老いの効能

すごく悲しい夢を見た。
思わず目が覚めて、泣いてしまうくらい悲しい夢だった。

祖父母の見た目が今よりもずっと老いて、認知症の方みたいになっていた。

非常にリアルだった。
祖父母の痴呆を目の当たりにした私が、過去のしっかりしていた祖父母を思わず振り返ってしまうときの思考回路、遠方に住んでいる叔母たちと祖父母を地元で見守る母との認識の違い、それをつぶやく母の表情、ふと見せたしっかり者の2人を見て懐かしむあの感情。

今後本当に起こることを、心の準備のためにわざわざ見せてもらった気分だ。こんな夢を、単なる夢だからと無視することがどうしてもできなかった。

これまで介護の現実を映したドキュメンタリー番組などを見たときに、当事者の苦労を理解しながらも、やはり家族なのだからその老いも含めて愛せるものだろうと思っていた。

しかし、疑似体験での私は、もちろん祖父母を嫌ってはなかったけれど、ずっと「ああ、昔はこうだったのにな」と過去の祖父母の影を追っていた。

短いながらも、これまでの人生で人の変化というものは人並みに経験してきた。けれど、それもまたその人なのだと受け入れてきた。なぜ愛する祖父母にはそれができないのか。まだまだ未熟な私には理解ができなくて困惑している。

最も辛く感じたのは、祖父母を見守ると腹を決めた母は、私よりもさらに長い間、1日も休むことなくこのようなショックを経験するのだろうということだ。夢で見た母は、私や叔母たちに「現実を何も分かっていない」と言った。ぐうの音も出なかった。だって私は本当に何も見れないだろうから。やりたいことがあるんだと、自分勝手に仕事や住む場所を遠方に決め、だけれど祖父母に何かあったら手伝うよと気軽に考えている私の考えの甘さを突きつけられた。

高校時代の倫理の授業で、人生における苦悩は、生老病死とされていると学んだ。人はそれを免れないんだと。

当時は、その4つ全ては自分に起きるもので、自分が辛いと思うことだと考えていた。けれど今は、「老い」は愛する者に起き、それを苦しむことなのではないかと思っている。

自分の老いは、確かに若いときを思い出して悲観するかもしれないけれど、時間をかけて体の異変を感じ取っていくからまだ納得できる。しかし、家族など大事な人の老いは、自分の思いもよらないタイミングで来るから現実感が無いし、過去の記憶と相まってすんなり受け入れられるものではない。私はこの苦しみを、隣で見守れない歯がゆさと、それを体験している母の苦しさも汲み取りながら、どう処理していけばいいのだろうか。

祖父母の老いについて、私はまだ自分の感情の落とし所を見つけられていない。それに対する特別なトレーニングも思いつかない。もしかしたら今日見た夢の続きを見るのかもしれないし、今後の人生による成長で案外さっぱりと考えているかもしれない。

でも、それでいいのかもしれない。
私はまだ何も経験していなさすぎる。泣くほどの別れは2回しか知らない。生きながらの別れも、大したことないものだった。人の変化も、自分に影響を与える程のものは見てきていない。そんな真っ新で、紙で切ったようなかすり傷だけがついた私の人生では、祖父母の老いは到底受け入れられないトピックだろう。

だから、老いた祖父母を受け入れるというのは未来の私に託す。自分で自分に身勝手だなと思う。だけれど、今の私にはどうしても無理なのだ。これからの自分に頑張ってもらうしかない。人生の酸いも甘いも噛み分け、人間のしょうがない心の動きも理解し、消化していく大人になっていてほしい。

今はとにかく、80代になってもまだ元気でいてくれる祖父母と、彼らと過ごす上での苦悩を引き受けてくれた母に感謝をし、孫や母を支える家族としての役割を全うしていきたい。

そして私もいずれ、母が今経験していることを、今度は母と経験するのだろう。その時に備える意味も込めて、祖父母や母との時間の中で知る感情や双方が向き合う姿勢というのを覚えていきたい。

彼らが身を持って見せてくれる人生の教えを享受し、私もまたそれを後につなげていきたい。

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