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湯島の『素人鰻』| 5代目柳家小さんが通った鰻屋「小福」

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「おい、竜ちゃんじゃねえか」

 叩かれた肩越しに振り返る。

「なんでえ、金次か」
「なんでえ、はないだろ。どうしたい、元気ないな」
「ああ、会社をクビになったんだ。こうなったらチェーンの牛丼屋でも働こうと、今から面接に行くとこさ」
「えっマジかよ、エリート商社マンの竜ちゃんが、牛丼屋か。止せ止せ」
「いい加減、宮仕えが嫌になったんだ」
「だからってまた。全然畑違いじゃねえか」

 前川竜斗は図星を突かれた。白Tに黒いスリムのジャケット、濃い目のストレートジーンズ。180㎝ほどの長身に、スッと鼻筋が通った涼し気の顔とツーブロックの黒髪が賢いイメージを醸しだしている。

「うっせえ、俺の勝手だろ」
「あっ、そうだ!お、俺も丁度店を移ろうかと思ってたんだ」
「なんだって?」
「竜ちゃん、流行りのキッチンカーで鰻でも売れねえかな?」

 話題を変えようと、中上金次が明るく振舞ってるのがわかる。竜斗とは対照的に背は165㎝と低め、その代わりに手足が太くがっしりとした体つきは差し詰め大きな狸を連想させた。横に広がった鼻は上を向いてなんとも憎めない顔立ちである。

「おめえ、明治元年から続く老舗を辞めるってのか」
「実は先週、親方をぶん殴って飛び出しちまった」
「おいおい、あのえれえ怖え親父をかい?」
「ああ、いちいち小言がうるせえと思ってたんだ。これで後腐れなく、せいぜいスッキリしたってことよ」
「そうか、なるほどな」

 竜斗は、腕を組んだ右手を顎に当て思案した。

「妙に素直だね」

 金次が不安な顔をした。

「キッチンカーか、そいつは面白えかも。何年か前、一流シェフが上司と喧嘩して、フードトラックでキューバサンドを売る外国映画があったな。そのサンドが息子のSNSでバズって売れまくったってヤツ、向こうじゃキッチンカーのことをフードトラックっていうらしいぜ」
「そんな映画あったかなー?」
「そうだそうだ、思い出した。去年キッチンカーを運営してるヤツにイベント会場の仕事発注したことがある。アイツに頼めば、一台くらい都合してくれるだろう」
「りゅ、竜ちゃん、本気かい?」
「おめえが言い出したんだろ。ちょっと待ってろ」

 竜斗はスマホを操作して耳にあてた。10分ほど話し、金次へ向いて宣言した。

「おい、やろうぜ。おめえの鰻捌きは一流だ。なんせあの小川家の職人だったんだからな。俺もおめえも運がいい」

画像1出典:合巻『絵看板子持山姥』(文化12年)歌川豊国画

 トントン拍子に話しはまとまって、竜斗は金次と一緒にキューバサンドをパクった、鰻のサンドウィッチを販売するキッチンカーを出すことになった。場所は豊洲移転後の築地界隈のタワーマンションの敷地の一角。趣味の食べ歩きから竜斗のインスタグラムのフォロワーは2万を超える。得意のSNSを駆使し、映画よろしく竜斗は旧知のフードライターや食い道楽たちに一通、一通丁寧にDMを送った。あとは運を天に任せるのみ。

 販売初日、心配された天気はピーカン。

「俺も金次も晴れ男ってことよ。神さま、ありがとよ。おい、金次、鰻の準備はいいな?」
「鰻はたっぷり仕込んである。初日から200食ってのは強気すぎる気がするよ。なんせ初めての土地に、チラシも配らない。竜ちゃん、本当に大丈夫かい?」
「俺の手腕、いやフォロワーを信用しろって」

 そう言いつつ、やはり不安を拭えない竜斗は目を瞑って神に祈った。
 開店はGWの初日の昼12時。5分前というのに、人っ子一人いない。
 この辺り休日の出足は遅いのかな。そう思ったが、左の額から冷たい汗が一筋流れた。やはりチラシは撒くべきだったか。
 その時、通りの向こうで声がした。竜斗が信号を渡り、一本先の路地を覗くと、多くの人だかりができていた。

「ここでなんかあるんですか?」
「小川家出身の職人がキッチンカーで“UNAGIサンド”を売るっていうから来たんだけど、見当たらないのよ」

 竜斗は耳を疑ったが、すぐに気を取り直した。

「お客さん、私がキッチンカーまでご案内します。皆さんも、こちらへ順番に並んでください」

 GWの汗ばむ陽気も相まって、キッチンカーの前にはたちまち行列ができた。

「竜斗さん、もらったマップずれてたよ。@リーマン竜の食べ歩き日記、脱サラしたから改名したほうがいいんじゃない」

 さらさらの金髪に、ド派手なピンクのパンツスタイルの若い女が笑った。業界で有名なフードライターのOだ。

「金次、行くぜ。売り切れるまで気合い入れろよ」

 たちまち評判になった”UNAGIサンド“は、TVの取材も受け、連日長蛇の列を作り大成功だった。

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 ひと月が経った。

「さすが、エリート商社マンの竜ちゃん。フードトラックをやっても映画のように一発で当てちゃうんだな」

「なーに、おめえの腕があってのことよ。小川家一の職人って看板が効いてるのさ。今度はこっちを本物にしねえとな」

 そう言うと、竜斗は冷蔵庫から缶ビールを二つ出した。

「ずっと我慢してただろ。おめえの酒好きは学生の頃から有名だからな。俺は強くはねえが付き合うぜ」
「いいのかい?」
「いいも悪いもねえだろ、功労者に乾杯だ」
「うん、乾杯!」

 ゴクッ、金次がうまそうに喉を鳴らした。

「なんだ、本当に幸せそうに飲みやがる。こんだけ儲かっているんだ。酒くらい毎晩飲ませてやるよ」

 今度は金次が冷蔵庫からなにやら取り出した。

「竜ちゃん、この鰻の肝のペーストをディップで売ってみないかい?」

 どれどれ、竜斗はそれを舐めて驚いた。

「こりゃうめえ。塩っぱさも程よい。酒のアテにぴったりじゃねえか」
「ガーリックと西洋パセリをのせた薄くスライスしたフランスパンを炙って出せば、アルコールも売れると思うよ」
「やっぱ、俺の目に狂いはなかった。おめえは天才シェフだ」

 竜斗はこの日のために冷やしておいたとっておきのワインを開けた。

「さぁ、改めて乾杯だ」
「竜ちゃん、これシャブリじゃねえか。いつのまに」
「ほれ、いくらでも飲みねえ」
「う、うめえ。これならいくら飲んでも酔わねえよ」
「あははは、そうか。今日はなんていい日だ」

 竜斗は場外市場を見下ろす東京タワーに向かって、グラスを重ねた。
 
 あくる朝、いくら待っても金次が来ない。キッチンカーの前で竜斗は妙に不安になる。金次のスマホに20回はかけたが、ウンともスンとも言わない。単に寝坊、いや電源切れならいいが。いつもの仕込み時間を30分も過ぎている。

 調子に乗って飲ませすぎたか。竜斗の悪い予感は当たった。

 昨晩はあのあとタクシーで川向こうまで移動した。向島の料亭街に繰り出したのだ。金次があまりにも嬉しそうに飲むので、竜斗もなんだか気分が大きくなり芸妓まで呼んだ。久しぶりに羽目を外した。

 慌てて向島の店に電話する。案の定女将さんが出て「金さんならここにいるよ」と平然という。竜斗がタクシーで帰った後も、女の子とどんちゃん騒ぎを続け朝まで飲んでいたという。

 竜斗は、キッチンカーに臨時休業の紙を貼り、FBでも休業と書き込んだ。向島の料亭で目の玉が飛び出るほどの代金を払って、金次を引き取った。聞くと、全く覚えていないという。

 話し合いの結果、3日後から営業再開となった。すぐに再開を待ち望んだ近隣の住民やOLが押し寄せた。SNSの写メを見て来たという遠方の若者たちも多かった。毎日コンスタントに売れ、さらにひと月経った。

 商売は再び軌道に乗ったかに見えた。

「今日もよく売れたなー。全部でサンド300個に、肝のディップセットが250個、UNAGIビールが500本、締めて100万の売上だ」
「すげえ、そんなに売れたのかい。おいら作ってるのに必死だから」
「肝ディップがビールに合うんだ、おめえの読みが当たった。俺たちもこの肝で乾杯しようぜ。今日は30度超えたからな、冷えたビールがよほどうめえぜ」
「おいら、やめとく」
「おい、金次。ほどほどに飲めばいいんだ。飲み過ぎなきゃな。そういや酒は飲んでも飲まれるなって、部長がよく言ってたな」
「いや、やっぱやめとく。飲んじまうとまた繰り返してしまいそうだ」
「そうか、一杯くらいいいんじゃねえのか」

 竜斗は遠慮がちの金次に瓶を差し出した。

「竜ちゃん。じ、実は親方をぶん殴ったのも酒のせいなんだ」
「えっ。そうか、そうだったのかい」
「この前も向島でタガが外れてしまって。おいら飲みだすと酒癖が悪いから。自分ではよく覚えてないんだけど。だからやっぱりやめとくよ」
「そうか、そりゃ殊勝なことだ」
「そんなおいらをこんな風に気持ちよく働ける場を作ってくれて、竜ちゃんにはほんとに感謝してる」

 金次がコックコートの袖で目を拭った。

「な、なんでえ。しんみりしやがって。おめえがいなきゃ、この商売も成立しねえ。そうさな、来月の休みは二人で海辺の温泉でも繰り出そうぜ」
「ありがとう、竜ちゃん。本当にありがとう」
「明日から湯島に場所を移して新しい勝負だ。頼むぜ、金次」

 うんうん、と金次が下を向いたままずっと頷いている。こいつ、いい奴だな、と竜斗も目頭が熱くなった。

 その日はそれで別れたが、あくる日、仕込みの時間が来ても金次が現れない。電話にも出ない。もしやと思い、自宅マンションまで行き、大家から鍵を借りて飛び込んだ。そこには、酒ビンが居並ぶ海の中で横たわる男がいた。金次だ。

 竜斗が半身を起こして揺らすと、金次がとろんとした目つきで言った。

「おお、竜ちゃん。丁度いい、酒が切れた。コンビニまでひとっ走り買って来てくれ」
「おい。金次。いってえ何時だと思ってる。キッチンカーの開店まであと二時間しかねえぞ」
「う、うっせえな。酒だ、酒をよこせってんだ」

 吃驚することに、竜斗は殴られた。金次の目が完全に座っている。元来気の弱い男だが、職人だけに腕っ節は強い。竜斗の反撃も虚しく、罵詈雑言を吐かれた挙句に追い出されてしまった。

 さあ困った、竜斗。新天地の初日に臨時休業じゃこの先商売の信用がなくなる。そう思い、仕方なくキッチンカーに戻って、見よう見まね、金次を見習って鰻を捌こうとした。ところが、鰻は手に入りかけると、ヌルッと逃げてしまう。

 なんども試すが、その度に手の先からヌルりと飛び出していく。

 ええい、力いっぱい握ったその時、ヌルッ、

「嗚呼ッッッ」

 キッチンカーを飛び出した鰻を追う、竜斗。
そこに通りかかった、くだんのフードライターOが言った。

「竜斗さん、どこへ行くんだい?」
「そんなこと知るか、前に回って鰻に聞いてくれ」

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 8代目桂文楽の名人芸に『素人鰻』ってえ、お噺があります。

 この噺を元に現代風にして書いてみました。いわゆる本歌取りです。皆さんは、私の創作噺、竜斗と金次のどちらに肩入れなさいますか。

画像5『うな重(桜)』6,000円(吸い物、新香付き)

 写真の鰻は、この創作の舞台、湯島の名店『小福』の蒲焼きです。
 鰻といえば、土用の丑の日が浮かびますが、江戸中期までもっぱら旬の冬に召された食べ物でした。本分の蘭学から医術、戯作、蘭画、浄瑠璃、本草学、地質学、果ては長崎で手に入れたエレキテルを修理してしまったりと、なんでもござれの才能を持つ江戸の奇才、平賀源内先生から指南された鰻屋が、夏の土用の丑の日に「う」のつく鰻を食うと縁起が良いと宣伝広告を流布したのがはじまりと言われ、その風習が今日まで続いています。でも、私にとって鰻の旬は何と言っても、筑波おろしに吹かれ寒水によって脂のたっぷりとのる冬場でございます。

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 5代目柳家小さんがプライベートで通ったお店がこちらです。お客さんやお弟子さんを大勢引き連れて行くのは不忍池の大箱伊豆栄、奥様を同伴するのはもっぱらこちらの小福だったそうな。二階のU字型の洒落たテーブルに腰かけると、目の前の小池に見事な錦鯉が悠々と泳ぎます。好きな女とだけ訪れる特別な場所、気風の良さで鳴らした師匠の粋と無邪気が感じられます。

画像7『うざく(鰻の酢の物)』2,000円、『吉乃川(大)』1,500円

画像8『白焼き(小桃)』2,000円

 紅白の鯉を眺めながら、うざくや白焼きで一杯飲る。鰻が捌かれ、蒸し焼きにされるのをじっと待ちます。この時間がとても贅沢で何よりも愛おしいのです。

 さて、いよいよ蒲焼きの登場です。ふっくらとした白身は川の流れに揉まれた弾力が残され、口の中で程よく解かれます。芯まで蒸されているので、小骨は一切舌に当たらず、皮目の香ばしさだけが至福を運んでくれるのです。もちろん、旬ならではの良質の脂は黄金に甘く輝き、目でも楽しむことができる。

画像95代目柳家小さんが愛用した丼

 そして池の奥には小さん師匠が使った現物の丼が見られます。せっかちで鳴らした江戸っ子の噺家は、重箱では食いにくいと、丼でかっこむのが好みだったようです。今でも自ら持ち込んだ丼が小福にひっそりと息づいています。

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 湯島という土地は落語家が巣食う黒門町があり、名うての料亭も多々あり。
 先述した桂文楽は”黒門町の師匠”と呼ばれ、愛想のなかった小さん(当時9代目小三治)を連れ回して一人前の噺家として鍛えたと言われています。5代目柳家小さん襲名の陰の立役者でもありました。
 湯島の鰻屋というのは、そんな所縁の場所でございます。件の平賀源内は同じ台東区の橋場に眠っています。
 皆様もぜひ、この夏の自粛に耐え、鰻本来の持つ旬のお味を堪能みてはいかがでしょう。

 以上、湯島の『素人鰻』でした。お後がよろしいようで。

writer_金子さん


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