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生理の話から『生理ちゃん』へ

2019年11月19日(火)、世田谷の豪徳寺にて、漫画『生理ちゃん』の読書会をひらきました。

レポートも書きました。

生命の源の話であり、人類のほぼ半分にあることなのに、今まであまりにも語られてこなかった、ないことにされてきた生理という身体現象とそれを取り巻く社会現象があった。

この漫画をはじめとして、いろいろな形式や機会で手に取りやすく、出会いやすくして、話すことを当たり前にしていくことが大切だなぁと皆さんで話しました。

もちろんセンシティブな話題「でもある」というわきまえ、大切です。
そういうセンシティブな話題の扱い方を、わたしたち、今トレーニング中なんじゃないかな。


もともとこの読書会をやろうと思ったのは、noteで「生理の話」を書くことができたからなのです。

書いてもらえてよかったと良い反響があったので、今集って対話する必要があると思い、『生理ちゃん』という良い作品にも出会ったので、ひらくことにしたのです。

書くことで宣言し、受け取ってくれた人からのよき反応から力をもらえる。ああ、そうやって人間は、お互いに励ましあいながら生きているのだなぁ、と実感する流れです。


またここ最近わたしの使命と感じている、芸術と社会課題に橋をかけていくことも、一つわたしなりに示せているかなと思います。なぜかそれらは別々の分野のものと考えられがちです。芸術は見目麗しく高尚なもの、社会課題は凄惨で重たいもの、など。ここの誤解をほぐしながら、自分の鑑賞力も上げるべく研鑽を積んでいるところです。

わたしの場づくりはやはり、創作物や表現物を真ん中にして、それを鑑賞することが大事。講演会やシンポジウムなどの、パフォーマーとオーディエンスの関係であれば、「生理を語ろう」というテーマだけ据えてあっても成立する。でも、対話の場では前提を揃えたり、安心して話す場をつくるのは、やはり表現物、作品の力が必要なのです。

自分事から離れて、概念的で抽象的、一般的な話の応酬になって、すれ違いが続いていく状態を便宜的に「空中戦」と呼んでいる(軍事用語だからあまり使いたくないけど)。

それが起こるとあまりいい場にならない。真ん中に物があれば戻れる。「この作品のどの箇所からそう思ったんですか?」と問うことで、具体的で自分事になりやすい。

「あなたは」「わたしは」と主語を明らかにしていきたい。
確かな成果を出すために、その過程を大切にする。

そういう場をつくっています。



おまけ。

先日みんぱく(国立民族学博物館)を鑑賞した話を配信しましたが、

漫画『生理ちゃん』を読んでいて、月経小屋の話や、紛争地域での生理用品の話とか出てきたので、みんぱくで生理(月経)に関する収集物の展示がされるようになったらいいなぁと思いました。