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芸術は強制しない

一度書き始めたら書きたくて書きたくてうずうず。本をそんなに読むわけではない私が、まさか活字の表現が心地がいいだなんて自分でもびっくり。

私は活字(たまにメイク)、海人(夫)は写真。改めて私たちが表現しているこの2つの方法は、私たちが日々共通して大切にしていることを物語っている気がする。そしてそれは、どちらにもそれを読んでくれる人や見てくれる人に「強い強制力がない」ということ。

私たち夫婦はなぜが「強制されること」をすごく嫌う。こうしなさい、ああしなさいはもちろん、こう考えなさい、こう感じなさい、も嫌い。自分がどう思うか、どう感じるかは自分にしか選択できないはずのものだから。だからこそ、人に対して強制することも心から嫌う。そんな私たちが私たちのこの表現方法を選んでいるのには、きっと文章も写真にもそんなに「強制力がない」から。

そしてある意味では「抽象度が高い」からでもある気がする。詳細なものを書く、または撮っていたとしても、大枠の概念の中での表現であって、その詳細さがその中でどう泳いでくれてもいい。見る人読む人にどう泳がせるかは委ねる。それが私たちの心地良さにも、きっと見てくれている人たちの心地良さにも繋がる気がする。

私の言葉が、海人の写真がどんな人に届いているのか、明確にはわからない。どんな人に響かせようと思って書いて、撮ってるわけでもないし、届く人にだけ届けばいいと思っている。だからこそ、今日この瞬間、「自分」が感じることを表現するだけ。そしてそれを形にしているだけなんだな。

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