるのは嬉しい。力になれるのも光栄だと思った。
 でも、もっと他に選択肢があるんじゃないのか?

 彼に尋ねることもできた。尋ねたら納得のいく説明をしてくれるという確信もあった。
 ではなぜ尋ねなかったのかというと、納得したくないからだったのだと思う。

 だから、その日の〝面接〟の終わりに尋ねたその一言は、ある意味負け惜しみみたいなものだったのだと思う。
 
「自分、あなたに比べて全然学歴とかないんですけど、大丈夫ですか。そういうのについてくるって、嫌とかないですか」

 本当は相手の目を見て言いたかった。けれどその勇気はなかった。卑しい質問だということは自分でわかっていたからだ。
 彼は一秒くらい喋らなかったと思う。それか彼は落ち着いた——暖かくも冷たくもない、室温の声で言った。

「僕は、大丈夫です」

「ありがとうございます」

 そうやってその日はお開きになった。
 正直に言うと、ぼくは「大丈夫じゃないだろうな」と思いながら帰路についた。
 それからいろいろあった。

 数年後、彼は『蜂八憲』になり、ぼくらのサークルに正式メンバーとして加入した。
 ちょっともたついたけれど、彼の物語はぼくらのサークルの作品として世に放たれ、たくさんのファンを獲得した。
 なんだかんだみんな社会人になって、自分たちを「サークル」というよりも「チーム」と呼ぶことが増えた。

 そして昨年、サークルのメンバーの一人とルームシェアを始めた。
 同じく昨年。ぼくと同じ会社に転職し、毎日顔を合わせている。

(そして初対面の印象ほど完璧な人間でないということも知った。「めんどくさいし同じサイズだから」ルームメイトとパンツを共有する人間を完璧な人間とは呼ぶのは度胸が要る)

 つまり、大丈夫だった。
 大丈夫すぎるほどに大丈夫だった。
 つまり、何の心配もいらなかった!

 ここまで色々な葛藤や苦労もあったのだろうけれど、今日も蜂八さんは〝量より質〟のことばと共に、チームに無くてはならない存在として、ここにいてくれている。

 だからきっとnoteの投稿も、蜂八さんはうまくやるのだと思う。

 noteというプラットフォームのことをぼくはよくわかっていなくて、あんまり力になれる気はしないのだけれど、この場を借りてエールを送ることができたらと思う。
 仕事と超水道(ぼくらのサークルの名前だ)の活動の傍ら、寝る間を惜しんで書き綴った文章の数々が、きっとよい結果をもたらしますように。あと31歳のお誕生日おめでとうございます。

ちなみに、そんな蜂八さんがnoteに投稿している小説のマガジンはこちら。
ぜひ読んでみてくださいね。


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