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私の仕事は心と心をつなぐ仕事 2

私は結婚式やイベントなどの司会を経て、今はお葬儀の司会の仕事をしています。結婚式もお葬式も人生の一大事ですからどちらも一生心に残る宝物。あたたかい時間になるように、私は心がけています。

先日担当させてもらったお葬儀で心臓がドキン。としたことがありました。
80代の夫を亡くした奥様(喪主)に亡くなったご主人のことについて、ナレーションを書くために、お伺いをしていました。
私 「ご主人様はどのようなお人柄だったのですか?」
奥様「わりと頑固で気難しかった。」
私「長女様はお父様との思い出は何かございますか?」
長女「いや、あまり会話がなかった。県外に出たし、、、。」
私「そうですか。ご主人様は何かお好きな事など、ございましたか?」
奥様「そうねぇ、四国88ヶ所お遍路参りは3回いってたなぁ。私も最初の一度 は一緒に行ったのよ。」
私「そうですか。ご一緒に。でも逆回りとか、3回も結願されて。(結願:88ヶ所全て参ると願掛けが叶うと言われている。)とても信心深いお方だったんですね。何か、健康のこととか心配事がおありだったのですか?」
奥様「いえ、そうではなくて、多分、息子や娘の進路とか就職とか、そういうのがうまく行くように、、、。自分では言わなかったけど、多分、、、。」
横で聞いていた娘さまが、え?そうなの?知らなかった。と言っています。

それを聞いて、私は胸が詰まりました。ズキン、と。それが、親ごころだ、と。
夫婦で会話を楽しみながら行くでもない。88ヶ所も山寺を、いくらバスで巡ると言っても大変な所業。それを、ほとんど会話も交流もない、県外に出た息子や娘の進路が明るいものである様に、密かに祈って歩いた故人様。

思わず、感情が目頭に滲んでしまいました。
仕事の場で私は大袈裟に同情したり、悲しんだり、リアクションしないように心がけています。それは私だったら「初めて会った人にオーバーリアクションされたくないからです。」もちろん、共感したり、悲しい気持ちに寄り添う姿勢ではあります。

正直、父親が亡くなったのに、どこか覚めた感じがする息子や娘だなぁ。
父親と心の距離があるのかなぁ。と思っていたのですが、父はやはり、離れていても、いえ、離れているからこそ、我が子のことを1番に思っていたのだなぁと。思いました。

でもこれも故人様が言って欲しかったこと。最後に子どもたちに知って欲しかったことでもあるな、と思いました。私が故人と奥様の間に入って話を聞き、ナレーションを読むことで、場があたたまった。家族の心が、かよった。と思いたいです。

そしてもう一つ。先日、母の兄が急逝したとのことで、母は、鹿児島に住む兄の元へ駆けつけました。喪主は東京で働いている長男。次男は同じ鹿児島県内に住んでいました。けれど、何とも残念なことが起こりました。喪主である長男は菩提寺の住職ではなく、葬儀場に導師を紹介してもらって、見ず知らずのお坊様に通夜と葬儀を拝んでもらったというのです。

駆けつけた故人の兄弟が、菩提寺の名を連呼していたのは耳に入らなかった様です。

その亡くなった兄というのは、嫁を先に亡くして一人暮らしをしていたのですが、菩提寺は歩いてすぐのところですし、子どもの頃は寺の敷地で公園がわりに遊んだり、「寺のどこどこが壊れたから、直してくれんか?」と住職に頼まれると、すぐに飛んで行って、修理を施す。近親者の命日やお盆なども頻繁に寺に拝んでもらいに行くし、法話なども聞くのが好きでよく寺に足を運んでいたというのです。故人と菩提寺の住職は古くからの付き合いと、確かな繋がりがあったのです。

それなのに、息子たちは父の事をまるで何も知らなかったのです。知ろうとしていなかったのか?寺や供養やそんな事は全く気にも止めていなかったのでしょうか?それでも亡くなった父を前にして「父のルーツを知りたい。」と言っていたそうです。(遅いわっ!)

親族といっても滅多に会うことのない親戚。長男を責めることはできませんが、菩提寺の住職も故人のことを「〇〇ちゃんは本当によくしてくれたのよ。どうして私に言ってくれなかったの?私が弔って差し上げたかったのに。」と本当に残念そうにしていた、とのこと。私もそれを聞いて本当にがっくりしました。

私は誰が拝んでも同じとは思いません。人と人の心の繋がり。菩提寺とのご縁。先祖との繋がりを持つことの大切さって、あると思います。

親は子どもに伝えておかなければ、いけないことだなと改めて思いました。


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