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喪失

5月末でいろんなものがザクっと終わっていって、喪失を感じている。

この3カ月。

3月は、感染を怖れながらも気を強くもって運び続けた。これまで大切にしてきた習慣や場所や関係の喪失に打ちのめされた。情報を集めても集めても、まだわかっていないことが多く、判断に迷った。手探りで毎日をなんとか過ごした。

4月は、新しいものをいくつも立ち上げ、楽しく挑戦した。だんだんと現状を自分なりに解釈し、この状況を強みに変えていこうとした。
自分、自分たちで日課をつくった。
他の人が提供してくれた日課が健やかな心身を支えてくれた。
違いを感じたり、感情が揺れることもあったが、パニックには陥らなかった。多くの人がオンラインで表現したり、場をつくろうと挑戦をはじめた。

5月は、学びが深まった。素晴らしく波にのって、新しい生活習慣が完全に馴染み、平和な時間を最大限に楽しんだ。気候もよく、自然の中にいることに幸福を感じた。違いを感じても共感しあえたり、人とつながりを持てることを実感し、毎日を充実して生きた。

この新しい習慣が、また変更されていく(かもしれない)ことへの動揺。
終わることはわかってはいたけれども、やはり終わるのか。
一旦馴染んで、使いやすく手入れしてきた習慣を手放すのが惜しい。平和な時間が崩れてしまうのではないかという怖れと共に、この時期だからこそできた新しい発見や挑戦が、元に戻って、残念な形になってしまうのではないかという疑念もある。U理論で言うところの、「Uの谷」を経ない、検証さえない、変化が起きないこと、後戻りしようとする慣性の力に触れるのが怖い。(それが自分にもあるからこそ)

人により、まったく違う時間を過ごしてきたと思うが、わたしにとっては概ね平和で、楽しく、発見があり、とても充実していた。(いや、これだってもしかしたら生存者バイアスかもしれないけれど)

息子との密着3カ月は、中でもほんとうによい時間になった。
育児休暇のときでもこれほど密着することはなかった。あの頃はよく預けて出かけていたし、我が子とはいえ、乳幼児と遊ぶことをまったく楽しめなかった。人間ってこうなんだ!という発達ぶりにもあまり関心を向けられなかった。

また、ここ2年ほどは、息子と一緒に過ごすのは平日だけで、朝晩のご飯どきぐらいしかゆっくり話すこともなかった。丸一日一緒に過ごすのも夏休みの2週間ぐらい。

それがなんと3カ月も降ってきた。

これまでわたしの中にあった、「十分に遊んであげられなかった」過去の罪悪感や、「そのためにわたしが息子に十分愛着を持てていないんじゃないか」という根拠のない疑惑みたいなものが、完全に払拭された。

二人で、あるいはそれぞれに、新しい世界に出会っていったのもよかった。
そう、まちの外には出ていないのに、世界が広がった。

息子に、休校期間でよかったことを尋ねたら、
・「あつまれどうぶつの森」ができたこと
・おかあとの関係が良くなったこと
と言っていた。そうか、うん、やっぱりそうだよね。

4月の上旬ぐらいに「おかあは1日3回はオンラインでしゃべったほうがいいよ」と息子に言われ、「おお、わたしがしゃべり足りてないことをよく観察してんなー」と、驚いた。

そのことを友だちに話したら、「おしゃべりのあとの落ち着き。元の気に戻っている母を知っているのだなー」と返ってきた。
なるほど、それだわ。

そのあたりから、1日3回はオンラインでしゃべるようになった。最初は意識的にセッティングして、徐々に習慣になった。

オンライン朝の会・帰りの会にも一緒に取り組んでくれたなぁ。
あの毎日の習慣もなくなるんだな、と寂しい。
「息子や子どもたちのために」と思ってはじめたけれど、なんだ結局自分の居場所がほしかったんじゃん。

教育のこと、学びのこともずっと考え続けている。ほんとうによい塾考期間をもらった。これから少しずつ、表現していけそうだ。わたしが親としてあと10年ほどの養育期間をどう過ごすか。その軸になるものが、何か。


今、この記事を読み返している。

ここからまた急激に変化していく。
選択も迫られていく。覚悟も問われる。
準備も必要。いろんな目配りが要る。

でも、そうだ、どんなときも自分の人生の舵は手放さない。
基本楽しく、明るい方を向いていきたい。
その中でチャレンジできることはどんどんする。
でも気負いすぎなくていい。

だいじょうぶ、だいじょうぶ。
わたしはきっとだいじょうぶ。
今のそわそわ、どきどき、わくわくもぜんぶマル。

ぶつぶつと書いてみて、やっぱり今までと変わらない自分を発見した。
今しか表現できない、今だけの感覚を記録しておく。